04
「いいですか?今日は真田さんの洋服等必要なものを買いに行きますよ」
「うむ、よろしくお願いいたす!」
朝食を食べ終えたのを見計らって今日の予定を話すと、真田さんは口の周り
にイチゴジャムをべっとりとつけたままで威勢良く返事をした。
割と整った顔をしているだけに、そういう所は非常に残念な人だと思う。
女性の方が外出の支度が掛かるので成るべく待たせないようにしなくてはと
思った私は、布巾を真田さんに渡して口を拭うよう言った後、リビングを出
ようとした。
「あ、殿!」
「はい?あ、そうだ。言おうと思ってたんですよ、それ」
私を呼び止めた真田さんの声で思い出した。
昨日の日記に書かれていたやり取りを読んで、今日はこれを改めようと思っ
ていたのだ。
「私のことはと呼んで下さい。これから一緒に暮らすんですし」
「おお!では某のことも幸村と下の名でお呼びくだされ」
「はい、幸村さん」
名前呼びを提案したら幸村さんは嬉しそうにしてくれたので良かったと思っ
た。
戦国から来た幸村さんはこちらに知り合いがいないだろうから、この世界に
心を許せる人が出来たらと思って、それが身近な私ならと思いついたのだ。
一緒に住んでいるのに堅苦しい関係のままでいるのも嫌だし。
「今から準備してきますので、ちょっと待っていてくださいね」
「うむ。お待ちしております」
イチゴジャムは彼のお気に召したらしい。パンの上に一センチ幅はあろうか
というくらいに塗り、というかもはや乗せてという方が正しい状態で嬉しそ
うに頬張っていた。
食べ終わっても尚満足そうな余韻を残した顔で口を拭いている。それが何だ
か子供みたいで可愛らしいと思った。
「さて。ここが街一番のデパートです」
「おお!!先日一人で街へ下りた際に見たが、これに入るわけですな!」
「そうです。で、紳士服売り場は・・・」
昨日の曇りで今日も雨では無いかと不安だったので本当に晴れてよかった。
田舎だから大した事は無いのだけれど、それでも5階建てのデパートを前に
して目をキラキラと輝かせる幸村さんはゲームを買い与えられた子供の様に
生き生きとしていて、連れて来て良かったと私まで嬉しくなった。
そんな興奮気味の幸村さんの手を引いてさっそく店内に足を踏み入れると、
煌びやかな照明を受けて輝くタイルとエスカレーターが私達を迎えた。
それを目にして更に驚きに目を見開く幸村さんを置いて私は一人、入り口の
パンフレットを手に取った。
が、すぐに幸村さんがそれは何かと興奮した様子で近寄ってきた。
「パンフレット、・・・えーと、店内の案内図です。私、何度も此処に来て
いますけど、何分記憶が無いので毎回こうして案内図を見なければ場所が
分からないんですよ」
「何と!つまり此処は地図が必要なほどに大きい店という事ですな!」
「そういうことです」
といっても普通は自分の好みの店に目星をつけて覚えているからパンフレッ
ト等必要としない人がほとんどだ。だけど私は。
そう考えてもう何度目かも分からない溜息が零れた。私の手にする店内図を
横から覗き込む様にして見ていた幸村さんがその様子に一つ、神妙に唸った
かと思うと口を開いて言った。
「では、その地図を某に見せてくだされ。覚えます故」
「え?」
「さすれば次に来た時に殿が覚えておらずとも問題ないで御座る」
ああ、成る程。その手があったかと幸村さんの言葉がゆっくりと私の頭に吸
収されていった。
そういえば、私は昨日から一人ではなくなったのだ。であれば幸村さんにも
私の生活において抱える荷を少し担いでもらってもいいんじゃないかと甘え
たい気持ちが生まれてきた。
「・・・いいですか?」
「お任せくだされ。それに某は今、殿に厄介になっている身。
むしろそれくらいの事はさせて頂きたいで御座る」
幸村さんが力強く言ってくれるので頼ってしまってもいいかな、と委ねてし
まいそうな私がいる。
だけど此処で甘えてしまえば私は際限なく幸村さんに頼ってしまいそうで、
いざ幸村さんがいなくなってしまったら私は駄目になってしまうんじゃない
かと少し怖くも思った。
「殿。これくらいの事は某にお任せくだされ」
「・・・そうですか?」
「はい」
「・・・分かった。じゃあお願いします」
「うむ。お引き受けいたす」
そうして満足そうに頷いた幸村さんリードの元で店内を巡る事となった。
