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一人で帰らなきゃいけないのかな。
仕事を終えた私は会場の出口に向かって進んでいる最中、半兵衛さんの住む
マンションの場所を知らないことに今更ながら気づいた。どうしよう。
迎えに来てくれないだろうか。現実問題そんな都合良く来てくれるわけは無
いと分かってるけれど。せめて半兵衛さんの連絡先を聞いておけば良かった
。そうこうしている内に出口の前まで来ていた。
「お疲れ」
「わっ!」
突然後ろから掛けられた声に飛び上がる。
振り向くと私が期待していた半兵衛さんがそこにいた。白い服に身を包んだ
半兵衛さんはモデルかと思うほど立ち姿が様になっていて思わず見蕩れてし
まう。それに朝は掛けていなかったはずの眼鏡を掛けている。清潔な感じが
してこれもいい、半兵衛さんならサングラスも似合いそうだ。
それにしてもこれだけ格好良ければ目立たないわけが無いのに、なぜ私は気
づかなかったんだろう。一体どこを見て歩いていたのか。
チャリ、と音がする。半兵衛さんがポケットから鍵を取り出した音だった。
「迎えに来た」
「えっ・・・」
驚きと嬉しさでありがとうございますが咄嗟に出なかった。
見捨てないでくれたんだ。半兵衛さんは、きちんと迎えに来てくれたんだ。
これが喜ばずにいられるだろうか。人に迎えに来てもらうのなんていつ以来
だろう。本当に久しぶりな気がする。別れる前まではママが雨の日によく迎
えに来てくれたっけ、懐かしい。
半兵衛さんが車の助手席のドアを開けてくれた。至れり尽くせりだと、お礼
を言って乗り込んだ。
マンションに着いて中に入るとすぐにリビングの食卓の上に買った物を並べ
た。仕事の合間、お昼休憩の時間に生活必需品を全て買い揃えていたのだ。
パパがいない今、化粧品は内容量を最後まで使い切って捨てることが出来る
。何処かずれているけどその事が一番嬉しかった。全て並べると二人用のテ
ーブルはすっかり埋まってしまった。かなりの量だ。
「これで全部そろったし一安心。スッピンなんて二度とご免だわー」
私がそう言うと食器棚にコップを入れていた半兵衛さんが振り返った。
手にしているピンクのコップは私専用にと半兵衛さんが買ってくれた物だ。
「僕は素顔も可愛いと思ったけど」
「私、自分のスッピンは好きじゃないんです」
まあ半兵衛さんには風呂上りに見られてしまったけども。
私には化粧をしていない顔など女に見えないのだ。化粧した顔を見慣れてし
まってるからか血色が悪く思えて仕方が無い。第一に女性は常に飾っている
べき生き物なのだとママも言っていた。
「僕は素顔の方が好きだよ」
私のコップを見たままで半兵衛さんが言った。その言葉が私のことなのか女
の人全員に言ってるのかは分からないけど、どちらにしろ素顔が好きなんて
変わってる。今時高校生だって化粧をするというのに。第一素顔が見られる
程に美しい女性なんてそうそういないと思う。まあこればっかりは好みの問
題なので私にはそうですか、としか返せない。
「それより今日の晩ご飯はどうしようか」
半兵衛さんがそう言って話題を変えた。
「その辺に食べに行きますか?お金出しますよ」
「君、モデルだって言ってなかったかい」
太るよ、と口に出さないあたりが素晴らしいと思った。
女心が良く分かっていらっしゃる。栄養バランスが云々と誤魔化して言われ
るよりも端的で分かりやすい。確かに外食はついつい食べ過ぎてしまうから
あんまりよろしくないけど、人の家にお世話になってる以上そうも言ってら
れない。それに何より。
「私、料理が出来ないんです。お菓子作りは得意なんですけどね。
だから作れない代わりにお金は出します」
申し訳ないなと本心で思った。ちゃんと料理ができるようにしとくんだった
。意外そうに「へえ」と言った半兵衛さんに悔しくなる。
「料理ができないのが意外ですか?」
「いや、そういう意味で言ったんじゃないよ。
