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私は綺麗なものが好き。                       
花は勿論きらきらした宝石やかわいい洋服、馨しい香水からふわふわと甘い
お菓子に至るまで、おおよそ女の子のカテゴリーに属するものは何でも好き
。だから私は自分自身を飾り立てるのも大好き。爪は毎日ぴっかぴかに磨い
て美しく飾りたてているし、メイクだってばっちりしてる。お菓子作りも裁
縫もお手の物。あまり頭の良くない私が唯一誇れるものは自分への愛と言う
か、この情熱だと思う。稼げるようになってから手に入れた給料のほとんど
は自分への投資につぎ込んでいる。自分の部屋にはそうして私の世界を反映
したかのように美しいもので溢れている。金は惜しまない。       

一体いつからこうなのかは覚えていないけれど、もともと周りの女の子より
もそういうおしゃれには人一倍興味は強かったと思う。就学前にママがくれ
た誕生日プレゼントは子供用のマニキュアだった。今でも覚えてる。あるい
は私がこうなのはそのママの影響かもしれない。女は美しくなきゃ、が口癖
の近所でも評判の美人だった私のママ。どこへ行っても美しいと褒められる
ママが、私の自慢だった。いつも真っ赤な口紅を付けていて、ヒールの高い
靴を履いて颯爽と髪をなびかせて歩くカッコいいママ。お仕事もバリバリ出
来たけど、授業参観には必ず来てくれる。そんな私のママ。       
 
 
 



 
 
 
 
ガシャンと音を立ててガラスが砕ける。                
 
抗議する気も失せて目線だけで音の方を見ると最近買った化粧水のビンが粉
々だった。あの化粧水、結構な値段したのになあ。そもそもあの化粧水に代
わる予備が手持ちに無かった気がする。そう思う間にも目の前で暴れる男。
マニキュアのリムーバーが机から落ちそう、そう思ったら落ちた。つんと鼻
を突く匂いが部屋に充満していく。あーあ、もうめちゃくちゃ。     
ここまで人の部屋を荒らしてもまだ足りないのか、手が止まる様子は無い。
 

「パパ、もう止めてよ」                       
 

ママが家を出て行って、パパは働かなくなった。原因はママだった。   
ママが浮気をしていた。それでその男を選んで此処を出て行った。もう5年
も前のことだ。私はその時中学生くらいだったかな。離婚に実感は無くて、
別れた後もママに会えるってことだったから特別傷ついたりってことはなか
った。というか私よりもパパの方が問題で。2年位前から鬱がひどくなって
きてママに似ている私に攻撃的になった。何かの拍子に暴力にでるのだ。 
特にママと結びつく化粧品だとか物を狙う。まあ対象が物な分、ましかなと
思う。あ、鏡割れた。ファンデーションの粉が床に散っている。あーあ、も
う嫌だ。毎回毎回後片付け大変なんだよね。こんなことやっても何も変わら
ないっていうのに面倒くさい男だなあ。                
 

「だからママに捨てられたんだよ」                  
 

聞かれないくらいの声でその背中に向かって吐き捨てる。        
捨てられたのはパパだけれど、私はパパに同情していなかった。むしろ、嫌
いだった。ママがパパを捨てたのはパパがその程度の男だったから位にしか
思っていない。私の正義は、ママだ。もう少し稼ぎが良くなったら早くこん
な家出て行く。こっそりお婆ちゃんにそう話したことがあった。その時は確
かお婆ちゃんに信じられないってかんじの目で見られたと思う。     
 

「ちゃん、そんな事本気で思ってるのかい?       
 お婆ちゃんはこの話聞かなかったことにしとくから、そんな事絶対あの人
 の前で口にしたら駄目やよ。どうなるか分からんからね、いいね。」  
 

どうやら私は人として何かが足りていないらしい。           
説教を頂くことになってしまった。                  
 








「今日はお仕事があった。明日もお仕事があって。           
 で、明後日も何か撮影があった気がする」              
 

私の仕事はモデルだ。っていっても大衆向けというよりショーに出る専門の
モデルだけれど。まあでも違いは多くても美が重視されるお仕事には違いな
い。睡眠不足なんて大敵どころかプロ意識の欠如の象徴なわけで。    
こんな真夜中に暴れ続ける父親が治まるのを待ってたら肌が荒れてしまう。
つうか見てる私がストレス感じる。今夜はホテルにでも泊まることにしよう
。財布を持って家を出た。
 

