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「あ」 校門まであと10メートル、この信号を渡ってすぐ右に曲がったら校舎が見えるというところ で、前方に人が見えた。石田三成君。 信号が青に変わってしまう。このまま行くと渡ったところで顔を合わせてしまう事になるだろ う。こんな時に限って一番顔をあわせたく無い人と鉢合わせになってしまう自分の運の悪さを 呪いたくなる。最悪だ。服をかっちり着込んで真っ直ぐにこちらへと向ってくる石田君はまだ 私の姿に気づいていない様子だけど。信号が青に変わった。私は顔を伏せて一歩を踏み出す。 『女性の方は生徒会の方です。以前、目にした事があります』 緊張にドキドキとした胸、頭の中には昨日の夜情報をくれた鶴ちゃんのメールの文章が思い出 された。家康は生徒会長だから、生徒会の子と仲が良くて当然だろう。ということはやっぱり 有り得ない話では無いのか。前方より迫り来ているであろう石田君の姿を想像すると苦い気持 ちになっていく。彼が言った言葉は、当たっていたのか。考えたくない。 言う通りになったなと石田君に鼻で笑われやしないだろうか、まだこの話を耳にしているとは 思えないので大丈夫だとは思うけれど、今は話しかけられるのすら嫌だった。 ちらり、伺い見る。 「・・・っ!」 目の前にいた。お互いの距離は5mもない。しっかりと向こうはこちらを見据えていて、目が 合う。私は胸の奥から黒く重い物がこみ上げてくるのを感じて目を伏せた。ほぼ同じタイミン グで曲折して校門を潜ると、顔を合わせる状態ではなくなったけれど。だけど。 石田君はしっかりとこちらを見ていて、別段表情はなかったけれど、それでもあの目は知って いると言うような目だった。 -- 「鶴ちゃん」 「はい」 「私、やっぱり一度家康に聞いてみようかと思う」 「えっ・・・!」 教室に入り挨拶を交わしてすぐ。私はそう決断した。このままじゃ家康との仲に亀裂が入りそ うで、私が駄目になる。家康の事が好きで、ずっと彼女でいたいと考えているなら、わだかま りや気になっていることはきちんと話をして解消しておくべきだと思った。 鶴ちゃんは驚いたようにする。きっと気の弱い私がそんな思い切った決断をしたことに驚いて いるんだと思う。でも私はそれくらい家康に真剣だ。石田君にも、負けたくないのだ。 家康をあきらめたくないと伝えたくて小さく微笑むと、分かってくれたのか。少し心配そうな 顔をしつつ、それでも鶴ちゃんは頷いてくれた。 「何かあったら、必ず私を頼ってくださいね。を泣かせる人には一発バシッ!と、  手痛い施しをしてさしあげちゃいますから!」 「うん、ありがとう!」 鶴ちゃんがそう言ってくれるなら百人力だ。嘘でも私の味方をしてそこまで言ってくれるのが 嬉しい。お互いに一度、手を強く握って別れた。日曜日に鶴ちゃんと頑張ろうね、と約束をし たのが思い出される。私は気合を入れて自分の席へと向った。 「家康」 「おう!お早う、」 「うんお早う。えっと、あのさ、ちょっといい?」 元気いっぱいな、私を認めて輝いたかのような家康の顔に決意が揺らいでしまいそうになるけ れど、ぎゅっと拳を握って自分を鼓舞する。「いいぞ」と明るく言って軽快に立ち上がった家 康の先を行き、人気の無いB棟の踊り階段まで歩いていく。ここなら人は通らない。その代わ りひんやりとした空気に私の心は冷やされていった。今なら、冷静に言えると思った。 「ねえ家康、日曜日に誰かと出かけてたよね」 「ああ、よく知ってるな。それがどうかしたのか?」 「偶然見かけちゃって・・・。家康が、他の女の子と腕を組んで歩いてるところ」 私の視線は家康の足元の安タイルに向いていた。家康の真っ直ぐな瞳を見てこんな話をするな んて到底出来そうになかったから、これが限界だ。顔を上げていれば家康の表情がどんな風に 変わったのか分かったかもしれないけれど、その変化を見る勇気も臆病な私には無かった。 悲しませるだろうか、怒らせるだろうか、分からないけれどドキドキと緊張に五月蝿く鳴る自 分の鼓動に時を長く感じた。早く答えてと祈るような気持ちだ。 少しおいて、私の耳に家康の言葉が届いた。 「腕くらい、組むんじゃないか?」 頭が、白くなる。予想外の言葉だった。私が次に考えていた言葉も反論へのお返しも家康のそ の一言に何もかも吹っ飛んでいった。 