と言っても結局どこかでしていた私の悪い予感通り、あれは何だこれは何だ
のオンパレードの幸村さんに私が引っ張りまわされるだけとなってしまった
のだが。
まあ、これも貴重な体験だろうか。
エスカレーターに飛び乗るタイミングを聞かれることなんて今迄無かったし
ましてエレベーターで何処に掴まっていれば良いのかなんて初めて聞かれ
た。
しかも肝心の幸村さんの服はたったの一時間で買い終えてしまって後はひた
すらに社会見学という落ちだ。
まあ、欲もこだわりも無いから服を安くあげる事が出来て助かったので良し
としよう。
「疲れたでござる・・・!」
「ふふ、人が多いですから慣れてなくて気疲れしちゃうのも当然ですよ。
此処いらで少し休憩にしましょうか」
一通りの社会見学を終えてようやくへばった幸村さんは、現代の人口密度に
中てられて息苦しくなってしまったらしい。
掌で目元を覆うようにして少々ぐったりしているのを見かねて、フロアの隅
にあるベンチへ幸村さんを誘導すると、私はバッグから財布を取り出した。
「お茶でいいですか?買ってきますから此処で待っていてくださいね」
う〜と曖昧な返事をするしか出来ない幸村さんを置いて先程此処に来るまで
の道にあった自動販売機へと向かった。
相当お疲れみたいだ。
一昨日なんて一人で甲斐へ向かったと日記にあるし、昨日は私の家まで引き
返して来たというのだから、本人に自覚は無くともそれなりに疲労は溜まっ
ているはずだったのに、何で気づいてあげられなかったのだろう。
自分の配慮の無さを情けなく思う。
今からでも家に帰って幸村さんのためにゆっくりしようと考えながら、急い
で元来た道を戻ると。
「・・・あれ?」
荷物を置いて幸村さんがいなくなっていた。
トイレだろうかと思ったけれど、であれば荷物をそのままにしていくのは頂
けない。せめて私が戻ってくるのを待って行くべきだと思った。
だけど幸村さんは黙って行ってしまう様な人間では無いはずだ。では何でだ
ろうかと考える、しかし考える程に理由が思い当たらなかった。
だから言ったのに。
私は今、パンフレットを持っていないからフロアを動き回るわけにはいかな
い。こんな事になるなら初めから自分でしっかりパンフレットを持っておく
べきだったと、あの時幸村さんに甘えた自分に怒りが湧いてきた。
どうしようかと買ったお茶のペットボトルを手にして立ち往生していると、
背後から大きな声がした。
「殿!!」
「・・・!幸村さん!」
走ってきたのか、幸村さんの呼吸は少し乱れていた。
一体私が飲み物を買いに行ったほんの数分の間に何処まで行っていたのかと
驚いたけれど、幸村さんの顔が割と真面目だったのでそれを聞くタイミング
を逃してしまった。
「某は置いていかれたかと・・・!!」
「っそれは私の台詞です!此処に居てくださいって言ったじゃないですか!
一体どこに行ってたんですか!?」
荒れた呼吸を整えもせずに幸村さんが言った事に反論すれば、幸村さんは事
もあろうに「聞いておらんかった」とのたまった。
聞いてなかったでこちらが振り回されるのでは溜まったものではない。
言いたい事はたくさんあったけれど、幸村さんが疲れていた事を思い出した
ら、だから聞き逃してしまったんじゃないかと思い、何も言えなくなってし
まった。加えて私を探すために、また走らせて体力を使わせてしまった。
申し訳なくなってきて、私は言葉の代わりに幸村さんにお茶の入ったペット
ボトルを差し出した。
「幸村さんが元の世界に帰ったのかと心配になりましたよ・・・・」
「某の方は、殿に見捨てられたかと・・・」
ほっとしたように私を見る幸村さんの顔に私までつられて安心する。
何だ。結局私も幸村さんも同じ気持ちでいたのだと。
「ごめんなさい、幸村さんも疲れてますよね。帰りましょうか」
「うむ。腹も減ったでござる」
歯ブラシ等の日用品は今日から使うので宅配には頼めない。
服も最低限の枚数は今、手元に必要だ。そのどれもが私の家に置かれるよう
になったら幸村さんは家族になるのだ。
戦国から来ただなんて未だに訳が分からないところのある人だけれど、それ
でも幸村さんとならやって行けそうだと思った。
だって幸村さんは中々優しい人みたいだから、きっと大丈夫。
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