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チャイムが鳴って待ちに待ったお昼がやってきた。 家康はシャーペンや消しゴムやらを乱暴に机の端に押しのけ、教科書を机の引き出しに仕舞い 込むと急かすようにして私の名前を呼んだ。 「、昼だ!」 「うんうん」 言われなくても分かってる、と言いそうになったけれど家康のわくわくとした顔を見ていたら 言葉が引っ込んでしまう。憎まれ口すら通用しなさそうで、まるで小さい子供のよう。小さく 笑って、取ってくるから待っててと言い、私は弁当を取りに立ち上がった。 いよいよ昨日約束していたお弁当のお披露目だ。 以前大会の時に頼まれて弁当を作ってあげた事があったけれど、今回は朝、顔を合わせた家康 に開口一番弁当を持ってきたかと聞かれたのでプレッシャーがあった。楽しみにしてくれてい るのは嬉しいけれど、期待に応えられるか不安だ。詰めてきたおかずを思い出す。 どれも家康が好きだと言っていた物ばかりで、早起きして作った会心の作だ。きっと気に入っ てくれるはず。うん。そう思ってロッカーから二人分の弁当の入った紙袋を取り出した。さあ 行こう。息を一つして決心をしたとき。 「家康先輩!!」 教室の入り口からした声に足が止まる。もしかしなくても、また。 そう思って声のした先を見ると、下級生達が教室の入り口で家康を呼んで待っていた。しかも 今回はこれまで以上に人数が多い。何やら小袋まで手にしている始末だ。 はあ、と溜息が出そうになる。教室の入り口を塞がれてしまい、私は紙袋を持って廊下に立ち 尽くす。 「家庭科でマフィンを作ったんです、お裾分けに来ました!」 「私のもどうぞ。あと余った分は柔道部の皆さんで分けて下さい!」 やって来た家康を取り囲んできゃいきゃいとお菓子を押し付ける女の子達。何だかなあ。 困っているのに押し付ける女の子達に憤りを感じたりもするけれど、家康に彼女がいることを 知らないのだから、アタックして当然なんだ。と考えたら私が不機嫌になってるのは自分勝手 に思えてきた。いっそ家康との仲を公言してしまえばいいけれど、自分が家康に相応しい彼女 とは思えないだけに、それも嫌味な事のように思える。ってだったら私はどうしたいんだろ う。どうするべきなのか。あの輪の中に割って入り、家康に「お昼にしよう!」と堂々と言う べきなのか。それとも女の子達が引くのを待つべきなのか。それか家康に他の女の子との接触 は断つように言った方が効果があるのか。 男の子と付き合うのは初めてだから、どうしたらいいのかさっぱりだ。ぐるぐると思考だけが 渦を巻いていく。ただ、家康がお菓子を受け取るのが、嫌だな、と思った。もやもやとする。 「お、!」 はっと我に返る。考えすぎはいけない。急いで声がした方を振り返ると、担任の先生がいた。 もう授業は終わったので職員室に帰ったとばかり思っていたけれど。「何か用ですか」と尋ね ると、「ちょっと」と言って手招きをされた。 「悪いけど、これを運ぶの手伝ってくれ」 「えー・・・・」 「そう言わず!」 お昼を食べてませんと言っても、先生は「すぐに終わるから」と言って私の名前を呼ぶ。 面倒くさいのに目を付けられてしまったなあ、と自分の不運を呪う。ちらりと見ると、家康は まだ囲まれていた。まだまだ家康にお菓子を渡していない女の子たちが見えたので、これはま だ時間が掛かるかなと思った。やっぱり胸がもやもやする。見ていたくないな、と思ったので ため息を一つ吐いて決心した。 「分かりました。お弁当を置いてくるのでちょっと待ってて下さい」 「おー!助かる」 教室の後ろのドアから中に入って、家康の机の上にお弁当を置いておく。これなら戻ってきた 時に私が置いたと分かるし、食べてくれるだろう。まだ囲まれていて困ったようにしている家 康の方をなるべく見ないようにして、私は再び教室を出た。 「お待たせしました先生」 「来たな。じゃあと石田。二人でこれ資料室までな。置いといてくれればいいから」 頼んだぞ、と言って足早に去っていく先生。 石田?頼まれたのは私だけではないのか。