※近親もの



半兵衛がテレビを消した。何となくつけているだけだったから別にいいけれど。ソファに座っている私の肩に
頭をもたれる弟はどうやらご機嫌斜めのようだった。テレビを消されてすることがなくなったのでとりあえず
肩にある弟の頭に手を乗せてみる。嫌がるそぶりが無いのでそのまま撫でた。ふわふわ。

「五月蝿いのは嫌いだ。姉さんの声が聞こえない」

半兵衛が小さくつぶやく。「私喋ってないよ」「今僕と喋ってる」私は半兵衛に口で勝てないと分かっている
から反論はしない。それに半兵衛の言葉がいらつきを含んだのでこれ以上は何も言わない方が良い。私ももう
何も話す気になれなかった。喋るのも億劫だから代わりに半兵衛の頭を撫でた。 

「」
「・・・名前で呼ぶなっていつも言ってるでしょ」
「僕は少し寝る、眠い」
「ムシ?もう永遠に寝ていいよ」
 
蛍光灯の明かりがちらついている。目に悪そうだと思ったけれどここ三日間ずっと放置していた。あえて取り
替えていない。だるい頭を窓辺へやった。分厚い遮光カーテンで閉ざされた向こう、窓の外は今日も曇りだ。
見なくても分かる。昨日も一昨日もその前の日も曇りだった。だからきっと、明日もそうだ。膝に半兵衛の頭
が乗る。 

「僕が寝ている間に何処かに行くなんてことないようにね」
「行かないよ。行けないし」 
 
私の言葉に満足したのか半兵衛は私の手を握ると眼を閉じた。時計は午前二時を指していた。

 
 
 

 
 

小さい頃から生まれつき体の弱かった半兵衛を、私はよくお姉ちゃんだからと面倒を見た。実際弟は大人しく
て可愛かった。幼いながらにこの子を守るのは私の役目だと思って私は常に半兵衛のそばに居たのを覚えてい
る。お父さんとお母さんは仲良きことは美しきこと、等と言っていつも二人一緒に居るのを見ては笑ってい
た。共働きの両親は毎日仕事に行く。まだ小さかった半兵衛の面倒が見れないのを心配していたけれど、私と
半兵衛の様子を見て心配無いと判断したらしい。

『半兵衛はの言うことは聞くから大丈夫ね』
 
そう言ってそれまで以上に半兵衛と私を一緒に居させるようになった。そのおかげか成れの果てか。私と半兵
衛の仲のよさは成長しても変わることはなかった。いや、むしろ半兵衛は成長するにつれて私への執着を強く
していった。どこへ行くにも一緒で私が半兵衛の見えないところ、それがたとえトイレのために席を立っただ
けであっても半兵衛はどこへ行くのかを聞くようになってすぐに帰って来るように言った。その頃はまだ私も
小さかった。だから単に、半兵衛は寂しがり屋なのだと片付けていた。

『本当に仲が良いよね。たまに恋人同士に見えるよ』

そんな風に言われたことがあった。言ったのは誰だっただろう、もう思い出せないけれど。中学生になった私
は他人にそんな風に見られている事に少なからず衝撃を受けた。だけど確かにいつまでも兄弟でべったりとあ
っては私にも半兵衛にもこの先きっとためにならない。そう思って一大決心をして半兵衛に言った。 

