おや、あの顔立ちは同胞さんでは無いだろうか。
都会と違ってここいらの田舎ではさすがに見かけないアジア系の顔に私と同
じ人種かどうかを確かめるべく日本語でその背中に話しかけて見る。
「こんにちは」
彼の背中がかすかに揺らいだのを私は当たりだと確信して近づく。
こちらを振り向いた男性は私が来るのをその場で立って待っている。距離が
近くなるにつれて彼がなかなかの高身長であるのと顔が大変端正であること
に気がついた。見たところ私と同じ大学生という感じだから恐らく学業でこ
の国に来たのだろうと考える。こんなド田舎で彼が何を学んでいるのかは分
からないが。まあそんなことはどうだっていい。とにかく今の私は久しく使
っていなかった自国の言葉を喋れる嬉しさで胸が一杯だ。
「日本人ですか?」
「ああ」
一応と確認のために聞くと必要最低限の応答だけした彼に真面目人間という
言葉がよく当てはまると、心の中で苦笑いを零す。愛想を浮かべない表情の
乏しい顔にこの人とでは話が弾みそうにないとすぐに分かったが、ようやく
会えた日本人なのだから会話が弾まなくても私が喋れればそれでいいやと思
い直して、駄目で元々、大胆にお茶に誘ってみることにした。
「同じ国の人と会うのは久しぶりなんです。
良かったら少しお話しませんか?」
同じ学生でも私と違って忙しいかもしれないから断られるかと思ったが目の
前の彼は少し考えるそぶりをした後、意外にも『そうだな』と返した。人間
関係が面倒くさいとでも言いそうな返事を先ほどされたので了承されたこと
に嬉しくなって思わずやったと言うとそれに対して彼が眉間にしわを寄せて
呆れたような顔をした。私も今のは子供っぽかったと思い、ごめんごめんと
言って話しを変えるために私がよく行くカフェオレのおいしい店を彼に勧め
てそこに行くことにした。
-
絵本作家になるのが夢だった。
子供の頃に読んだ物語というのはなかなか忘れないもので、成長してからも
大体の話の流れを思い出せることにある時私は気がついた。それは子供心に
衝撃を受けた話だから記憶に刻まれたのだと毎日寝る前に物語を読み聞かせ
てくれた祖母が教えてくれた。それで中学生ぐらいのある時に、何かのきっ
かけで私は従兄弟のためにお話を作ったことがあった。思えばそれが私の作
品の第一号だったわけだけれど、所詮子供が考えた話だから中身は支離滅裂
でとても聞いてられる話じゃなかったと思う。それでも従兄弟は最後まで私
の話に耳を傾けてくれた。それは私の中で人に聞いてもらえる喜びと物語を
作る楽しさを知った瞬間だった。同時に私の中で道が拓けたような気がした。
本が大好きな文学少女に成長した私は大学に入ると児童文学コースを専攻し
た。子供の心に少しでも何か残せる話が書きたい。そのためには書き手の感
性が豊かでなければ、メルヘンといえば。とマジカルバナナ的思考で一年間
だけ行くドイツ留学に申し込んだのだった。が、希望人数があまりに多すぎ
て抽選にも敗れた私が飛ばされたのはフランスの聞いたことも無いド田舎だ
った。それでも行ったのは大学を卒業したら本格的に話を書いて売り込みに
行くのだから話の材料になるなら経験しておいて損は無いと考えたからだっ
た。
「学生さんなの?」
お互い名前だけ名乗って対面席に腰を落ち着ける。ようやく彼の顔を近くで
きちんと見ることが出来た。目の前の彼、石田三成は黒いシャツに白い上着
を羽織っていて、それは丁度彼の髪や肌の色と同じだったために私の中で彼
のイメージは白と黒で固まった。白というよりは銀か灰色かもしれないけれ
ど、まあなんにせよ嫌いな組み合わせじゃない。綺麗な銀髪は変わった前髪
がその魅力を損なわせていると思ったが彼のアイデンティティかも知れない
ので触れないでおくことにする。が、髪型を入れても彼は十分綺麗な顔立ち
をしていると思う。鋭い目はアジア系の特徴でなかなか好きになれないこと
が多いのだが彼の場合顔の骨格がいいからだろうか、プラス要素になってい
ると思った。その鋭い目が、私を見た。
「大学三年だ」
「やっぱり大学生だったんだ。私は二年、年下だったんだね」
敬語使った方がいい?と聞くと彼は嘲るように今更か、と言った。
うん今更だね、と返して、だから三成って下の名前で呼んでもいいよね、と
言うと彼は顔をしかめた。私の方が一枚上手だったようです、してやったり。
だっていつまでも苗字で呼んでたら砕けた話が出来ないと思う、馴れ馴れし
いかもしれないけれど、せっかく会えた日本人同士なんだから。大体彼の名
前が石田なのがいけない。それこそ硬すぎて砕けないではないか。
