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6月13日 
 
 
 

今日はよく晴れていて、何処までも続く青空が目に眩しかったです。
今日も一日、特に何もありませんでした。
体調及び食べたものは以下に記してあります。
 

以上、明日の私へ。
 
 
 
昨日の私より
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日記を書き終えてボールペンを置く。
後はこれを枕元において寝れば終わり。私の一日は日記に書く事が無いほど
に単調で、人と話す機会も全くと言っていい程に無い。
記録をつけるだけ馬鹿みたいだけれど、これまでの私がそうして律儀に書い
ているのだからやはり書かなくてはいけない。
私は病気にかかっている。
かかっていると言うよりは事故の後遺症と言う方が正しい。12歳の頃に交
通事故で父と母、それから兄を亡くして私だけが生き残った。
骨折を何箇所かした以外には目立った外傷も無く、奇跡的に助かったのだと
いう。
だけれど、私が入院している最中に看護士の人がその違和に気づた。追って
医師から告げられたその事実を、当時12歳だった私は受け入れるしかなか
った。なにせ、昨日食べたものが思い出せないのだから。
事故より後の日の記憶が無い。
事故以前の記憶は全て覚えていて思い出せるというのに、それ以降では記憶
が一日しか保持できなくなっている。
といってもその日一日は、朝は何を食べたか等時間を遡って思い出すことは
出来るし、日常過ごす上では常識もあるので問題は無い。
肝心なのは、それら一日の積み重ねが24時間経てば何事も無かったかのよ
うに失われてしまうということだった。
一日経てば忘れ、また事故のあった次の日の記憶に戻る。つまり12歳の時
から一向に進まないのだ。
記憶を積んでは崩し、積んでは崩し。積み木のような毎日を繰り返す。
そんな私を見て、担当の医師が昨日食べた物も思い出せないのでは体調に異
変があったときに非常にマズイと、日記でいいから記録をつけるようにしな
さいと勧めてきた。
それと一日の出来事を書いてから寝るようにとも。
だから例え何かが無くても、面白い一日ではなくても私は必ず毎日、明日の
私のために日記を書かなくてはいけなかった。
そして必ず枕元に日記を見るようにと書いたメモを置いて眠る。そうすれば
朝、何も覚えていない私が起きて一番に日記を読んで、安心して今日を始め
られるというわけだ。今日の私もそう。
昨日の私がした事があって今日が送れた。親を失って片田舎に一人で暮らし
て今日で5年近くが経つけれど、日記を遡れば今とあまり変わらない内容が
坦々と書かれている。
これが私の歩んできた人生だった。
お婆ちゃんとお爺ちゃんが送ってくれる生活費とアルバイトで何とか生計を
立てる日々。近々銀行に仕送りを取りに行くようにと書かれていた。
仕事を覚えても次の日には何も出来なくなってしまうのでは雇ってくれる会
社などありはしない。心苦しいけれども、私には身内に頼るしか生きる術が
なかった。分かっている。
だからせめて、贅沢もせず多くを望まずに細々と生涯を終えようと決めてい
た。
 
 
 

さて、そうしているうちにメモも書き終えてしまった。それを枕元に置いて
布団に入れば今日の私ともいよいよさようならだ。
考えれば考えるほどに不思議な感じがする。記憶はそうでも今の私は12歳
の精神年齢ではないらしい。
体もそうだけれど、歳相応に心も成長しているということなんだろうか。
今日、定期的に行く検診で担当のお医者さんが顔を複雑にして言っていた。
どちらにしろ、そんなことも日記に書かなければ忘れるから関係ない。
時計を見ると21時。
24時を過ぎれば徐々に朝の記憶から失われていって、十分も経たないうち
に完全にリセットされる。
それを惜しく思う出来事など今まで一度もありはしなかったから、私は今日
も迷うことなくベッドに入って目を閉じた。
あとは意識が落ちるの待つだけだったけれど、今日は違った。
突然、風呂場から水の激しく跳ねる音がしてまどろんでいた意識が一気に覚
醒した。何事かと驚きに心臓が跳ねる。
強盗かと思ったけれど、窓も無い風呂場からというのはおかしい。
記憶が無くなるまであと3時間。その間に片付くだろうか、日記に書くべき
なのだろうか。混乱しつつもカッターナイフを握り締めて部屋を出た。
こちらが女である分、怯えていると相手に悟られてしまえばいい様にされて
しまう。毅然とした態度を心掛けて慎重に廊下を進んで行く。
いよいよと言う所まで来て足が震えそうになったので、叱咤して奮い立たせ
ると突然、目の前の脱衣所の戸が向こうから開いた。
 
 
 
