09













目が覚めた時、私は男の人に抱きしめられていた。手には日記。
何故こんな状態なのか分からず混乱したが、抱きしめられていて身動きが取
れないために手にしている日記を読むしか出来る事がなかった。
とりあえず表紙を捲ってみると、飛び込んで来たのは大量の文字。
暇つぶしにはなるかと思い目で追ってみると、そのうち周囲の事なんて頭か
ら無くなるほどに日記を読みふけっていた。
全てを読み終えて日記を閉じると、横で不安そうな顔をして見てくる男の人
がいた事に気がついて、安心させるために微笑んだ。
 
 
 
「起きたんですね、幸村さん」
 
 
 
幸村さんのシャツを着ているという事が恥ずかしくて、目を合わせづらくて
俯いた。
顔が少し赤くなるのが分かったが、それは幸村さんもだったらしい。
「う、うううむ!!」と随分不振な返事と共に私を抱きしめていた腕を勢い
よく解いた。
そのせいで一気に冷たい空気に触れて体が肌寒く感じたけれど、恥ずかしく
なったせいで体温は上がっていたので大丈夫だった。
昨日は寒かったとはいえ、男女が抱き合って眠ったのだ。日記に堂々と書か
れていた事実を思い出して顔から火が出そうになった。
 
 
 
「い、行きましょうか」
 
「あ、うむ。そうで御座るな」
 
 
 
まだ妙な雰囲気が漂ったまま、お互いギクシャクとしながら体を離した。
体に付いた土を払い落として立ち上がろうとしたとき、私は自分の足が怪我
をしているのを思い出して動きを止めた。
少し動かしただけで痛みがはしるかもしれない、そう思ったら怖くて立ち上
がるのを躊躇われた。
と、幸村さんが私の前に来て背を向けてしゃがみ込んだ。
 
 
 
「お乗りくだされ」
 
「え・・・?」
 
 
 
乗れ、とは何処にだろうか。
いや、決まっている。幸村さんの背以外に何があるという。だけど理解はし
ていても納得は出来ない。
何も負ぶってもらわずとも肩を貸してくれれば十分だと思うのだが、幸村さ
んはそうは考えなかったのだろうか。
迷っていると、殿と急かす声がした。
乗れと、言う事らしい。確かにふら付きながら幸村さんと肩を並べて歩くよ
りは手っ取り早いか。
覚悟を決めて、幸村さんのむき出しの肩に手を乗せた。シャツを貸してもら
った仲だ。もうおんぶだって今更だと言い聞かせて広い背中を跨いだ。
膝裏に幸村さんの腕が通る。乗ったのを確認して幸村さんが立ち上がった。
 
 
 
「あ、あの。ごめんなさい、私重くありませんか?」
 
「殿が重いなど。むしろ軽すぎるで御座る」
 
「え、軽すぎるって事は無いと思いますよ。ちゃんと食べてますし。
 きっと幸村さんが力持ちだからそう思うんですよ」
 
「そうであろうか」
 
「そうですよ」
 
 
 
ぱきり、と幸村さんが小枝を踏み追った音がした。
山道は平坦では無い。私を背負ったままで家へ戻れる気がしなかったから、
何処か途中で降ろしてもらおうと考えていると、そんな私の考えを読んだの
か幸村さんが「体が鈍っていたので鍛錬には丁度良い」と言った。
男の人のことはよく分からないけれど、幸村さんがそうい言うならそうなん
だと思うことにした。
 
 
 
「私、日記を読んでも全てを暗記しているわけじゃないんですよ」
 
 
 
話す事がなくなってしまったから、間を持たせられるならと考えて口にした
言葉だった。
幸村さんが止まって、私を抱え直した。しっかり負ぶってくれているとはい
え、乗っている方もしっかり掴まっていなければずり落ちて来てしまう。
だから肩に置いた手を幸村さんの首を抱くようにして回した。
お互いの距離がより近くなって、幸村さんの耳が赤くなった。
 
 
 
「私は、病気です」
 
「・・・知っておる」
 
「次の日になって、同じような事を幸村さんに聞くかもしれません。
 というか既に聞いているかもしれません、覚えていないだけで」
 
 
 
そう言ったら沈黙が返ってきた。
だから肯定なんだと思った。私が覚えていなくても幸村さんは覚えている事
があって、私は彼を無意識に傷つけていたんだと。
そう思ったら罪悪感が募ってきて続く言葉が見つからなくなってしまった。
代わりに、幸村さんが口を開いた。
 