「あ、でも化粧水も乳液もパックもクリームも全部無いんだった」    
 

エレベータを降りたところで肝心の商売道具、というよりもはや人生の相棒
に等しい存在を思い出した。取りに戻るっていったって壊されてるから無い
し、買うっていったって深夜だから店は閉まってるしコンビ二の化粧品なん
てお粗末過ぎる。というかそもそもこの近くにホテルなんてあっただろうか
。勢いで飛び出してきたもののまずそこが問題だ。あ、適当にその辺の人に
ホテルの場所聞くのはどうだろう。名案だわ。さっそく車を発見したので急
いでその場に向かう。                        
 

「すみません!」                          
 

信号待ちをしていた黒の車のフロントガラスをこつこつと叩く。     
黒塗りの高級車だと言うのが遠目にも分かったのでお金持ちの方が変な人が
乗っている確率低いんじゃないかなと思って声を掛けたのだ。これがどうや
ら当たりだった。私に近い助手席の窓が降ろされて運転席に座っている男性
がこちらに顔を向けた。                       
 

「何か」                              
 

黒い車に反してドライバーは真っ白だった。うわあ、夜って街だけじゃなく
て人間まで普通じゃないんだ。思ったことを顔に出さないようにして話を切
り出す。何か緊張してきた。                     
 

「ちょっとお聞きしたいんですが、この辺にホテルってありますか?」  
 
「無いよ。一番近いのでもここから二駅先だったかな。         
 それも君が求めているのとは違う趣旨のものだった気がするけど」   
 

違う趣旨・・・・ラブホのことか。マジか。              
ここって意外と旅行者に優しくない街だったのね。うわあ。どうしよう。 
このままじゃ野宿になりかねないぞ。それか観念して出戻るかだけど。  
 

「ご期待に添えなくて悪いね。                    
 それにしてもこんな夜中に女性が一人で出歩いて、家出かい」     
 
「そうですね、いい年こいて家出です。明日も仕事があるんですけどね」 
 

家出。良く考えたら今私がやってることって家出になるんだね。     
言われて気づいた。人生初の経験だ。                 
信号がまだ青にならないからか、後ろに待つ車が無いからか、男の人が左手
を助手席に着いて状態をこちらに倒した。私と話す気らしい。身の上話して
る場合じゃないんだけどね、こっちは。一夜の宿探しに必死ですよ。   
全部降ろされた窓から男の人の顔が覗く。そこでばっちり、私と男の人、真
正面でお互いの目が合う。白い服を着たその男の人は、仮面を着けていた。
それが目に入った瞬間、私の思考が止まった。え、待って。なぜ。ほわい。
夜ってあんまり出歩かないから知らないけど皆こうなの??仮面をつけるも
のなの。だってこれじゃまるでこれから舞踏会にでも行く人じゃん。   
あ、そっか。これ高級車だしこの人お金持ちそうだからそれも考えられる。
 
だけどそれにしたって。                       
 
なんて美形なんだろう。この目の前の人は。私の美しい物好きの心が騒ぐ。
もっとよく明るいところで顔が見てみたい。彼の顔を凝視したまま固まって
いると、突然、助手席のドアが開いた。                
 

「乗るかい?」                           
 

あ。                                
 
無理やり連れ込まれたらどうしようとそこでようやく車を止めて道を聞くと
いうことの危険性に気づく。しかし身構えた私に対して、彼の腕は伸びて来
ることはなかった。運転席に体を戻した彼は、私を見て笑っていた。   
 

「乗るも乗らないも君の自由だ。好きにしたら良いよ」         
 

オレンジ色の街灯がカーブミラーに映っている。            
眠りについている街に、嫌に不気味な雰囲気の黒塗りの車一台。どうして何
も疑問に思わなかったんだろう。                   
 
 
赤だったのは歩行者用の信号。                    
車専用の信号は、ずっと青だったのだ。                









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