モデルだって言うから栄養管理は徹底しているものだと思っただけで」
「だって高級料理でもない限り、お菓子と違って見た目が美しく無いじゃ
ないですか。だから学ぶ気が起きなかったんです」
そういう問題じゃないと思うけどね。君の基準は全てそれかい。
呆れたように言う半兵衛さんに悪いかと心の中で返す。確かにせっかくおい
てくれているのに料理一つ出来ないんじゃ単なる穀潰しにしかならないと思
うけど。
「料理は僕がするから、君はソファにでも座ってゆっくり寛いでいてくれ」
唇を尖らせる私にどこか楽しそうに皮肉を言うと半兵衛さんはそのままキッ
チンへ行ってしまった。料理できるんだな、半兵衛さん。それこそ意外だ。
私の身近にいる男の人で料理が出来るのはパパだけだった。出された物だけ
を食べていたから考えつきもしなかったけど、もしかしたらパパも毎日私の
ために食事に気を使っていたのかもしれない。私がモデルだってことを知っ
ていたし。ママは唯一、料理は出来なかったからなあ。
ご飯はおいしかった。本当に気を使ってくれたんだと思う、野菜が多めでヘ
ルシーだった。あと量も丁度良かったと思う。買出しに行かずにこれだけ作
れるなんて、良い旦那様になりそうだ。半兵衛さんが淹れてくれた食後のコ
ーヒーを飲みながらそんなことを考える。砂糖はやっぱり入れるのを許して
貰えなかった。何でコーヒーに関してだけは厳しいんだろう。理不尽な気が
する。
「あ、食費払いますね」
「別に良いよ」
まただ。
化粧品だとかは仕事の合間に自分が買ったけど、それ以外の日用品は私がい
ない間に全部半兵衛さんが買ってしまっていた。払うと言っても半兵衛さん
はお金を受け取ってくれない。
これで食費までタダになったら私は単なるヒモと化してしまう。置いてもら
えるだけで良いのだ、半兵衛さんにそこまでしてもらう必要は無い。
「私が良くないんです。お願いですから食費だけでも受け取ってください」
「しつこいよ。さっきも言っただろう。君の生活費が加わったくらいで僕の
財布になんら影響はないんだから気にする必要は無いんだよ」
一体いくら稼いでるんだ、あんたは。
そう思うが収入云々じゃなくて私が何もしないで居るというのが問題なのだ
と、半兵衛さんの言葉に甘えそうになる頭を叱咤する。
「なら、せめて何かお手伝いをさせてください。私に出来る事って
何かありませんか?家事・・・はあんまり出来ませんけど」
家事が出来ないってもう何も出来ないのと同じな気がする。けど触れないで
置く。洗濯はできない、料理はできない、なら買い物の荷物持ちくらいなら
出来るだろうかと考えてむしろ買うのはほとんど私だと気づく。駄目だ。
私に出来ることで裁縫とお菓子作り以外で他に何かあっただろうか。実生活
において必要な技術を私はあまり持ってないんだと気づかされるばかりだ。
「せいぜい話し相手・・・くらいかな」
無意識に自分でつぶやいていた。ようは単なる役立たずだ。
頭も良くないから半兵衛さんのお仕事を手伝えるとは到底思えない、そうす
ると悲しいけれど私に出来ることなんてその程度だ。へこんでいる私を見て
半兵衛さんが愉快そうに笑った。
「気持ちだけで十分だよ」
むうと頬を膨らませてブスくれる私に半兵衛さんは子供っぽいからお止め、
と言った。同年代だと思うのに年下の様に扱われている気がしてならないけ
ど、半兵衛さんは本当に見返りを求めていないようだった。
変な人。
本当の家族って、こんな感じなのかもしれない。
お兄ちゃんがいたら、きっと半兵衛さんみたいなんだと思う。ママは好きだ
けど仕事で忙しかったしパパは嫌いだから話もあんまりしなかった、そうし
ている内に二人は離婚してしまったから、いまいち私には家族団らんがどう
いう意味を持つのか分かんないままだったけど。こうやって食卓を囲むのが
幸せなことだとしたら、私は今、幸せだと思った。
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