「私も中学生になったし、半兵衛より学校の部活とか勉強とか友達を優先したいから今までみたいにずっと一
緒にはいられない」
 
私がそう言うと半兵衛はその意思を秘めている様な紫の瞳で私を見て、それから変声期真っ只中で低くなりつ
つある声で言った。

『それは僕より大切なことなの』

その時、半兵衛は小学校六年生だった。私にはその数字がもうを意味するのかまだを意味するのかが分からな
かった。ただ、半兵衛は姉と遊べなくなるのが嫌でそう言ったのかもしれない。私が単に、その人の言葉を真
に受けすぎただけなのかもしれなかった。あれだけ私といつも一緒にいたのに、急にそんな事を言われたら誰
だって戸惑うだろう。実際半兵衛は体が弱いせいで外で遊べず、それが原因で友達も少なかった。言うにして
も、突然過ぎたかもしれない。考えてみれば半兵衛はまだ小学生で、兄弟で仲良く遊んだとしても少しもおか
しくは無い。私が中学生で心境に変化があったところで半兵衛はまだ周りにどう見られているかなど全く分か
らない年で。きっとあと二、三年もしたら嫌でも周りの目だって気になるようになる。そうなったらむしろ半
兵衛の方から私に距離を置くようになるはずだ。もう少し年月が経たないことには今私が言った言葉の意味は
理解できないかもしれない、私はそう思った。それで『これから少し忙しくなるからあんまり遊んであげられ
なくなりそうなの、ごめんね半兵衛』と言い直した。半兵衛は、微笑んだ。

「早く帰ってきて、姉さん」

うん、と答えた気がする。
 
 
 
 
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ある金曜日のことだった。私が高校二年生で半兵衛が中学を卒業も間近に控えた頃、転機が訪れた。その頃に
はもう半兵衛は私の身長を追い抜いていたし、中学に入った当初から涼しげな顔立ちは学校の女の子達の間で
注目を集めていた。何より幼い頃からずっと私が半兵衛の良い所だと思っていた落ち着いた優しい物言いをす
るところにやはり魅力を感じている女の子が多いらしかった。ただ残念なことに半兵衛の私への執着だけは成
長しても相変わらずだった。私はよく、半兵衛に手紙を渡して欲しいと頼まれるようになった。最初の頃は律
儀に受け取って半兵衛に渡してあげていたけれど、何回もそんなことが続いたためにさすがにきりが無いと断
るようになった。だから今回私を呼び出した人も私が断ると知ってても駄目もとで半兵衛に渡して欲しいと頼
みに来たのだと思った。

「竹中さんのことが好きです」
 
ただ、そう言って頭を下げた相手は男の子だった。半兵衛は男にももてるのかと驚いたが、姉としてはこれに
は少し弟の貞操の危機を覚えた。確かに私は一度でも半兵衛が女の子から受け取った手紙を読んでいるところ
を見たことは無かったけれど、だからといって半兵衛が男の子に興味があるという話も聞いていなかった。
 
「あの、半兵衛は男性をそういう対象として見ていないと思います」

今後半兵衛がそういう眼で見られないようにと、姉として威嚇の意を込めて私が強めに言うと目の前の男の子
は顔を赤くさせて言った。

「俺が好きなのはさんです」

ああ、私。今この目の前にいる人は私をさして言ったのか。そっか、普通に考えればそうだ。半兵衛にはしょ
っちゅうだけれども私自身にはこれまで一回もそういうのはなかったからひどく驚いてしまった。自分の場合
の対処の仕方は全く考えていなかったのでどうすればいいのか分からず固まってしまった。と、その男の子は
一枚の紙を差し出した。反射的に受け取ってしまったそれは、見ると映画のチケットだった。
 
「日曜日に、良かったら行きませんか。十時に駅前で待ってます」

そう言ってすぐに走り去っていった男の子を咄嗟に引き止めることができずに、しょうがなく私はチケットを
もって帰ることになった。それで家に帰って、とりあえずその告白のことは頭の隅に押しやってすぐに制服の
袖をまくって夕飯の支度に取り掛かった。お母さんとお父さんは仕事だから夕飯はいつも二人で早い地間にと
ってしまうのだ。少し経った頃、玄関のドアが開く音がして半兵衛が帰ってきた。リビングのいい香りにつら
れてか、半兵衛がキッチンに顔をのぞかせる。 

「今帰ったよ、姉さん」
「うん、お帰り半兵衛。もう夕飯出来るからリビング行ってて」
「分かった、そうする」
 
半兵衛はいつも食卓の準備をしてくれた。頼んでいないのに半兵衛は私が椅子の背にかけたままの制服の上着
だとかをハンガーにかけて私の部屋まで持って行ってくれる。本当によく出来た弟に育ったと思う。そういえ
ばそのリビングの椅子に今日は鞄を置いたままだったのを思い出した。多分大丈夫だとは思うけれども中には
貰ったチケットが入っている。捨てるには私の良心が痛んだのでとりあえず鞄に入れたままでいたのだ。少し
迂闊だったかもしれないと思った時にはがしゃん、と何か物が壊れる音が半兵衛のいるリビングからした。嫌
な予感がした。お母さんが気に入っていた花瓶が割れたらしい、いや半兵衛が割った音だった。半兵衛の足音
が近づいてくる。