「うっ、動くな!!」
 
 
 
即座に右手に持ったカッターを相手に向けて、左手で近くの照明のスイッチ
を押した。
オレンジの照明がついて眼前に照らし出されたのは真っ赤な服を身に纏って
いる青年だった。
突き出されたナイフに気づいて、キョトンとしていた表情が一気に慌てたも
のに変わる。
 
 
 
「は、わ!しっ、失礼つかまつった!某はその・・・!!」
 
 
 
説明が行かず両手を遊ばせる彼を見て毒気を抜かれそうになるが、それが相
手の手かもしれない。そう警戒してナイフを降ろさずに相手に向けたままで
口を開く。
 
 
 
「どこから入ってきましたか」

「き、気づいたら此処に、」
 
「?目的は?」
 
「目的と申されても、某には此処が何処かすらも分からぬ故、答えようがな
 いのだが・・・」
 
「じゃあ貴方は何処から来たんですか?」
 
「それは、甲斐の国からでござる」
 
 
 
甲斐。冗談を言っているのかと相手を睨むと「真だ」と切羽詰まった目で返
されてしまった。
相手を見る限り嘘を言っているようではなかったので一応ナイフを下ろした
けれど、さてどうすればいいのか分からず二人で呆然と立ち尽くした。
 
 
 
「あ、某は真田源次郎幸村と申す。して、恐れ入り申すが此処が何処かを教
 えて頂けないだろうか?」
 
「ああ、はい。私は、此処は私の住む家です。」
 
 
 
思い出したかのようにして名乗りあった後、その場で少し問答を繰り返した
。そして段々と事が分かってきたのだが、反対に謎も深まっていってしまっ
た。
が、分かったことはまず、真田さんは一日の全てを終えて自室に戻る廊下を
歩いていた所で突如浮遊感を覚え、気づいたら私の家の風呂に足をつけて立
っていたということだった。
その言葉にようやく私は真田さんの足元が濡れていることに気がついて急い
でタオルを取りに行ったのだが、よく考えれば真田さんの格好は相当変わっ
ていてとても強盗の着る服の色では無かった。
だけれど、気が動転していては気づけるはずも無い。カッターを向けたこと
は正当防衛であったはずだ。
まあ結果として、疑いは晴れたのだから良かった。時計に目をやると24時
まであと2時間を切っていた。
 
 
 
「それで、真田さんは今日、お家に帰れるんですか?」
 
「それは某が聞きたい事で御座る・・・」
 
「あ、・・・ですね」
 
 
 
もしも。
真田さんが甲斐と言う、今では聞かない地名から実際に来ているのだとして
も、私の住むこの家は山の中腹に立っていて夜は交通手段が無い。
昼はバスも多くあるけれど、夜は暗い上に熊も出るとあって山から降りるこ
となど到底出来はしない。
それを真田さんに話せば彼もどうすればいいのか、というかどうすべきなの
かを分かった顔をしたが、口をまごつかせた。
そりゃあ一人暮らしの女に自分から泊めてなどと言うことは出来ない。
 
 
 
「・・・行くところ、無いですよね」
 
 
 
遠目でそう呟くと真田さんは更に申し訳ないと言った顔をして顔を伏せた。
追い出して山で死なれた日には私が悪者となってしまう。
さすがに追い出すまではしないけれども、自分の病気の件を考えると厄介な
ことになってしまったと思わずにはいられない。
 
 
 
「・・・・・とりあえず泊めますけど、明日の朝にはきちんと家に帰ってく
 ださいね」
 
「無論。承知いたした」
 
 
 
真田さんはほっとしたように顔を輝かせた。
これは犬属性だなと確信がいったけれど口には出さないでおいた。
極力他人との接触は避けるようにと日記に書いてあった。特に日を跨ぐよう
であれば面倒くさいことこの上ない。
昨日今日で会話に矛盾を生まないように、出来るだけ会話を避けなければい
けない。
友達も持たず、作らず。それは全て相手のためであり、他ならぬ自身のため
でもあった。だけどああ、本当に久しぶりに人と会話をした。
そう思いながら余っていた部屋を真田さんに宛がって私も自室へと戻ること
にしたのだった。
 
 
 



 
 

その日、初めて明日のために重要な付け足しが日記に施された。
 
 


 

追伸、
 

男の人がいると思います。
甲斐から来たと言う真田幸村さんは、行くあてが無く遭難していたそうなの
で一晩仕方なく泊めることにした方です。
いい人なので安心してください。
朝には家を出るよう言ってあるので朝食を振舞って見送るだけすれば結構で
す。
 

以上。
 
 
 
 


 
だけど神様、私だって幸せになりたいです。