そこでもっと家康の考えを聞くべきだったのかもしれないけれど、それすらする気が起きなく て、ただもう家康とこれ以上話すのが嫌になった私は気がつけば「そう」と一言言って踵を返 していた。なんて軽いんだろう。家康も、私も。 だけど家康が、こんな事を言うなんて思ってなかったから。私が遊ばれていたんじゃなかった と分かってもこんな答えはあんまりすぎて。鉛を引きずるようにして教室へと向う。 もう考えたくない。大丈夫、こんな時は鶴ちゃんが私を慰めてくれる。鶴ちゃんがいる。そう 自分を励ますけれど目の奥から溢れてくる熱いものは止められなくて。 廊下のどこかで、誰かが小さく笑う声が聞こえたような気がした。 石田君なのか、それとも他の誰かのなのか。今の私を笑っているように聞こえた。 -- 「君」 「あ、竹中先生・・・」 お昼休み、屋上で鶴ちゃんとお昼を終えて教室に戻る最中だったところを呼び止められた。 竹中先生とはあまり面識が無い。というか授業で指される以外に言葉を交わした事なんて一度 も無い。真っ白だな、この先生。そんな事を思いながら近づいてきた竹中先生に視線を合わせ ると。 「君は確か帰宅部だったね」 「はい、そうですが」 「なら丁度よかった。頼みたい事があるんだ」 そう言って先生が私に差し出してきたのは入部届けと書かれた紙。勧誘、その単語が頭に浮か んで私が眉を顰めると、それに気づいた先生が一つ苦笑いを零して「まあ、話だけでも聞いて くれ」と言って食い下がった。というかこれは聞かなきゃいけないんだろう、仕方ない。 横で黙って聞いてくれていた鶴ちゃんに先に教室に戻るように言う。手を振って別れると、竹 中先生は「話が分かるようで助かるよ」と微笑んだ。 「実は先日、剣道部のマネージャーが辞めてしまってね」 「はあ、それで私にですか?」 「そう。でも、もともといなくても困りはしないんだ。ただ大会のある二週間だけはそうも行  かないから誰かに臨時で入ってもらおうと思って」 「でも何で私が・・・?」 「大して理由は無いよ。意外と帰宅部の人は少ないからね、それで君に白羽の矢がたったとい  うわけかな」 いまいち私が選ばれた理由に釈然としない。中学でもそうだけど、私は部活動に精を出すタイ プではなかった。どちらかというと自分の時間を大切にしたい人間だし、だから社交性や協調 性も低い方だった。そんな私が。手に持った入部届けの紙に今一度視線をやると、そこには剣 道部と書かれていた。男の子ばっかりで、尚更やっていく自信が。 「勿論、評価は成績にも入れるよ。どうだい?引き受けてくれるかい?」 上手いこと言うよなあと思う。二週間やって成績に加点されるなら確かにおいしい話だ。 紙から視線を竹中先生に戻すと、先生は端正な顔に小さく頬笑みをたたえて私を見る。男性な のに綺麗だ。 「二週間だけでいいんだよ」 そう竹中先生が言ったと同時、お昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。「おや、鳴ってしま った。それじゃあ放課後までに返事を聞かせてくれ」と言って踵を返す竹中先生のスーツを私 は咄嗟に掴んで引きとめる。少しの驚きとともに振り返った竹中先生。 「分かりました。私、それ引き受けます」 「そう、助かるよ。それじゃさっそく今日の放課後道場に向ってくれたまえ」 「え!今日からですか?」 「そうだよ。何か用事でもあるのかい?」 「あ、いえ無いです。大丈夫です・・・」 「なら頼んだよ」 そう言って今度こそ竹中先生は行ってしまった。 本当は剣道部のマネージャーなんて引き受けたくない。前回先生の頼みごとを引き受けて痛い 目にあったのをまだ覚えているし。でもこうでもして時間をつぶさないと、家に帰ったら嫌な ことばかり考えてしまう気がした。 朝のあれ以来、家康と口もきいていない。 どうして声をかけて来てくれないんだろうと怒りが沸くけれど、私はその程度だったのかと悲 しい気持ちの方が大きくて、隣の席にこれ以上居続けるのだって苦しかった。第一、家康が何 を考えているのか、分からない。 暫く一人にして 放課後、家康の机にそう書いたメモを残して一人で教室を出た。誰にでも優しくて、分け隔て なく接する家康は大好きだ。でもそれがどこまでもその考えなんだとしたら、私はやっていく 自信が少しだけ、今は無い。追いかけて来てすらくれないことに、涙がこみ上げる。 家康は本当に、私が好きなんだろうか。そればっかり考えてしまう。