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「私達、これからいつでも一緒ですね!」 「ね!いっぱいお喋りしようね!」 お互いの掌を合わせて軽く叩き合う。にっこにこの鶴ちゃんを見ていると、私まで訳も無く笑 顔になってしまう。好きな明るさだった。正直、肩の荷が下りたような、ほっとした気持ちに なる。鶴ちゃんにもばれないように視界だけで周囲をそれとなく見回せば、後方に入る家康の 姿。大分離れてしまったことを寂しく思いもしたけれど、くじ引きで決まったのだから文句は 言えない。 「私達、運命で繋がっているんですよ!」 「またもー、鶴ちゃんはすぐそういう・・・」 「えへ!だって嬉しいです!」 タイミングがいいのか悪いのか。でも隣の席にいながら何も話さないという緊迫した空気に比 べれば、このタイミングで席替えがあったのはラッキーだったのかもしれない。 私の新しい席は教壇に程近く、黒板も良く見える前列から二番目の席。すぐ後が鶴ちゃんだ。 家康は教室の大分後方に座していた。 これも何かの天啓かもしれない。暫く一人にしてと宣言したのだから、その通りに今は頭を冷 やす事に時間を当てた方が良い気がした。腐っても高校三年生、あまり色ぼけている場合では ない。勿論、家康のことは気にかかるけれど。 「そういえば、さん」 「ん、なに?」 鶴ちゃんのどこか間の抜けたような声に現実に引き戻される。私の制服をちょっと抓んで引っ 張る鶴ちゃんに従い、私は椅子の背を後に倒した。 「昨日の剣道部のお手伝いはどうでしたか?」 「ああ、うん。まあまあだったよ」 「大丈夫でしたか?誰かに虐められたりしませんでしたか?」 「うん、それも無かった。竹中先生も気遣ってくれたし、何とかやっていけそうかな」 そう言うと鶴ちゃんは「何かあったら私を呼ぶんですよ!」と拳を作って言った。いつも思う んだけど、私の心配はそこまでする必要がない様に思う。実際鶴ちゃんの方が可愛いし、目を 付けられるとしたら鶴ちゃんだ。そう言えば必ず鶴ちゃんは私の両手をぎゅっと握って「私は を一番に思ってます!」と訳の分からない事を言うけれど。 「あ、剣道部に強力な助っ人をお願いしておきましたよ!」 「え、助っ人?」 「はい!ふふ、楽しみにしていてくださいね!」 きっとの心強い味方になってくださいます。 そういうと、鶴ちゃんは人差し指を唇に当てて可愛らしく微笑んだ。穏やかな、春の日差しの ような笑みだった。その笑みの向こうに見える家康の姿をもう暫く、見たくないと思った。 -- ダン、と。足元の床を通して凄い振動が伝わって来た。はっとして我に返れば、自分の周りに いる剣道部員達に気がつく。そうだった。今は剣道部の手伝いに来ていたんだ。 集中しなくてはと頭を軽く叩いて脳みそを起す。家康との事があってから、私はたまにボーっ として自分の世界に浸る事が多くなった気がする。集中しなくてはまた何か失敗をやらかして しまいそうで危ないと思った。反省だ。 急いで音のあったほうを見やれば、大勢いる剣道部員の輪の中に石田君と伊達君を見つけた。 向かい合う二人の間に流れるのは穏やかとは言い難い雰囲気で、何か、あったんだろうか。 「貴様、もう一度言ってみろ・・・」 「テメエのやり方が気にいらねえって言ってんだよ。you see?」 石田君は伊達君の胸倉を掴んで壁に押さえつけている。それを動じた様子も見せず同じように 睨み返す伊達君。今にも殴り合いの喧嘩が始まってしまいそうで、一体何が原因でこんな状態 になっているのか分からず、私は立ち尽くした。 二人が剣道部の主将争いをしていて、もともと仲が良くないのは聞いて知っていた。だけど。 先生を呼んできたほうがいいだろうか。記録用紙を挟んだバインダーを手近なところに置いて 体育館の教官室に向おうかと思ったとき。 「くだらねえ。行くぞ、テメェら!」 伊達君が大きな声で言って石田君の手を振り解いた。体育館の入り口に向って大股で歩きだす 伊達君の背を未だ睨みつける石田君。筆頭、待ってください!と言って伊達君を追いかけてい く部員達。