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「っくしゅん!」
 
 
 
長い下山道中にくしゃみを一つすると悪寒が背筋を駆け巡ったという。
思えばこの時に昨日の私は気づいておくべきだったのだ。
しかし幸村さんにシャツまで借りておんぶまでして貰っているという事を考
えると言い出せなくてやせ我慢をしてしまったらしい。
そして家に帰りついた翌日、私は見事に風邪で倒れた。
 
 
 
「うー・・・。寒い・・・」
 
 
 
朝、起きてから午前中は何事も無く過ごしていたのだが、お昼を過ぎた辺り
から体がだるくなってきた。
それを気のせいだとやり込めていたら、とうとう異変に気づいた幸村さんが
「失礼する」といって額に手を当ててきた。
そして険しい顔つきになったかと思うと「一刻も早く横になってくだされ」
と言って部屋まで強制連行された。
そういうわけで、私は今ベッドに無理矢理寝かされていた。んだけども、
徐々に熱が上がってきたのか倦怠感が増してきた。
 
 
 
「お薬飲もうかな・・・」
 
 
 
とはいっても薬をしまっている場所が分からない。
飲むためにいちいち日記を開いて、場所を確認して取りにいって水を持って
とそれまでの動作を考えるだけでも億劫になる。
しかし薬を飲まない事にはずっとこのままだ。
全身にじっとりと汗をかき、額には前髪が張り付いてうざったかった。
仕方が無い。
着替えをして薬を飲むまでしてとっととまた寝ようと決めてベッドから這い
出た。
タンスに手を掛けて新しく寝巻きを一枚引っ張り出す。下着も替えたほうが
いいだろうかと考えながら今着ている服を脱いだところで突如、部屋の戸が
開いた。
 
 
 
「殿、水を・・・っ!!!!大変失礼致した!!!」
 
「あ、いえ・・・!」
 
 
 
目が合う事もなく、一瞬にして幸村さんは戸を閉めた。
その際に見えた幸村さんの顔はお約束のように真っ赤だったのだが、何分こ
ちらは頭が痛いのでそれに反応を返す事が出来なかった。
洗面器とタオルを持っていた。
せっかく私のために来てくれたのに私と来たら随分とトーンの低い声で返事
をしてしまったなと悪く思い、手早く着替えを済ませてドアを開けた。
 
 
 
「どうぞ」
 
 
 
そもそも着替えの時に鍵を掛けていなかった自分に非がある。幸村さんはノ
ックをしないんじゃなくて両手が塞がっていて出来なかったのだ。
部屋に入ってきた幸村さんにごめんなさいと謝って近くの椅子に座るよう勧
めた。
 
 
 
「某とした事が、確認もせず不躾に申し訳ない・・・」
 
「両手が塞がっていたんじゃ仕方ないですよ。気にしないで下さい」
 
「いや、しかし!・・・嫁入り前の女子の・・」
 
 
 
気にしないようにと言っているのに、彼自ら話を掘り下げてどうするのだ。
と思ったが、そういえば幸村さんは現代の感覚とは違う事を思い出した。
戦国時代では恋人で無い女の人の裸を見る事は責任問題にまで発展するのか
もしれない。
まあ現代でも正当な理由が無ければ訴えられたりするかもしれないが、それ
にしても幸村さんは相当純情そうだから、やっぱり彼が特別なだけという可
能性の方が高い。そんな事を考えていると、幸村さんが咳払いを一つして話
題を変えた。
 
 
 
「あ、その。き、・・・気分は如何で御座るか?」
 
「あ、はい、おかげさまで。少し良くなりましたよ」
 
 
 
日記を片手に幸村さんに返す。良くなってはいないがこれから薬を飲むから
直に良くなる。
そのためにもと薬の置き場所が書かれたページを探して一心に紙を捲ってい
ると、そんな私の考えを見抜いたのかサイドテーブルに濡れタオル一式を置
いて椅子に腰掛けた幸村さんが言った。
その顔はもう赤く無い。
 
 
 
「殿、嘘をつくのは為にならないでござる。顔が先程よりも赤い。
 一刻も早く布団にお戻りくだされ」
 
「え、嘘。すみません・・・。でも薬を飲めば少しは良くなりますから」
 
 
 
