03
6月14日
今日もとてもよく晴れていて、穏やかな空でした。
でも明日の天気はあまり良くないみたいなので洗濯物が心配です。
午後はいつも通りでしたが彼が行ってしまった後は少し寂しかったです。
それから、そろそろブルーベリージャムがなくなりそうなので買い足してお
いてください。もしかしたら・・・。
体調及び食べたものはいつも通り、以下に記してあります。
以上、明日の私へ。
昨日の私より
日記を閉じた。最後に山を下りたのは一週間前の雨の日だった。
日記を辿るとその日は食糧の買い足しに行く一週間に一回の日で、買った物
を全て配送してもらう様頼んだと書いてあった。
一週間経った今回も何を買うかは全て決まっている。
節約と倹約を心掛けているとはいえ、やはり食料は尽きるしこればっかりは
仕方が無い日用品と消耗品がほとんどだ。
下る方が大変な山道をバスに乗って小雨の中買出しへと向かった私は、何て
ついていないんだろうと思った。
そうしてやっとの思いでスーパーに着いても、やはり小さな問題が起きた。
といっても本当に些細なことなのだけれど、イチゴジャムの方が特売で安か
った。
別にそれくらいという感じなのだが、日記にはブルーベリーを買うようにと
あったし、その後にもしかしたら、という気になる一文が続いていた事が一
瞬自分の手を躊躇させたのだった。
だけど自分一人で食べるのだから何も問題は無いはずだと思い、節約の為に
と私はイチゴ味のビンを籠に入れた。
来週に祖父母からの仕送りが届くまでは切り詰めて生活しなければいけない
のだ。そんな事をいちいち気に掛けてはいられない。
そうして無事食料品も買い終えて生物以外は宅配に頼んでしまうと、そろそ
ろ街を出なければいけない時間になっていた。
山へ向かうバスの最終は街を巡るそれよりも随分時間が早い。夜になってし
まうと視界が利かないのだから、当たり前といえばそうだ。
そういうわけで、私は急いで生鮮食品の入った袋だけを手にしてバスへ乗り
込んだ。
そのバスに揺られている間、私は目と瞼が乾いている感じがする事に気がつ
いた。まるで泣いた後のようだったけれど、昨日の日記にはそれらしい事等
書かれていなかったから大したことでは無いのだろうと考えるのを止めた。
バスを降りて、家へと続く砂利道を歩いていると玄関の軒先に人影があるの
を見つけて私は足を止めた。
誰か立っている。
そう思ったところで相手もこちらに気がついて手を振りながら寄ってきた。
「おお!殿!!今お帰りでござるか!」
とても精悍な顔立ちをした青年が一人、人懐っこい笑みを浮かべて近づいて
きた。この辺に住んでいる人ではなさそうだと浮世離れした赤い格好を物珍
しく思いながら私は一歩、彼から距離をとった。
「・・・すみません、どなたでしょうか?」
言わなきゃ良かった。
彼の顔が一瞬の驚愕の後に悲愴に変わったのを見て何故かそう思った。
「粗茶ですがどうぞ」
「すまぬ」
「いえ」
対面して座した青年は、家に招き入れた直後は顔を俯けてこの世の終わりだ
と言わんばかりにぶつぶつと独り言を言っていた。
正直その姿は本当に気味が悪くて帰って欲しいと心底思ったのだけれど、私
を知っているようだったから仕方なく家に通す事にした。
だけど彼の独り言も、私がお茶を置いて真向かいに腰を落ち着けたところで
終わりを迎えた。意を決したのか、青年が迷い無く口を開いた。
「某は真田源次郎幸村。殿は某を覚えておいでであろうか」
「・・・真田、源次郎幸村・・・?」
どれが名前やら分からないけれど。はて、真田。真田。
どこかで聞いたような名前だぞと思い返してみると、もしかしなくても日記
に書いてあったような気がしたと閃いた。
だけど朝何百ページも読んだ日記の中身を全て頭に入れているわけではない
のだ。名前を聞いただけで相手と自分の関わりを思い出せれば社会復帰なん
てとっくに出来ている。
依然として眉間に寄せたままの私のしわを見て、真田さんと名乗る人は段々
と顔を曇らせていった。
男の人にしてはくりくりの瞳が上目遣いにこちらを覗きこんで来るのに、私
の良心が耐えられなくなった。まるでチワワに見つめられているようだ。
「すみません。ちょっと席を外しますね」
「あ、・・・はあ」
日記を確認してくる方が早いと決めて立ち上がり、真田さんを置いて自室へ
と向かった。
買出しをする日だと重要チェックがカレンダーについていたから、忘れない
ようにとそればかり考えていてあまり日記自体を読んでいなかった。
迂闊だったなあと思いながらも、こんな雨の日にわざわざ私を尋ねてきてく
れる真田さんという人は、きっととても良い人で私とも仲が良かったんだろ
うと思った。
日記を手にして茶の間に戻れば真田さんが湯飲みを口にして熱そうにしてい
る所を丁度見てしまった。見られたと慌てた様子の真田さんに小さく笑いを
零して席に戻る。
「ごめんなさい、ちょっと今から確認するので待ってくださいね」
「・・・何の確認でござるか?」
「何のって、真田さんと以前会った時の事を」
「では手にしているそれは何で御座るか?」
「日記ですよ」
「何故日記など?」
「だって、私の病気を真田さんはご存知でしょう?こうする方が早いです」
真田さんの質問に答えてはいたけれど、私はその時日記の中から真田さんの
名前を見つけるのに夢中だったから、本人と交わしているやり取りがおかし
い事には少しも気づいていなかった。
ただ、いくらページを捲っても一向に真田の文字が見つからない事にあれ?
