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結婚するなら絶対玉の輿に乗ると決めている。
経済力があって包容力もあって家族サービスが良い。これらの条件を絶対に
クリアしている人じゃないと私の中では話にならない。ちなみに結婚する相
手が容姿端麗であることは大前提だ。
こんなことを誰かに言おうものなら、お前はそんなことを言えるほどの女な
のかと言われてしまいそうだけど、これは絶対に譲れない。この条件を満た
す男に生涯出会えなかったなら結婚はあきらめると決めている。妥協したと
ころで後悔するだけだろうし、それなら一生独身で好き勝手出来る方が良い
。ママが再婚する羽目になったのはパパに妥協してしまったからだと私は思
っている。顔も並、金も並み。そんなさえない男のどこが良かったのか。
情けないパパを見て育ったからか、私は男性に完璧を求める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2LDKの使われていない一室が今の私の部屋だ。
置いて貰うことになった日、半兵衛さんに『此処を君の部屋として使ってく
れ』と言われた。元住んでいた私の部屋よりもかなり立派な部屋だ。入って
セミダブルのベッドが置かれているのを見て『帰ります、お邪魔しました』
と言いそうになったのを覚えてる。ちなみに寝心地は凄く良い。
 

「君」
 

コンコンとドアを叩く音で意識だけが呼び起こされた。んん、と生理的に出
たうめき声に半兵衛さんがドア越しに言った。
 

「寝ているところすまないが、仕事で出る事を伝えようと思ってね」
 

モデルの仕事で私に付き合って貰ってたから忘れてた、半兵衛さんも働いて
るんだった。私をショーの会場まで送る余裕があるからいまいち働いている
感じが無くて何の仕事をやってるのか不思議に思っていた。これだけお金が
あるなら大企業か外資系か、とにかく凄い役職に就いてるんだとは思うけど
。再び眠りに落ちていこうとする私の脳みそにまだ寝るのは早いと叱咤して
気力を振り絞る。
 

「いってらっしゃい。なるべく早く帰ってきてくださいね」
 

完璧だ、素晴らしい。良く頑張った、さあ寝よう。そう完結させて枕に全て
を委ねようとするぎりぎりのところで、私の脳が半兵衛さんの声を拾った。
 

「家で大人しくしてるんだよ、間違っても外に出てあまつさえ迷子になった
 りなんて事のないように頼んだよ」
 

子供じゃありません。そう反論しようとしたけれど枕に沈む方が速かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

半兵衛さん、まだかなあ。
 
 
 
半兵衛さんが仕事に行ってしまってから2時間して、のそのそと起き出した
私が暇をもてあまして思いついたのはクッキーを作る、という事だった。
そもそも何故クッキーかというと、コーヒーにだけは絶対に砂糖を入れるの
を許してくれない半兵衛さんに私が挫けそうだからだ。
せめてお茶請けに甘いものがあればまだいけるのにと考えて、それなら半兵
衛さんでも食べられるような甘さ控えめのクッキーを作ろう、と考え付いた
のだ。まあ私が半兵衛さんのために出来ることなんてこれくらいなものだ。
服とか食器とか、お金もあるのに加えて半兵衛さんは料理も出来てしまうの
だから、私の出る幕は無い。
 
 
 
 
 
そうして焼き上がったクッキーを綺麗に皿に並べて冷ましてから3時間が経
過した。早く帰ってきて半兵衛さんの反応が見たいのに、このままでは待ち
きれずに私一人で全部食べてしまいそうだ。いつ帰ってくるのやら。時間を
潰そうにもやることが無いし、今日この時間帯に仕事があれば良かったと思
う。買い物も良いけど、外出したことが半兵衛さんにバレたらまたお小言を
頂いてしまうかもしれないし、面倒だ。
第一半兵衛さんは過保護だ。送り迎えは絶対車だし、あんまり外に出るなと
か言うし。目移りが激しくて見てて不安なのかもしれないのは認めるけど、
私は子供じゃない。と、また思ったところで鍵を開ける音が聞こえた。
半兵衛さんに文句だらだらだったくせにその音で反射的に立ち上がる私は単
純すぎる。走って玄関に向かうと今帰ったよ、と半兵衛さんが言った。
 

