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「これ、どこに向かってるんですか」
 
「僕の住むマンションだよ」
 

私が乗った場所からなかなかの距離を走った。それでもまだ着かないのか。
乗った直後は何かされないかと緊張していたものの、そんなに硬くならずと
も何もしないよ。と言った彼の言葉を信じて力を抜いてから30分は経った
気がする。今は高速にいた。
本当に一体どこまで行くつもりなんだろう。家までどうしてこんなにかかる
の。これで親切に泊めてはくれたものの、帰りは自分で何とかしろと言われ
たら絶対に殴ってやろうと思った。だけど結果的にあの家を出た今、戻る気
が起きないことを考えると、これでいいんだと思う。例え翌朝捨てられたと
しても、パパがいるあの家に帰る気はもう無かった。
景色はさっきからずっと同じ。
高速だから仕方がないけど。オレンジの明かりが眠気を助長させてる気がし
てならない。瞼が何度も落ちてくる。でも思い返すと家を出たのが11時半
を過ぎていてとっくに良い時間だった気がする。他人の、それも男の前で寝
るなんて警戒心が無いにも程があるけれど眠いものは仕方が無い。頭が下が
って行くのを抑えられない私を、隣で笑う声がした。
 

「僕に気をつかわずに、寝てくれて構わないよ」
 

穏やかなその声に返事をするよりも先に、眠りに落ちた。
 
 

 
 
 
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洋服に泥がつくのが嫌で、他の子と同じように公園で遊ばなかった。
その前に遊んで泥団子を作った時に爪に土が入ってしまったのを覚えていた
から。それに靴を汚すとママに怒られる。ママの怒った顔は怖いから、なる
べく見たくない。そうやっているうちに私と遊んでくれる子はいなくなった。
別にそれでもいい。寂しくなんか無い。だって私にはあの子達と遊んでいる
よりも可愛い熊とウサギでおままごとをしている方が楽しいし、性に合う。
だけどお婆ちゃんは、それは私のためにならないと、おかしいとママにいつ
も言うのだ。私には何がおかしいんだか今でもさっぱり分からない。良くわ
かんないときには、決まって手近にある物を抱きしめる。そうするとひどく
落ち着いた。だから目の前にあるパンダのぬいぐるみへと手を伸ばす。
だけどその手を誰かに掴まれた。
 

「きゃあっ!!」
 

ひんやりとした、ひどく現実的な触感に気持ち悪くなって悲鳴を上げると、
視界が変わった。
 

「ようやく起きたね」
 

窓を背に、こちらを覗き込むように男の人が立っていた。光が目に入る。眩
しいってことは、朝なんだ。
窓から差し込む光を受ける目の前の男の人が昨日の人だとすぐには分からな
かった。出合ったのが夜だったからかもしれない、いや。昨日の仮面をつけ
ていなかったからだ。そうだ、思い出した。
 

「少しうなされている様だったけど」
 
「いえ、大丈夫です」
 
「そう」
 

掴まれていた手が離される。
これのせいで起きる直前の夢が悪夢に変わったんだと思った。なんてことを
してくれたんだろう、彼は。遅れて汗が吹き出してきている。
とりあえず周りを見る。多分あの後、私が寝ているうちに着いたんだ。生活
感が無いけど家具が点々と、広い部屋に置かれているからここが彼の家なん
だと思う。とするとここまで寝ている私を運んでくれたのはこの人だ。
どうやって。嫌、大体分かるけれども。気になることはいくつかあるけれど
とりあえず今はしたいことがあると目の前の彼に向き直る。
 

「シャワー浴びてもいいですか」
 
「ああ、廊下を出て右だよ」
 
「お借りします」
 
「それと、タオルは棚に入ってるのを適当に使ってくれて構わないよ」
 
「何から何までありがとうございます。それじゃ行ってきます」
 

ベッドを出て彼が指差したリビングを出る扉に向かう。フローリングにぺた
ぺたと私の足音が響く。名も知らぬ彼は私の背中を見ているようだった。視
線を感じる。いや、そんな見なくてもいいでしょうにと思う。変なことなん
かしないのに。モデルだから見られることには割と慣れているけれど、これ
だけ視線を感じるとさすがに恥ずかしい。
 
 
 
 
 
 
 

シャワーの温度をぬるめにした。
昨日は風呂に入った後だったとはいえ今日使う化粧水だとかは買いに行くま
で一切無い。それなのに仕事は入っているんだから、なるべく肌を傷めない
ようにしなくては。モデルって大変だ。
それに化粧が出来ないからすっぴんで仕事に向かう事になる。どうなんだろ
う、それって。嫌、駄目だと思うけど。プロとしてどころか女として失格だ
よね。テンション下がるなあ。
シャワーをひねって風呂場を出る。バスタオルで髪の水気をよくふき取った
ところであることに気づいた。入ったのはいいけど出た時の事を十分に考え
ていなかった、起きぬけは頭が働かなくて本当に駄目だと溜息をつく。見事
にやらかしてしまった。着替えが無い。
肝心のもの無いじゃん。駄目じゃん。下着も無いし昨日のをまた身につける
なんて絶対に出来ない。汚すぎる。洗面所をうろうろと見回して見ても女物
の下着なんてあるわけも無く。あったら逆に怖いけど。
洗面所の大きな鏡に映る自分の顔、スッピンの顔は、あまり好きじゃない。
湯冷めしてテンションが完全に落ちる前にとバスタオル一枚、体に巻きつけ
た私が取った行動は。
 