 
 
「某は、殿がいなければこの時代ではやっていけぬ」 
 
 
 
また、枝の折れる音が聞こえた。遠くに水の流れる音も聞こえる。
あれを追って山を降りるのだ。幸村さんのしっかりとした足取りなら私をお
んぶしたままでも問題なさそうだと今更思う。
私がいなくても、幸村さんはこの時代でもやっていけそうだと思った。
これだけしっかりしているのだから。
 
 
 
「殿を頼らずして此処で生活していく事は某には不可能で御座る。
 故に殿には親切にして頂いた事、真に感謝している。
 だが、この時代にいては某はその恩に報いる事が出来ぬのも事実」
 

別に、恩を返してもらう必要なんて無いし日記には買い物に付き合ってくれ
たとあったから、強いて言う恩返しなどその程度で十分だと思った。
だけど幸村さんはそれでは納得がいかないらしい。義理堅い人だと思った。
 
 
 
「なればこそ、某は日々の生活において自分が出来ることをして恩を返した
 いと考えている」
 
 
 
そこで幸村さんが顔だけ向けてこちらを振り返った。
至近距離で目が合うと、少し口角を上げて笑った。
 
 
 
「不謹慎なのだが、殿の病は某にとっては好都合なので御座るよ」
 
 
 
・・・天然なんだろうか。
不覚にもその言葉と自信に満ちた顔が頼もしく見えてしまって、格好いいと
見蕩れてしまった。顔が赤くなっていくのが分かるので顔を伏せる。
私は、彼ほど前向きに物事を考える事は出来ない。真っ直ぐな言葉を言える
幸村さんは格好いいなと、心底思った。
 
 
 
「でも、幸村さんは一人でもやっていけそうなんですよね・・・」
 
「殿、いかに強くても一人というのは決して強い事では御座らぬ。
 一人で生きていく事は、絶対に出来ないもので御座る」
 
 
 
素直じゃない私の言葉にも幸村さんは坦々と返してきた。
同い年くらいなのに、この人生に対する肝の据わり方というか構えの違いは
何なんだろうと思った。戦国に生きると人生を悟れるのだろうか。
私ももっと幸村さんを見習って大人な言動を身につけなくてはいけないと、
幸村さんの後頭部を見ながら思った。
 
 
 
「それは人の上に立つ幸村さんの言葉ですか?」
 
「う、うむ。まあ、そのようなものだ」
 
 
 
はっきりしない返事だ。
誰かの受け売りの言葉だったんだろうか。であれば幸村さんが仕える武将の
ものかもしれない。
 
 
 
「私が戦国時代に生まれていたら、幸村さんの家来になりたかったです」
 
「・・・某等、まだまだ人の上に立てる立場では御座らぬ故・・。
 親方様のように真に人の上に立つ方の言葉こそ、重い・・・」
 
 
 
ありゃ。何か幸村さんのスイッチを押してしまったらしい。親方様のような
という言葉を繰り返すばかりになってしまった。
それほどその親方様は素晴らしい武将なのかと思ったけれど、きっと聞いた
ら延々武勇伝を聞かされる羽目になるだろうと思って止めた。それに私には
どうでもいい話題だった。
きっと知識が無いから聞いても無駄だ。
素肌とはいえ、生暖かな体温が心地よくて眠気を誘っていたので、幸村さん
の背に完全に体を預けて瞼を閉じた。
と、それまで親方様親方様と五月蝿かった幸村さんが体が密着している事に
気がつくと途端にうろたえ出した。
耳が真っ赤になって、見ているこちらが不憫に思えてしまうほどに動揺して
いた。それを微笑ましく思いながら、しかし眠気に逆らえずに私は落ちてい
った。
 
 
 
「向こうに帰っても、私の事忘れないで下さいね・・・」
 
 
 
他にも何か、伝えたかった事があったような気がしたけれどそんな言葉を言
うのが限界だった。
眠ったので御座るか?という幸村さんの動揺のいまだ抜け切らない言葉が聞
こえたけれど、それにももう返す力が残っていなかった。
完全に眠ってしまう前に幸村さんの呟くような声が耳に届いたけれど、何を
言っていたのかは遂に分からなかった。
 
 
 
「某の言葉で御座る・・・」
 
 
 
 


 

心残り。