05













「ただいまー」
 
「只今戻ったで御座る」
 
 
 
家には誰もいないけれど、挨拶をして入るのが決まりだと言ったら幸村さん
は承知致したと頷いて、素直に私の声に続いてくれた。
荷物までたくさん持たせてしまって悪いと思ったけれど、幸村さんは頑とし
て自分が持つと言い張り、私には終ぞ持たせてくれなかった。
本当に優しい人だなと思う。
食卓に買った物を袋から出して並べていく間、せめてもの気持ちで幸村さん
に椅子に座るよう勧めた。
では、と申し訳なさそうに腰を下ろした幸村さんにデパートで見た様な元気
の良さはもう無い。
 
 
 
「お疲れでしょうし、幸村さんは先にお風呂に入って来てください。私はそ
 の間に夕飯の準備をしておきますので」
 
「分かったで御座る」
 
 
 
今日の夕飯は幸村さんの好みが分からなかったのでシンプルにご飯と味噌汁
それから焼き魚にお浸しにしておいた。
あまり油っぽいものにして地雷を踏んでしまったら駄目だし、アレルギーが
あるとも分からないので無難なメニューがいいと思ったからだ。
幸村さんが席を立った。風呂に向かうらしい。
 
 
 
「あ、お風呂の場所を言ってませんでしたよね」
 
「いえ。既に把握しております故、心配は無用で御座る」
 
「え?そうなんですか?」
 
 
 
いつの間に家の間取りを知ったのだろうかと不思議に思い首を傾げると、幸
村さんが思い出したように、一昨日突然風呂場に落ちたことでこの時代にや
ってきたのだと説明してくれた。
一昨日のことならば知らなくて当然かと納得して、何かあったら呼んで下さ
いねと言って幸村さんを送り出した。
それから私はほうれん草のお浸しを作るのに取り掛かったのだけれど、送っ
てからものの10分もしない内に幸村さんからヘルプのお声を賜って駆けつ
ける事になってしまった。
 
 
 
「はいはい、どうしましたか?」
 
 
 
エプロンで手を拭きながらドアの前に立ち尋ねる。
ぼんやりと見える曇りガラスの向こう側に幸村さんの影が見えた。中の電気
は点いているので、これが出来るなら大した問題では無いんじゃないかと思
ったのだが。
 
 
 
「殿!!水が突然出てきたので御座る!!某は一体どうすれば!?」
 
「あー。・・・シャワーですね」
 
「しゃしゃ、しゃわー?」
 
 
 
先に説明するのを忘れていた。
幸村さんも使い方が分かるのではなかったのか。
とりあえずかなり動揺しているようなので、大丈夫ですよと何でもない様に
言って宥めて落ち着ける。
しかしどうしたものか、口下手な自分ではシャワーの説明を口頭でしても理
解してもらえない気がしたし、そうなると中に入って直接説明をしなくては
いけなくなるのだけれど、となると必然裸を見てしまうことになる。
いや、でもタオルを渡して一時的に隠して貰えば。
そう思いついて、急いで洗面所の手近にあったタオルを引っ掴んだ。
 
 
 
「幸村さん、ちょっと失礼しますよ」
 
「はっ!!??な!!!」
 
 
 
ドアを少し、右腕がぎりぎり入るくらいの隙間に開けてそこからタオルを持
って捻じ込む。これを受け取って腰に巻いてもらえば良い。
 
 
 
「すみません、幸村さん。シャワーの使い方を説明・・・・幸村さん?」
 
 
 
声がしないどころか曇りガラスに映った影が少しも動く様子が無い事に違和
感を覚えて声をかけると、幸村さんの影はびくりと大きく動いてガタンと風
呂椅子が倒れる音がした。
 
 
 
「大丈夫ですか!!?」
 
 
 
何かあったのかと咄嗟にドアを引く。
先程よりも大きく開いたドアの先にいた幸村さんと目が合い、しかしそこで
彼が裸だったと気づいただけれど、運良く湯煙で見えなかった。セーフ。
だけど幸村さんは何があったのか、声の限りに叫んだ。
 
 
 
「は、は、はっ!!破廉恥でござるうううぅぅぅぅぅ!!!!!!!!」
 
 
 
何で、まだ見て無いのに。
疑問はたくさんあったけれど全て幸村さんの大声に掻き消えてしまった。
幸村さんが凄く純情青年であると知ったのは、風呂を出てきて鼻を抑えてい
る姿を見たときのことで、ちょっと今時そんな人はいないだろうと呆れ半分
に私は思うのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「頂きます」
 
「頂きまする」
 
 
 
風呂での一騒動を終えて手を合わせた所でやっと夕飯になった。
お風呂を上がった幸村さんは、私が料理を終えるのを手持ち無沙汰に待って
いたけれど、その間に何度もお腹の音を鳴らしていたので急遽、私は夕飯に
もう一品おかずを追加することにした。
暴れてお腹を空かせて、それでも大人しく夕飯を待っている姿に人知れず小
さく笑んだのは内緒だ。
 
 
 
「殿、これは何でござるか?」
 
「あ、それはキャベツといって海外が原産の葉菜ですよ」
 
 
 
戦国時代には無かった珍しいものが多いからだろう。
朝から今の今まで、幸村さんの興味は尽きないようで質問の連続だ。
唯、戦国と言ったら料理に毒を盛ると言った事が普通に行われていた時代ら
しいのだが、幸村さんを見る限りそんな様子は全く無い。
これが戦国時代の人間なのだろうかと思うほどにあっけらかんとして、当然
のように始めて見る物を口にしている。大丈夫なのだろうか。
 
