「いや、無理でしょう。それは」
 
思わず声にでていた。廊下を歩きながら女中頭さんに先ほど言われたことを思い出す。私はこの城に女中とし
て仕えてまだ年が浅い方だ。だというのに、いやおそらくだからこそかもしれい。数々の年配の女中さんがた
が彼についてだけは何年も仕えてきたのにやりづらいと言うのを、随所で聞いていた。というか怪我をさせら
れただとか帰ってこなかった女中がいるだとかいう噂まであった。それはさすがにないだろうとは思うけれ
ど、うん、やりそうな人ではある。そうしてその誰もが嫌がる役目はめぐりめぐって一番歳の浅い命令しやす
い私に回ってきた、いや、押し付けられたというわけだった。逃げたい。激しく逃げたい。大体そんな大先輩
達が手に負えないのに私にできると思っているのか。無理だ。そんなのは無理だ。 

「今から石田三成様のお世話をしてもらうから」
 
女中頭が言ったその言葉の後にだから死んで来い、と言う言葉がついてる気がした。いや、事実聞こえなかっ
ただけでついていたと思う。え。と間抜けな声しか出せなかった私に同期の子は三成様は手がかからなくて楽
だと聞いてるわ、頑張ってね。と口では励ましのエールを、目には同情と、お前死んだな。というメッセージ
を浮かべて私の肩に手を置いたのだった。ああ、何だ。今日が命日か。こんな終わり方嫌だったな。
それでさっそく部屋にいる三成様にお茶を持っていくよう言われたので仕方なく今私は三成さまのいる部屋へ
と向かっていた。三成様はお茶なんて飲むのだろうか。ぬるくてもまずくてもぶったたかれそうな気がする。
嫌、むしろ理由もなくその場で斬り捨てられるかもしれない。どうせ殺されるんなら斬殺だけは止めてもらう
ように言おう。それすら聞き入れてもらえないかもしれないけれど。さあ、もうこの障子の奥は三成さまのお
部屋だ。覚悟を決めなくては。いまだかつて人の部屋に入るのに冷や汗で震えたことなどあっただろうか。い
や、ないね。(反語)
 
「三成様、お茶をお持ちいたしました」 

少しして三成様が筆をおいた音がして、あ、三成様もお茶飲むんだな、って思った。考えたら三成様だって人
間なわけだから当然なんだけど。

「入れ」

いや、そこは置いとけ。の間違いでしょう。え、入るの?入らなきゃだめなの?いいじゃん、ここ置いとい
て。置いといていい?てか逃げていい?

「・・・失礼します」
 
悲しいかな。女中に意見など許されるわけがないのだった。こうなったらおとなしく切られないようにしてお
くしかない。

「どうぞ」

湯飲みをもつ私の手が多少震えてる気がしたけど、そんなの全力スルーだ。全て錯覚である。いいから三成様
はやく下がれって言ってください。全力で下がらせていただきますから。
 
「貴様、手が震えているぞ・・・」
 
いやああああああああ!!!!よりによって話しかけられるだなんてええええ。どうする、なんて返せばい
い、なんて返すんだ。いっそてめーのせいだ馬鹿!とでも言ってみようか、いや、斬り捨てられる。文字通り
私が斬り捨てられる。てかどうしてそこに触れますかね、三成様!!デリカシーがないですよ、ええ、まった
く!
 
「実は、その、お腹がすいていまして・・・」
 
死んだな。同期の子の目に狂いはなかったよ。主人にお茶出してる前でお腹減ったとか凄い皮肉かましちゃっ
たよ。まるでお前が俺を酷使するから飯食う暇がねえんだよ、って言ってるみたいにとられても文句言えない
ね、これ。三成様がなんか言う前に謝らなきゃ。こっち超見てるよ。

「ですぎた事を申し訳ございません。私入って日の浅い女中でございまして、勤めも初めてでございます。言
い訳になってしまいますが、至らない点が多々あると思います。どうぞご容赦くださいませ。あと切実に斬ら
ないでください」
 
そこまで一気に言った私はようやく顔を上げて三成さまの顔を見た。無表情。だけどどうやら私の言ったこと
に対して怒っている様子ではなかった。 

「で、結局貴様が震えているわけは何なのだ」

まさか三成様と会話をする羽目になるとは思わなかった。三成様の手には私から受け取った湯飲みがある。飲
むところが見てみたいと思いつつも、そんな要望を口にできるわけがない。 

「それは正直に言っていいんですか」
「・・・・ああ」

何だ今の間は。返答しだいで斬るという意味が含まれているように感じたんですけど。ああ、もうどうにでも
なれ。ままよ! 

「三成様にお茶がまずかったらぶったたかれるか切り捨てられるんじゃないかと思ったら手が震えました。
ごめんなさい」

・・・・・いや、何か言ってくださいよ。おそるおそる頭を上げて三成様を見ると、湯飲みに口をつけてい
た。前髪邪魔じゃないのだろうか、てか飲んでる。飲んでる!三成様が飲んでる!感動した。

「貴様ごとき、いちいち刀を抜くのも面倒だ。もう良い、下がれ」 
「えっと、おいしかったですか?」 
「・・・・・・・・」 
「ああ、えっと、それでは、失礼しますね」 

あ、私、生きてる。生きてもう一度この障子を開けることができたんだ。やばい、生きてるって素晴らしい
ね。てか、もう来ない。こんなところもう来ない。今熱く硬く胸に誓った。三成様が思ってたよりも人間だっ
たのは分かったけどそれでももういい。今回は奇跡の生還だった。さらば三成様、二度とごめんだ。そう思っ
ていたらその日の夜また女中頭さんに呼び出された。またかよと嫌な予感しかしない私のそのカンはそうして
見事に当たったのである。
 
「三成さまがを気に入ったみたいで、世話役にとのことだから、今後はそっちに言って頂戴」 
「いや、だから無理だって。普通に」

なぜ私を所望されたし。気に入られる要素とかどこにあったよ。だめだ、三成様が理解できない。いや、あの
前髪を見たときに三成様を理解するのは一生無理だと思ってあきらめたけれど。なぜ自分が、と納得がいかな
いけれども逆らって罷免されたら実家に住む両親までも路頭に迷ってしまう。私に残された道は言い渡された
役目を果たすことだけだった。早朝、三成様は大体のことはご自分でなさるから、お食事だけをお持ちすれば
いいという女中頭さんの言葉通り、私は朝餉だけを出すことにした。

「三成様、朝餉にございます」

昨日ほど震えていないことにほっとしていると、「入れ」という昨日と同じそっけない声がした。中に入ると
これまた昨日と少しも変わらない三成様がいた。あ、何かまた昨日と同じく緊張してきた。怖いんだよこの
人。とっとと朝餉をお出ししてずらかろうと準備をはじめると三成様が言った。
 
「今日は震えていないようだな」 

ああ、わたしのこと覚えていましたか。うん、まああんな失礼なこと言った女忘れるわけないですよね。てか
その言葉私を馬鹿にしてますよね。ええ、馬鹿ですけれども。もうなんかどうでもよくなってきたぞ。いいや
もう、いっそ斬られてしまおう。いつかは斬られてしまうんだったらいつ斬られてももう変わんない気がする
し。さらばだ、わが儚き人生。

「三成さまの女中にとのお達しをいただきました。身に余る不運に開き直ることにいたしましたら震えも止ま
った次第でございます」
 
あ、三成様が笑った。
一瞬だったけど。


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