その数はやはりというか、私が想像していた通りかなりの数だ。 隣クラスの長曽我部君同様、伊達君に付き従う後輩は相当多い。伊達君達が出て行ってしまっ た後、体育館は一気にがらんとして元の人数の半分以下にまで減ってしまっていた。皆、辞め ていってしまうんだろうか。石田君は未だ、その場に立ち尽くしている。その細くて薄い背中 が寂しそうに見えた私は、気がつけば石田君へと歩み寄っていた。 「あのね、石田君」 石田君の背後から手を伸ばし、持っていたペットボトルをそのこけた白い頬に当てる。突然の 冷たさに驚いた石田君は目を見開いて私を振り向いた。 「私、石田君の味方だからね」 私がそう言えば、石田君の瞳が更に驚きに見開かれる。 彼にもカリスマ性はあると思う。だけど人がついてこないのは、この損をする性格が災いして いるんだろうと思った。哀れと言うか、勿体無い性格だ。でも私は昨日、石田君に鞄を持って 貰った優しさを知っているから。今は石田君の味方をしてあげたいと思った。 此処に残った人達だって、きっと石田君の事を少なからず理解している人たちだと思うし。 一体何があったのかは分からないけれど、石田君はもっと皆を信用してもいいと思う。 「もっと肩の力を抜いて。そんなんじゃ、誰もついてきてくれなくなっちゃうよ」 「・・・分かったような口を利くな」 「でも進んで喧嘩をふっかける主将なんて、石田君も嫌じゃない?」 「ふっかけるだと?原因を作ったのはヤツが先だ」 不機嫌丸出しな声音でぽつり言ったかと思えば、まるで子供のいい訳みたいな事を言う。 こんな時、家康だったら素直に己の非を認めただろうなとは思ったけれど、すぐにその考えを 打ち消した。石田君と家康を性格の点で比べるのはフェアじゃない。石田君は不器用だし。 視線を足元の床に伏せた石田君はまるでうな垂れる犬のようだった。あんなに伊達君に噛み付 いていたのに、急に悄らしくなっちゃって。私の言った事がそんなに図星をついていたのだろ うか。 「お節介だとは思うけど、でも私、石田君が誤解されるのは嫌だから」 そう言うと、石田君は面食らったかのような顔をした。最近会ったばかりの人間が何でそんな 事を言うのか分からない、と言いたげに眉を寄せて不可解な者を見る目をする。 考えている事がすぐ顔にでる、分かりやすい人だなあとその石田君の表情を見て内心笑う。 まあ人当たりが良く無い分、顔に感情が出るのはいいことだ。さて、こんな事をいつまで考え ていても仕方が無い。性格は直せないし、減ってしまったものは戻らない。 「部員は随分減っちゃったけど・・・」 竹中先生がこの惨状を見たら何て言うだろうか。まず怒りそうだな。伊達君がいなくなったと いうことは実質、石田君が剣道部の主将になるんだし、代表責任だとか言ってネチネチ責めら れそうだけど、まあそれも仕方が無い。 ただ、私も二週間助っ人を頼まれている分はきっちり働いて彼のサポートをしてあげよう。 石田君って不器用で、放っておけないような感じだし。目線を私へとやる石田君に、私も目を 合わせる。 「大会、頑張ろうね!はいこれ、石田君のタオル!」 もう一方の手に持っていた清潔なタオルを一方的に石田君の頭に被せてわしゃわしゃとした。 もうこの件は気にするなという意味も込めてやったんだけど、石田君からはすぐに貴様ッ!と いう抗議の声が上がった。だけど気にしないで更に髪を混ぜてぐちゃぐちゃにする。 多分、石田君の鋭利な前髪も今は散り散りのぎざぎざだろう。面白そうなので興味半分、どう なっているのか見たくてタオルの隙間から石田君の顔を覗き見れば、赤い耳が見えた。 怒っているんだろうか、それはまずい。急いで手を離し、石田君に何か言われる前にとタオル を持って部室の奥へと駆け込んだ。だけど石田君は追ってこない。助かったみたいだ。 剣道部の大会まで、あと一週間と五日。鶴ちゃんが言っていた助っ人とは一体誰のことだろう か。部員として来てくれる応援だったらいいんだけど、なんて思いながら、石田君の頭を混ぜ たタオルを洗濯機に入れる。今度、彼に差し入れでもしてあげようか。 私が昨日彼に貰った優しさを、この二週間に恩返しとして出来ればいいなと思った。