私は自分の顔も良く見ずに気分が良い等といっていたのか。
最初から墓穴を掘っていた事を恥ずかしく思いながら、しかしともかく薬を
飲まなくては始まらないのだと幸村さんに説くと、「では某が探して参る」
と言った。
いや、でも薬を置いている場所が、と続けようとすると「ともかくゆっくり
休んでくだされ」と言葉を遮られてしまい、またしても私は布団に強制連行
されてしまった。
そうして濡れタオルを額に置くと、幸村さんはさっさと部屋を出て行った。
心配しすぎでは無いだろうかと思ったけれど、嬉しかったのは事実なので甘
えることにして目を閉じた。
 






 
 
 
 
 
「殿」
 
 
 
心地良い低さの声が鼓膜を揺らした。あれから何時間経ったのだろうか。
目を開けると不安げに眉を寄せた幸村さんが視界に入った。
その情け無い顔に何かあったのかと問いかけようとすると、しかしあまりの
だるさに私の体は動く事は愚か、声を出すのも大層億劫になっていた。
加えて体中が熱さで痺れる様な感覚をしている事に気がついて、先程の熱が
上がったのだと分かった。
返事をしようと口を開くと、喉からは掠れた様な声が出るだけだった。
幸村さんが、熱が上がったので御座る。と説明してくれて、持っていたタオ
ルで私の額にかかる汗を拭ってくれた。
戦国武将に看病されているという事実に感慨を受ける事も今の私には出来な
い。これは相当弱っているなと思いながら、そういえば今は何時なのかを幸
村さんに尋ねると、夕刻とだけ返された。今日の彼の夕飯はどうしよう。
 
 
 
「すみません、今日の夕飯はそんなに力の入ったものを作れそうにないんで
 すけど・・・」
 
「無理して作らずとも、某は一日食べずともどうって事は御座らん。
 それよりも殿は風邪を治す事だけ考えて下され」
 
「そうは行きませんよ。幸村さんだって何か食べなければ・・・」
 
 
 
いや、でも実際今の私は力の入ったものを作る云々の前に台所に立つ事すら
も難しい気がした。
と思ったがそれでは幸村さんが本当に飯抜きになってしまうので、何とか簡
単に作れるレシピは無かったかと考えを巡らせる。
しかし頭痛のする頭で考え事など出来るわけも無く、買い置きもなかった事
に万事休すかと思った時、一つ良策が思い浮かんだ。
 
 
 
「幸村さんを使ってしまう事になるんですが、街まで夕飯の弁当を買いに行
 ってくださいませんか?明日の朝食の分も、このままでは無いので」
 
「・・・それは勿論構いませぬ。が、その間に殿に何か、」
 
「大丈夫ですよ。大人しく寝ていますから」
 
 
 
どれだけ心配性なんだろうか。
そうそういつも何か事故が起きるわけでは無いのだから、と言い聞かせて半
ば無理矢理にタンスから出したお金を幸村さんに持たせると、さすがに行か
ざるを得なくなった幸村さんが「むう」と唸りつつ席を立った。
 

「床から出ては絶対に駄目で御座る」
 
「分かってますよ」
 
「それから先程、薬が見つかったので置いておいたで御座る。後で飲んでく
 だされ」
 
「はい、ありがとうございます」
 
 
 
どうも日記を見たところ、一昨日辺りから幸村さんが過保護な気がするのだ
が、気のせいでは無いのかもしれない。今日一日接して分かった。
とりあえず言われたとおりに薬だけでも飲んでおこうと机の上に置かれた瓶
に手を伸ばした。
が、あとちょっとというところで手が届かず、ベッドを出なければいけなく
なってしまった。しかし今の私は体が重くて立ち上がるどころか上半身を起
こすのも面倒な状態だ。というか出来ない。
さっそくの難関にどうしようかと考えて、数秒の後薬を飲むことを諦めよう
かと思ったのだが、それでは幸村さんが怒るだろうと思った。
飲むしかない。
しかしベッドを出るのが実に面倒くさい。何とか何ないだろうかと考えた挙
句、芋虫のように布団を体に巻きつけたまま動くのはどうだろうかと閃い
た。
傍から見るとかなり異様かもしれないが、体力が無くて立てないのだから仕
方が無い。で、ベッドから床に、布団をクッション代わりにしてずり落ちる
事で見事匍匐全身で薬の元までたどり着けたのだが、帰りが問題だった。
べッドから落ちるのはまだ良いが、這い上がる事が出来ないのだ。
腕に力が入らない。やばいどうしようと思って何度も挑戦している内に、段
々と布団はあるのだからいいんじゃないだろうかという諦めモードに入って
きてしまい、疲れと共に床で目を閉じのだった。
そうして次に目が覚めたのは、幸村さんの怒声でだった。
 
 
 
「っ殿!!!」
 
 
 