「」 

計ったかのようなタイミングでことが起きたなあと心の中で溜息をつく。けれども呼ばれた声に体はびくりと
震えていた。弟にびびるなんて、自分に呆れる。だけど急に半兵衛が私を名前で呼ぶからだ。本当に最近、そ
れも時々だけれど、半兵衛は私を名前で呼ぶようになった。何でかは知らない。気配のするキッチンの入り口
を向くと半兵衛がさっきとは別人のような顔をして立っていた。いつからそんな顔をするようになったのだろ
う。とりあえずここで焦って取り乱したら半兵衛の思う壺だと思い、私は平静を装って持っていたお玉を置く
と半兵衛に向き直った。半兵衛の目は静かに、それでいてしっかりと怒っていた。
 
「これは、何」 

あの頃と違って完全に低くなった声が、私がいつか半兵衛に言われた言葉を思い出させた。『それは僕より大
切なことなの』あの時と全く同じ声。違うのは、今は私が半兵衛に攻められている立場にあるということだっ
た。もしかしたら私が気づかなかっただけであの時も半兵衛は私に怒っていたのかもしれない。いや、今はそ
んなことはどうだっていい。どうして私が半兵衛に怒られなきゃいけない。どうして勝手に人の鞄を探ったの
か、それが今私は気に入らなかった。 

「人の鞄、勝手に見ないでよ」
「やましい事が無いなら堂々としていればいい」 

別にやましい気持ちも隠すつもりもない。ただ言えば半兵衛は怒る。それが面倒くさいから言いたくないだけ
だ。昔からそう、私が男の子と遊ぼうとすると半兵衛は異常なほど怒るのだ。話すのも駄目だったし半兵衛の
いる前でおはようなんて笑って言おうものなら部屋を荒らして暴れた。あんたは一体私の、何。そう言いた
い。私だってもう高校生で弟の変な独占欲に付き合ってられる程暇じゃない。こういう場面になると可愛くな
い弟だといつも思う。特に私が高校に上がってからはエスカレートする一方だった。学校が別なのが唯一の救
いだろうか。 
 
「何か最近半兵衛変だよ。私何かした?」
「誰と行くんだい。男?」
「聞いてるのはこっち。何で半兵衛にそこまで詮索されなきゃいけないの。私だってもう高校生なんだから休
日に遊びに行くくらいする」
「僕が行かせると思ってるの」
「何で遊びに行くのにいちいち半兵衛の許しがいるの」
「は僕よりその男との約束が大事なの」
「何言ってんの、半兵衛は弟でしょ。その歳にもなってそんな事言って、知ってる?そういうのシスコンって
言うんだよ」
「それで?」

恐ろしく低い声だった。もう何を言っても半兵衛と考えが一致しそうに無かった。いらついて完全に頭に血が
上っていた私は思い切り溜息を吐いて半兵衛に向かって言葉を乱暴に吐き捨てた。 

「いい加減ウザイ。いつまでも私にばっかり付きまとってないで彼女でも作りなよ。手紙だって一杯もらって
るし簡単でしょ。私は半兵衛に手紙渡しても何も言わないのに、なんで半兵衛は私が男の子と話すだけでそん
なに怒るの。意味がわかんない。私が誰とどこ行こうが私の勝手でしょ。この日曜日は誘われたから映画見て
くる。それで半兵衛とはしばらく話さない、距離を置くことにするから」 

こんなに強く半兵衛に言ったのは初めてのことだった。今まで溜まっていたものが出て行くのを感じた。私は
すっきりしたけれど目の前の半兵衛は少しも納得していないという顔をしていた。
 
「僕から距離を置く?」 

一拍置いて半兵衛が紡いだ言葉はしんとしたキッチンに恐ろしくよく響いた。すこし愉快そうに口角を上げて
半兵衛が笑ったのに、背筋が凍りついていく感覚がした。

「殺すよ」

その目はあまりにも本気だった。半兵衛はいつからそんな眼をするまでになってしまったのだろう、言われた
言葉よりも私はそんなことを思った。



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