「お帰りなさい!!待ってたんですよ、半兵衛さん!!」
 

テンション高。
自分でもそう思うほどの声がでた。待ちきれず玄関に走りよる私は犬みたい
だ。あ、言ってて悲しい。私を見止めた半兵衛さんは仕事帰りだというのに
疲れた顔も見せずに、はしゃぐ私の頭を落ち着かせるように撫でた。
 

「何をそんなに嬉しそうな顔をしてるんだい?」
 

そう言う半兵衛さんの声も私につられたのか何処か楽しそうだ。
リビングに行くまでは秘密だと、早く来てくださいと言って半兵衛さんの腕
を引っ張る。リビングに足を踏み入れた半兵衛さんは足を止めて言った。
 

「甘い匂いがするね」
 

何となく分かってしまったらしい。半兵衛さんの目が何をしていたのか私に
聞いてくる。いよいよ見せるときが来たと、堪え切れない嬉しさが笑いにな
って出る。半兵衛さんも食卓の上にあるそれに気づいた。それを確認して私
が布巾を取り払う。
 

「じゃーん!半兵衛さんのためにクッキー焼いちゃいました!」
 

甘さ控えめですよ、私作の渾身のクッキーですから早く食べましょう。
そう言って半兵衛さんの顔を見るとぽかんとしていた。僕に?と呟かれた言
葉にそれ以外に誰も居ませんよと返す。モデルがこれを一人で食べたらどう
なると思ってる。
 

「本当に、君は・・・」
 

困ったような、あきれたような表情で笑う半兵衛さんに嬉しくないのかと、
不安になって首を傾げる。何でもないよ、と言ってまた頭を撫でられた。
 

「君は何もしなくて良いんだよ」
 
「・・・そのことなんですけど、これ、私の感謝の気持ちってことじゃ駄目
 ですか?」
 
「それならありがたく頂くことにするよ」
 

即答してくれたことに心がほっこりなる。良かった。喜んでもらえなかった
ら洩れなく三角コーナー行きだ。半兵衛さんにコーヒーを頼んで、私はお先
に座らせてもらうことにした。
 
 







 
薄力粉がちょっと多く出ちゃったとか、砂糖を控えめにしたのは半兵衛さん
のためだとか、だからコーヒーにシロップ入れても良いですかって言ったら
やっぱり駄目って言われたりとか。こんなどうでも良いことに付き合ってく
れる半兵衛さんは優しい人だと思った。ママがよく私の手を引いておしゃれ
な町を連れ歩いてくれたように、私の中であの時のようなきらきらした感覚
が蘇る。
 
 
 
「あ、そういえば冷蔵庫の中、もう空に近いんですよ。買いに行きます?」
 
「そうだね、夕飯もあるし。行こうか」
 
「はい」
 

当然のように私がそこに含まれているのが嬉しい。
私が笑うと半兵衛さんも小さく微笑んでくれた。そのことに頬が熱くなる。
気持ちが繋がってる。それが嬉しくて、こんな優しい時間が半兵衛さんとい
る時だけのものなら半兵衛さんと結婚してしまいたいと思った。そしたらず
っと一緒に居られるのに。そう考えて、



気づいた。



半兵衛さんがママで、私がパパだと。

もし私が半兵衛さんと結婚するなら、彼が完璧な分、私の方が捨てられる可
能性が高いこと。それは私がパパの様に捨てられる側に居るということを意
味していて。

もし、あんな惨めな男のように、私も捨てられてしまったら。

考えたくも無かったことに気づかされる。さっきまでの半兵衛さんへの気持
ちが嘘のように冷たくなって行くようで、
 



クッキーもコーヒーも、何の味もしなくなっていた。








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