朝起きると、猫になっていた。一体何が起きたのか私自身さっぱり分からない。だけど現実に、今私は猫だっ
た。そもそも目が覚めて発した第一声がさあ起きるかではなく『にゃー』だったのだ。誰かが私にかけた呪い
かと思いもしたが私は単なる一介の女中であって呪いも怨みもくそもありはしない程度の存在なのでそれは考
えられないことだった。とすれば他に考えられるのは私が夢を見ているということだ。しかしそれにしてはあ
まりに現実味がありすぎる。じゃあ一体なんでこうなったのかと考えるとだんだん考える事自体が面倒くさく
なってきた。そもそもなっちゃったものは今更仕方が無い。それに実をいうと私は猫が嫌いじゃない。猫のよ
うに生きたいと幾度となく考えたことがあるくらいだ。だからこれは仕事はきついわ休みは取れないわで発狂
寸前だった私に神様が与えてくださった休暇代わりの贈り物かもしれない。まあそうでなくともそろそろこの
城の女中をやめるつもりではいた。この際だ。人間に戻るまで猫の姿を楽しむことにしよう。どうせなら退職
前に最後の記念に城の中を見学するのもいいかもしれない。猫の姿なら咎める人はいないだろう。 
 
「おや、見かけない猫がいるね」 
 
びくりと背中の毛が逆立つ。縁側に沿って歩いていた私に声をかけたのはなんと此処の城主の竹中半兵衛様だ
った。遠目にお姿を拝見することはあっても私程では話したり挨拶を交わしたりすることも無い立場にいる方
だ。そんな方の声をこんな所でお聞きすることになるとは、猫もやってみるものである。半兵衛様が「どこか
ら入って来たのかな」と私の方へ腰をかがまれた。どうやら知らないうちに城の敷地内へと入ってきた猫に興
味を抱かれたようだ。私はというと初めて至近距離で見る半兵衛様の御容貌に目を奪われて食い入るように見
つめていた。噂に違わぬ美丈夫だと思った。その半兵衛様も私の目をじっと見ていらっしゃるので端から見る
と一人と一匹が見つめあっているような形だ。やがてポツリと半兵衛様が仰った。 

「猫にしては賢そうだ」
「人を恐れない」 

そう続けると半兵衛様は急に私に向かって腕を伸ばした。近づいてきた手の大きさにびくりとするがここで爪
を立てでもしたら猫とはいえ首を切られてしまう可能性がある。彼はなかなか容赦がない御方だと聞いていた
から逆らわずに大人しくしておくことにした。しかし何をされるかと身構えた私に反して、降りてきた手は優
しく私の体を持ち上げると胸へと抱え込んだ。急に高くなった視界よりも半兵衛様のしたことへの驚きの方が
強かった。猫とはいえたかが女中が一国の城主の腕の中にいるのだ。緊張に動けなくなった私を抱えたまま、
半兵衛様は何処かへと歩き出した。

「おや、半兵衛様。その猫は?」 

途中ですれ違ったこれまた私が顔を合わせることもない程の身分の方が半兵衛様の腕にいる私に気づくとその
存在をお尋ねになった。半兵衛様は彼に軽く挨拶を返すと腕にいる私を見て本当に自然な感じで仰った。 

「拾ったんだ。飼ってみようと思ってね」

なん、だって・・・・??
 
 
--



「飼うとなると名前が必要だね」
 
あれから随分と歩いてようやく何処かに辿り着いたようだ。半兵衛様が足を踏み入れた部屋は城の中でも随分
奥にあるようであまり使われていない部屋の匂いがした。私を畳に降ろすと半兵衛様も腰を下ろして言った。 

「そうだな・・・、なんてどうだろう」 

・・・それは、私の名前なんですが。偶然ですよね。偶然ですよね?これは偶然なんですよね??私が猫にな
っただなんて知っているわけがないですよね?そもそも半兵衛様が私を知っているわけがない。会ったことも
話をしたこともないのに。あ、いや。会ったことはある。半兵衛様は覚えていらっしゃらないかもしれないけ
れど庭の掃除をしていたときに廊下の向かい側にいる半兵衛様と偶然目が合ったことがあった。その時に半兵
衛様が目を反らさないせいでたっぷり10秒ほど見つめ合う感じになってしまったのだ。いや、私が目を反ら
せばよかったんだけれど。まあとにかく私にとって半兵衛様を見たのはそれきりだ。それなら尚更半兵衛様が
私如きを覚えているわけがない。偶然だろう。
 
「」 

しかしながら半兵衛様が呼んでいるのは間違いなく人間の私の名前だ。半兵衛様が私の名前を口にする。猫の
私を呼んでいるのだと分かっているが、どうしても人間の私が呼ばれている気がしてしまう。これはなかなか
心臓に悪い。当初の予想を大きくかけ離れた形での私の猫生活が始まった。 
 