「あのーーー!!ちょっとすみませーん!!!」
 

リビングの方から彼の笑い声が聞こえた様な気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「僕もどうするんだろうと疑問に思ったんだよ。だけど君がそのまま
 風呂場に向かうから」
 
「言ってくださいよ!!」
 

着替えを終えた私がそういうと彼はまたもくつくつと笑った。
私が風呂に向かう前、彼があれだけ私を見ていたのはそれが原因だったのだ。
知っていたのに言わないなんて、意地の悪い男だ。
私のヘルプコールに脱衣所まで来てくれた彼に着替えがないと伝えると僕の
でよければと言ってくれたので、もう何でもいいです、贅沢言いませんから
とお願いしてありがたく借りることにした。まあさすがに下着は無理だから
ノーパン・ノーブラの状態で、今は借りた厚手のトレーナーのみを着ている。
 

「化粧水も乳液もパックも保湿クリームもヘアトリートメントも
 ハンドクリームもマニキュアも化粧道具一式、洗面用具一式何も無い。
 でも、とりあえず仕事には行かなくちゃ」
 

ひと段落してリビングの食卓、椅子の一つに腰を下ろしてそう言うと、カウ
ンターキッチンの向こうから彼が顔を覗かせた。コーヒーのいい香りがする。
 

「女性は大変だね」
 
「そうですよ、そうなんです。特に私これでも一応モデルなんです。
 だから人一倍そういうのに気を使わなくちゃいけないんですよ!」
 

目の前にコーヒーが置かれて、私の前の席には彼が腰を下ろした。
砂糖欲しいです、と遠慮がちに言うとわがままな子だね、と言われてしまっ
た。これ、わがままに入るんだ。しかも動く気配が無いあたり、つべこべ言
わずに飲めということだろうか。
 

「成る程。通りで綺麗な子だと思ったよ」
 

砂糖の要求を綺麗に流して優雅にコーヒーカップに口をつける彼。
ありがとうございますと返して目の前の彼を見る。少し伏せられた睫に私の
綺麗なもの好きの心が騒ぐ。白い肌、宝石のような瞳。こうして対面して日
の光の下で彼を見て、私の目に狂いは無かったと再び確信する。
 

「お名前、聞いてもいいですか。私はって言います。」
 
「竹中半兵衛、好きに呼んでくれて構わないよ」
 
「それじゃあ半兵衛さん、綺麗ですね」
 

彼が咽た。
何で咽るんだろうと首を傾げると急に言うからだよと言われた。
ああ、竹中さんは急に言ったら駄目なんですか。そうですか。
 

「でも出会ったときから思ってたんですよ。本当に綺麗な人だなって。
 私、美しい人や物が本当に好きなんです!この目は確かですから!」
 
「・・・一応褒め言葉として受け取っておこうかな」
 

冷静さを取り戻した竹中さんがコーヒーの入ったカップを見て言った。
 

「それで、仕事は何時からなんだい」
 
「え?お昼からです。というか今何時ですか」
 
「さっき11時を回ったところかな」
 
「え、嘘!?1時に会場入りなのに!!」
 

慌てて時間を逆算して予定を立てる。
化粧を貸し出している場所が都内の何処かにあったと思う。何回か行ったこ
とがあるからそこへ行けば大丈夫かもしれない。そうするとあとは肝心の着
替えだ。もうこの際センスがどうとか言ってられないからその辺で調達しよ
う。ぶつぶつ言っていると、半兵衛さんがコーヒーを置いて言った。
 

「送っていくよ」
 
「え、いいんですか!?」
 
「構わない。僕も用事で出なきゃいけないからね。
 そのついでに君のも色々買い揃えておくよ」
 
「え?いいですよ、そんな。自分のものくらい自分で買いますから」
 
「だけど君、暫く此処にいる事になるだろう?お金は足りるのかい?」
 

あ、え。
 

「・・・い、いいんですか」
 
「君の気が済むまで、此処に居るといい」
 

うわ。

何この人。超優しい。
私もしかしなくとも凄く良い人に拾ってもらえたんじゃないだろうか。これ
から家出をするんだったら絶対黒塗りの車に声を掛けることにしよう。つー
か人の善意に思いっきり甘えようとしてる私って考えが汚いなあ。あ、汚い
のは嫌だな。まあでも長く甘えるつもりは無いし、親が警察に届け出たらそ
れまでだし。第一私は。
 

「半兵衛さん、本当にありがとうございます。お世話になります」
 

頭を下げる。
そのせいで半兵衛さんがどんな顔をしているのかは知ることが出来なかった
けれど、ふふ、と彼の笑う声がした。返事の代わりに彼が言ったのは、
 

「僕も。美しいものは好きだよ」
 

何処か意味深な言葉だった。               








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