と思い日記から顔を上げたところで、分かった。
「殿が、病気・・・?」
しまった。
今日、本日二度目の失敗だった。
昨日の別れ際に私が彼を引き止めたらしい。
話を聞き終えた私がどういう事なのかと、目の前でハの字に両手を置いて頭
を垂れる青年に確認をする。
こちらの病気を自分で暴露してしまったために、もう私に恐れるものは無か
った。自分の日記を隠すことなく見せて、それに沿った話の流れを真田さん
に説明して貰うよう要求をして、それがようやく終わって一段落着いたとこ
ろで真田さんがいきなり土下座をして私に謝ってきた。
「すまぬ!!いやしかし、某には頼れる者が居らんかったのだ・・・。
殿が戻ってきてもいいと申す言葉に甘えてしまったで御座る!!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
昨日、何故私が真田さんを引きとめたのか甚だ疑問ではあるけれど、それが
本当であるならば真田さんが謝る必要は全くない。
私の言葉通りに、行くところが無く困ってしまったから仕方なく戻って来た
のだと思うし。
そう思い、慌てて顔を上げるように言うとかなり落ち込んでいる様子の真田
さんが私と目を合わせた。
「昨日の私は、本当に真田さんに帰ってきてもいいと言ったんですね?」
「・・・うむ。この幸村、嘘はつかぬ」
頷いてまで肯定する真田さんを見る。
どんな思いで昨日の私が真田さんを見送ったのかは想像するだけ無駄だ。
昨日の私の記憶など今日の私にはこれっぽっちも残ってはいないのだから。
信じられるもの、参考になるものは目の前にいる真田さんの言葉と、それか
ら私がしてしまったという帰り場所の保障だけだ。
というか昨日の私は何一つ、その大切な約束をしたことを日記に書き残して
いなかった訳だけれど、何を考えていたのだろうか。
今日の私に託されているのは買い物だけだったはずだ。
「それにしても。真田さんもたった一日で戻ってきてしまったんですね」
「全く。某も情けないで御座る・・・」
とは彼を責めてみても。
真田さん自身の話からすると戦国時代の様な所から来ているらしいから、
現代の生活に適応できなくて当たり前だろう。むしろよくその格好で捕まら
なかったなと感心してしまう。
戦国から来たのが本当かどうかは別としてだ。
「昨日の私はきっと、真田さんに戻ってきて欲しくてそう言ったんだと思う
んです」
おそらく、心配だったんだろう。
それは記憶が無くても推測できるし、確信が持てた。昨日の私がした判断な
ら今日の私は責任を持ってその約束を果たすべきだと思う。
昨日今日で矛盾した事を言って相手を惑わすなんて失礼だし、酷い裏切り行
為だ。
「だから。真田さんさえ良ければ、帰れる日が来るまでここに住んでみては
どうでしょう?」
真田さんさえよければ、と控えめに提案してみると彼の表情は玄関で会った
時のと間逆の反応をした。それは今にも尻尾を振って飛びついて来んばかり
の犬のように。
感動からか、声が出せずに口をパクパクとさせる真田さんの顔が金魚のよう
に見えて、私は笑った。
「私の方が迷惑をかけると思いますが、それでもよろしければ」
「そんなっ・・!殿・・!!この幸村、感激の極みでござる!!!」
「ふふ、それこそ大げさですよ」
6月15日
同居人が一人増えました。
真田幸村さんです。帰れる家が見つかるまでは共に暮らすということで面倒
を見ることになりましたが、とても楽しそうな方です。
どこか遠いところ、(信じられませんが話を聞く限りでは戦国時代のようで
す・・・)からやって来たらしく、あまり日常生活をやっていく上での知識
がありませんので手を焼くことになるかもしれません。
小さなことにでも目を輝かせる可愛らしい方です。
明日すること
・真田さんの服と日用品の買出しに行く
・生活設備の説明を一通りすること。特に機械についてはよく。
・御座る口調も改めて貰う、でもこれは強制しなくて結構です
それから最後に。
彼と話したことは明日に繋げるために出来るだけ細かく正確に、どんなに小
さな事でも記録するようにしてください。
今日、私はそれで困ってしまったのでこれからの為にお願いします。
例として、以下に今日真田さんと交わした会話を書き留めておきます。
明日に役立てば幸いです。
以上、明日の私へ託します。
「あ、すみません、ブルーベリージャムはもう無くなってしまいまして、
イチゴジャムを買っちゃいました」
「何と!」
他人に介入してはいけない。
今日、忙しさに日記の重要部分を見落とすミスをしていた私は、この日の過
ちを後に激しく後悔する事になる。
涙と明日のその向こう側に
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