 
 
「このキャベツとやら、芯がしゃきしゃきとして真、美味で御座るな」
 
「・・・気に入って頂けた様で良かったです。お代わりもありますので遠慮
 せずに言ってくださいね」
 
「おお!!真で御座るか!!」
 
「真です」
 
 
 
やはり男の人の食べっぷりは凄まじい。
がつがつと頬張る姿に作ってよかったなと思う反面、エンゲル係数が当面の
問題になってきそうだと心配になる。
今日は幸村さんの為にと和食のような質素なのにしたけれど、それも今日だ
けだ。
明日からはいつも通り洋食も作りますね、とキャベツの味噌汁を啜る幸村さ
んに宣言をすると、洋食とは何かという根本的な事を聞かれてしまい、説明
すると楽しみでござるな!と瞳を輝かせて私を見た。
これは料理をしくじって失望させるわけには行かないと、自分でハードルを
上げてしまった事にそこでようやく気づかされた私は頭を悩ませる事になっ
た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「この時代では湯の温度も自由自在に操れるので御座るな」
 
「ええ、便利な世の中ですよ」
 
 
 
話しかけられた声に返して日記に落としていた目線をあげると、思いのほか
幸村さんが近くにいた。
本当なら一日の終わりに日記を書く作業は自分の部屋でやるけれど、幸村さ
んがいるので成るべく引き篭らないようにしようとリビングのテーブルで書
いていた。
今日は書く事もたくさんあるから早い時間からノートを開いて書き始めてい
たけれど、いつの間にやらテレビを見終わった幸村さんは向かいに座ってじ
っと私の手元を覗き込んでいた。
 
 
 
「毎日書くことが多くて大変で御座るな」
 
「そんな事ありませんよ。今日は特別です。ほら、以前の日記はこんなに」
 
 
 
ぱらぱらと日記を捲って以前の内容を見せると、幸村さんは「確かに同じ様
な内容が滾々と続いているで御座る」と唸った。
 
 
 
「今日は幸村さんとお買い物に行きましたし、たくさんお話したので書くこ
 とが多いんですよ」
 
「何と!某との事もこの日記に記しているので御座るか」
 
「当然です」
 
 
 
そうしなければ忘れてしまうのだから。
何て軽々しく理由を言えば幸村さんは重く受け止めてしまいそうだと思い、
口をつぐんだ。渡した日記をぱらぱらと読むともなしに読んだ幸村さんは日
記を私に戻した。
それを受け取ってまた今日のページの続きを書き始めると、自分が書かれて
いる事がやはりかなり気恥ずかしいのか、幸村さんは照れたような顔で紙面
を見ていた。
 
 
 
「某がいるせいで今日は殊更、書く事が多そうで御座るな」
 
「確かに少し大変ですけど、それよりも書いてて楽しいんです」
 
「そうでござるか?」
 
 
 
首を傾げる幸村さんに一つ頷いて説明をする。
日記は私にとって宝箱で、おもちゃ箱で、人生である事を。楽しい事ばかり
の毎日ではないはずだけれど、嫌な事は日記に書きさえしなければ忘れるこ
とが出来るのだ。これだけは私の持つ病気の素晴らしいところだ。
成るべく楽しいと思った事で日記を埋め尽くすようにすれば、読み返した時
に私という人間をやっていて良かったと思えるはず。
現実的で暗い小説よりも冒険物の方が読んでいて楽しいのと同じ様に、私も
またそうしているだけだ。
だから手を抜かないで大切に記入すようにと、約束が書かれている。

 
 
「幸村さんは今日一日、楽しくなかったですか?」
 
「滅相もない!!それはもう充実した一日でしたぞ!!あのデパートとやら
 は真に大きく、あれ程の数の店が入っている建物を見たことは某、未だに
 御座らんかった故、大層興奮したで御座る!!」
 

「良かったです。また何処か凄いところにご案内しますよ」
 
 
 
思い出しながら興奮気味に語る幸村さんはそれは楽しそうで、私の病気が許
す範囲であれば、また違うところに連れて行ってあげたいと思わせた。
私の色よい返事に更に楽しそうに顔を綻ばせた幸村さんは、自分が武将だと
いう自覚すらも忘れているようにガッツポーズをした。
 
 
 
「さて、それじゃあそろそろ寝ますか。おやすみなさい、幸村さん」
 
「うむ、また明日で御座る」
 
 
 
私が日記を書き終わるまで寝そうに無い幸村さんに、連日の疲れが溜まって
いるだろうと、日記を書くのを中断して部屋に戻るよう促した。
部屋の前でお休みを言って別れた後、私は手早く、だけど丁寧に日記を仕上
げて今日の思い出に浸りながらベッドに入った。
現代を案内したり、幸村さんの頓珍漢な質問の数々を思い出しながら眠りに
ついた私は、一日の思い出に浮れて過ぎて失念していた。
そしてまた、大きな失敗をしてしまった。
そのせいで朝、何も覚えていない空っぽの状態で目覚めた私は徘徊するよう
にして辿りついたリビングで、私の目覚めを待って椅子に座っていた幸村さ
んに心無いことを言ってしまったのだった。
 
 
 

「あなた、誰?」
 

 
 
 
 


 
始まらないお話。
 
 
 
 



 
日記に書くのに夢中になって、枕元においておくメモを用意するのを忘れて
しまっていたのだ。