「どうしてフランス留学したの?」
「医療系の大学で、去年はドイツに留学していたが
今年はフランスの医療制度を学ぶことになっている」
「留学はカリキュラムの一環なんだ?」
「ああ」
フランスって医療のイメージ無いんだけど、と言うと彼、三成は保険制度が
日本と大きく違っている、とだけ言った。細かい話をしないのは私が医療知
識に明るく無いからこんがらがってしまわないようにと言う配慮だと思う。
医療系というだけあって彼は発言にも無駄が無い人間らしい。
「医療系の大学ってことはお坊ちゃん?」
お金で入れるって聞くけど、とは言わないでおく、さすがに。
しかし三成にはその言いたい部分が分かったのか、それとも同じようなこと
を聞かれたことが過去にもあったのか不愉快そうに私に『違う』と言った。
「実力だ」
ああ、それは凄いね。勉強すっごい頑張ったんだろうね。私を見る彼の瞳は
とても力強くて此処まで上り詰めてきた、と思わせるようなそんな意志のあ
る目をしていた。その瞳に彼は何か、根本的に私とは違う性根の人間だと思
った。
「私にはやるべきことがある」
そっか、としか返せない。三成は机の上で握った彼自身の拳を見ていて何か
思い出しているようだった。三成の言葉に何があるの、と聞かないのは彼が
答えないだろうと思ったからだ。人の話に初対面の人がそこまで踏み込んで
いいとは思えないし、私だってあんまり重いことを話されても反応に困る。
だから聞き返さないほうがいいと思って黙って運ばれてきたカフェオレに口
を付けた。そうして彼から視線をはずした。
田舎とはいえ漁業が盛んなこの町にはやはり特有の冷たい風が吹いている。
排気ガスを含まないこの風、潮風は鉄、特に車を駄目にするとどこかで聞い
たことがあった。それも風化の一種らしい。あらゆるものをその風に含む塩
が錆び付かせ、寿命を早めるのだと。それならば今私が吸い込んだこの風は
肺を通って私の血に含まれる鉄をも風化させるのだろうか。
拒絶された。
私が大学に入ってすぐ、思い思いに自分の物語を書いて来いという課題が出
された。私は自分の作品を見てもらえるチャンスだとそれはもう意気込んで
作品作りに取り組んだ。絵も文も自分が納得いくまで何回もやり直したし、
家族にも色々此処はどうだろうと意見も聞いて取り入れた。そうしてやっと
傑作だと思える程度には出来上がった物を提出した。しかしその後キャンパ
スの壁に飾られた私の作品についた評価は、中の下。コメント欄に批判の言
葉は無かった。教授にどこがどうだったかを具体的に聞いても褒められるば
かりで欠点を指摘してはくれなかった。のらりくらりかわされ褒められるだ
け。次の課題提出でも評価は振るわなかった。それは私の作風への、拒絶に
取れた。そうしてその優しい教授に私は次第に苛立ちを覚えた。
そんな中、ある子が在学中にデザイン会社との契約を結んだ。あの子より、
私の方が優れた作品を作っているのに。そんなことにまで考えが及んでそれ
ならと作風を変えようとして無理をしたせいでスランプに陥った。講義が嫌
で休むようになった。その間に他の皆は上達していく、私は取り残される。
全てが悪循環する。思考がまとまらない、でも夢をあきらめたくない。
せめて、他の場所で勉強が出来たら、そんな駄々っ子のお願いは、周りの応
援してくれる家族のせいで叶えられてしまった。
そして私は、逃げた。
どれくらい経ったのか、暫くして三成が私の顔をじっと見ていたことに気が
ついて驚く。目がしっかりと合ってしまい、さっきまで考え事をしていたせ
いで呆けていたであろう顔を見られていたと思うと気恥ずかしくなる。手慰
みにカフェオレのコップを包むようにして持つと、もう冷めてしまっていた。
その中身をちょっと口に含んで苦笑いをして三成に向き直ると、私の目を強
く見つめたままで三成が言った。
「貴様は何をしにこの地へ来た」
放っておいた車は、そのまま錆び付いてしまう。
タイミングよく風が吹いて私の髪の毛を流して唇に触れた。今も私の呼吸と
ともに入り込んだこの潮風は私の肺を侵すんだろう、侵し続けるのだ、私が
生きている限り。
目の前の彼は変わらず強い瞳で私を見ていた。怖いと同時にその強い意志の
宿った瞳を美しいと思った。そんな目を私はどうやったって出来ない。
三成の唇は硬く閉ざされている。彼のようにすれば私も信念を貫き通せたの
だろうか。
学ぶためと返せない私は、もうきっと、風化が始まっている。
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