一体何事かとびっくりして目を開けると、薬のおかげか体の倦怠感が随分と
和らいでいる事に気づいたのだが、それを感じる間もなく幸村さんが私を抱
きしめた。
何かしたのかと思い部屋を見回すとドアが開いている事に気がついた。買っ
て来た荷物が散乱していて、部屋に入ってきた瞬間目にした私の姿に驚いた
のであろう事が伺えた。
 
 
 
「・・・すみません。寝てました」
 
「床でで御座るか」
 
「はい・・・」
 
「倒れられたのかと、某は心臓が止まりそうで御座った」
 
「ごめんなさい」
 
 
 
首筋に幸村さんが顔を埋めているせいで表情が分からなかったけれど、声で
何となく怒っているのでは無いことが分かった。
床で寝た事を責められるのかと思ったので、ほっとした。幸村さんの背中を
叩いて離れる様に伝えるが、腕の力が強まるだけだった。
汗をかいていて恥ずかしいし、体が熱いので離れたいのだが。
 
 
 
「幸村さん?うつっちゃいますよ?風邪」
 
「・・・・」
 
「お夕飯、食べましたか?お風呂は?」
 
 
 
何とかして離そうとするが反応も返事も一切返ってこない。
どうしたものかとふわふわの茶髪に手を当てて撫でて見ると、幸村さんの体
はびくりと一度動揺を見せたがそれだけだった。
頑固だ。
この世界では確かに私しか頼るものがいないとはいえ、毎度この調子ではこ
ちらが参ってしまう。心配してくれるのは嬉しいのだが。
頭を撫で続けていると、不意に幸村さんが動いた。
密着していた体が離れたので夕飯でも食べに行くのだろうかと見ていると、
突然幸村さんは私を抱え上げた。
 
 
 
「ちょっ!え?」
 
 
 
と、戸惑った次の瞬間にはふんわりとした物の上に降ろされていた。それが
ベッドだと気づいたと同時、隣に幸村さんが寝転がった。
私が動揺している間にも無表情な幸村さんはてきぱきと床に落ちていた掛け
布団を拾い、二人の上に掛けた。そうして腕を伸ばし私を抱き込むと、一人
さっさと目を閉じてしまった。若干苦しい上に完全に置いてけぼりだ。
 
 
 
「あの、ゆ、ゆきむらさん?」
 
「今宵は。某も此処で眠る事に致した」
 
 
 
頑とした調子で宣言され、梃子でも動かないとばかりにきつく抱きしめられ
た。腕の骨が折れそうなほどに痛いのだが、言ったところで聞き入れて貰え
なさそうだと思って諦める。
しかしそんなことよりもあのドアの周りに置き去りにされた夕飯と明日の朝
食はどうなってしまうのだろうか。それに風呂は。
そんな事でも考えなければ幸村さんの匂いの近さに眩暈がしそうだった。
 
 
 
「あ、熱いんですけど・・・・」
 
「そう言って床で寝転がられては困ります故、我慢してくだされ。
 寒いよりはましで御座る」
 
 
 
取り付く島も無い。こんなに厳しい人だっただろうか。
思いながら抱きしめられている息苦しさと気恥ずかしさに身を捩って何とか
して抜け出せないかとしていると、幸村さんが腕の力を弱めた。
2人の間にスペースが出来て、顔を見合わせる形となった。
さっきは無表情だった癖に、今の幸村さんの顔はとても苦しそうで、それは
私が原因だと言いたげに見つめられた。
 
 
 
「殿」
 
 
 
布団に横になっているせいか、幸村さんの茶色い髪が彼の潤んだ様な瞳にか
かって邪魔をしていたので手で払いのけると、その手を握られた。
返事を返す事が出来ないまま、私はその瞳を見る。
 
 
 
「殿を見ていると、某は苦しい」
 
 
 
苦しい、それは私も分かる気がした。
幸村さんの少し潤んだ瞳が私に何かを求めるかのように訴えかけてくる。
 
 
 
「これは、何なので御座るか」
 
 
 

まるで恋のようだ。
いいや、恋だろうと思う。しかし彼はそれを知らないのだろう、私はそれを
知っているから教えてあげる事は出来るけれど、間違っている可能性もある
から答える事はしなかった。
だって、こういうのは一つ屋根の下では陥りやすい錯覚で過ちらしいから。
これもきっとそれに違いないと思った。例え本物だとしてもやはり長くは続
かないだろうし、私が望んでいいものでは無いから、
 


幸村さんの瞳を、両の掌で覆った。
 
 
 
 


 
気のせいだよ。多分。