 
--

 
始まってみると、意外にもその生活に苦労はなかった。というか想像以上に私は自由だった。半兵衛様は特に
私にかまうことはなくて、私が様子見で近くに寄った時にだけ頭をなでる程度だった。だから私は昼間は城の
敷地内をぶらぶらと自由に見て回ることが出来たし、好きな時間に昼寝をして過ごせた。忙しそうに通り過ぎ
る女中達に最初こそ自分がいなくなった分を埋めるのに大変だろうと悪く思ったけれども三日もしたらお疲れ
様ですと心の中で言う程度になった。半兵衛様の猫というだけで人間よりも随分待遇が良かった。ご飯とは別
におやつをくれる優しい人もいるし私を見かけると必ず笑ってくれる人もいた。それ程半兵衛様の猫という肩
書きが及ぼす影響は大きかった。それで、丁度半兵衛様の猫生活が二週間になろうとする頃のこと。昼寝もか
なりしてしまいやることがなくなったので半兵衛様の様子を見に行くことにした。一日二回、半兵衛様の様子
見を兼ねて顔を出しに行くのが私の日課になっていた。当然政務の最中だろうけど、まあ猫は邪魔しないし重
要書類なんか読めないから関係ないって事でいつも部屋に入れてもらえた。トコトコと歩いて半兵衛様のいる
部屋の障子の前まで来ると、部屋の中から声がした。
 
「お入り。」
 
半兵衛様は私の気配に気づいていたらしい。障子に手をかけると部屋の中に私を招き入れた。私が入ったのを
確認すると半兵衛様はすぐに障子を閉めた。
 
「大人しくしているんだよ」
 
僕の機嫌を損ねないようにね。と半兵衛様に脅しのような言葉を言われる。大人しく部屋の隅にでも丸まって
いようとした矢先、半兵衛様は自分の膝を叩いた。こっちへ来い、ということらしい。膝の上に猫を乗せて仕
事が出来るのかは甚だ疑問だけれども言うことを聞かないと何をされるか分かったもんじゃないので従うこと
にした。時たま左手で私を撫でるのが、気持ち良くって寝てしまった。そしてそのまま夜は更け、私は半兵衛
様の膝の上で仕事が終わるのを大人しく待ってじっと待つばかりとなっていた。暫くして筆を置く音がして半
兵衛様の仕事が終わったらしかったのでこれで就寝かと顔を上げると、半兵衛様は私を撫でて凄いことを仰っ
た。
 
「今日は、一緒に寝るかい?」 

いやいやいやいやいやいや。仮にも一国の城主と、なんて恐れ多い。朝目が覚めたときに私が人間に戻ってい
たらどうなると思っている。今の私が猫の姿をしているからといったって心は人間の女中としてこの城に仕え
ているままだ。それだけは出来ない。半兵衛様の膝から離れることで断りの意思を示すと、おや、と言った半
兵衛様だったがすぐにふむ、と言うと私にお休み代わりの言葉を言った。 

「今晩はとても冷えるから、凍死しないようにね。」 

起きたら冷たくなっていたなんてやめてくれよ、と言う半兵衛様ににゃあと鳴いて返事をして私も自分の寝床
に向かった。部屋の隅に置かれた籠は布を敷き入れているだけのものだったけれど寒さをしのぐには十分な寝
床だった。私はすぐに眠りについた。ところが夜中、あまりの寒さに目が覚めてしまった。半兵衛様の言った
とおり急に冷え込んできたらしい。身震いしていると私を笑う声がした。半兵衛様だった。まだ起きていたの
かもう目が覚めてしまったのか、布団に入ったままでこちらを見ていた。
 
「やっぱり寒かっただろう?ほら、おいで、」 

布団の端を少し捲ってこちらへ来るように言われる。恥ずかしいだとか恐れ多いなんてもう言ってられなかっ
た。このままでは寒さで凍死する。私は大人しく半兵衛様が開けてくれた場所から布団に入ることにした。
 
「お休み」

優しく私を包んだ腕に、この人が本当に天才軍師と言われる竹中半兵衛なのかと思った。私の暖かさを求める
ように縋りつく半兵衛様からは戦場で勇ましく剣を振るう姿など想像がつかない。戦の策を練るのに忙しいだ
ろうに何故猫なんて拾ったのだろう。猫の相手なんて時間の浪費でしかないと思う。頭のいい人というのはい
まいち何を考えているのか分からない。暖かさでだんだんと下がってくる瞼を閉じる前に、起きたときに人間
にだけは戻っていていなようにと祈って眠りに落ちた。が、神様というのはどこまでも意地が悪いらしかっ
た。翌朝しっかりと人間に戻っていた私は半兵衛様の腕の中で目覚めた。




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