そう思い後ろを振り向くと、すらりと背の高い男の 子が一人立っていた。随分と鋭い目をしている。というより、どこかで見たことがあるよう な。気のせいだろうか。 「えっと、石田君?」 声をかけると彼の瞳が私へと向いた。何だか随分と威圧感のある人だ。というか威嚇されてい るような。家康と正反対な、こういうとっつきにくい人って何を考えているのか分からなくて 苦手だ。反応の無い彼に私は苦笑いをする。無駄口をたたくのが嫌そうな顔をしているので、 ちゃっちゃとお仕事を終わらせてしまおうと思って資料に手を伸ばした。だけどそれよりも早 く石田君が全て持ち抱えてしまった。 「え、あ、ちょっと石田君!悪いから私も持つよ!」 「要らん。私一人で十分だ。貴様は足手纏いにしかならん」 「なっ」 足手纏いって。そりゃあ女と男じゃ力の差があるから持てる量は私の方が少なくなってしまう けれど、石田君の持ち分は減るんだから助かることはあっても足手纏いになることは無いはず だ。初対面なのに貴様とか言うし、失礼な人! 「いいよ、持つったら!」 「!」 意地になって石田君の腕から資料の束をいくつか奪い取った。だけどその瞬間、私の腕にはず しりと想像以上の負担がかかって腰が抜けそうになった。 「わ、お、重い!」 「馬鹿がッ!だから貴様では足手纏いにしかならんと言ったのだ!」 そう言って怒鳴ると、石田君はすぐに私が持っていた資料を奪い取って自分の手にしているの の上に積み重ねた。手ぶらに戻ってしまった私はそこでようやく、石田君が私に資料を持たせ なかった理由を知った。悪い人じゃなかったんだ。でも何と言うか、石田君は分かりにくすぎ る。もっとちゃんと言ってくれればいいのに、どうして喧嘩腰で物を言うんだろう。 狼少年なんだろうかと、速足に先を行く石田君の背を見て思う。でももう怖そうな人とは思わ なかった。 「ありがとう石田君。私、っていうの、よろしくね」 「家康の女だろう」 「え、知ってるの!?」 爆弾発言。誰にもバレていないと思っていたのに。クラスが違うし接点もないのに、一体どこ でその情報を得たのか。「誰から聞いたの?」と尋ねると、石田君は無言で私に目線をやっ た。答えたくないのだろうか。 横並ぶ顔をちらりと盗み見ると、石田君は眉間に皺を刻んで遠くを睨んでいた。私が原因では 無いはずなのに、背中に汗が伝う。もしかして気に障る質問だっただろうか。どうしようと心 中焦っていると、石田君が「ヤツのどこが良い」と低く、怒りを込めた声で言った。 「ヤツは、家康は偽善者だ。己の目的の為ならば卑怯な手も使い、平気で人を裏切る・・・」 私は耳を疑う。一体誰のことを言っているのかと石田君の顔を凝視する。ヤツを家康と言った だろうか。卑怯な手を使い裏切りもする?それは私が想像する家康のイメージとは少しも結び つかない。あまりにしっくりこなくて、私は石田君が寄越す視線に首を傾げるくらいしか反応 が返せない。すると石田君が口の端を少し吊り上げて、不適に笑んだ。嘲笑とも取れる。何も 知らないのだな、といいたげな目だ。 「貴様もヤツの上っ面に騙されているだけだ。いずれ、その事を思い知る」 まるで私と家康がどうなるかを分かりきっているかのような言い方。鋭い目が私を見下ろす。 家康と何があったのか知らないけれど、その私怨の捌け口を彼女にするなんてデリカシーが無 いにも程がある。ムカッとして、私は口を開いた。 「家康を、悪く言わないで」 本当はもっと言いたかったけれど、私は石田君の事を良く知らないし、家康のことだってまだ 少ししか知らない。だからこれが私の言える精一杯の反論だった。悔しい。何時の間にか着い ていた資料室のドアの前、石田君は私を振り返ると「勝手にしろ」と言った。 「せいぜい気をつけることだ」 忠告のようでいて、馬鹿にされたような言葉。突き放すような冷たい瞳。そのどれもが私を暗 い海の底へと突き落とすようだった。この人、嫌いだ。 気づけば私は踵を返していた。もと来た教室へと走っていて、階段を一段飛ばしで駆け上がっ ていく。腹が立つけど、同時に泣きそうだった。でも腹が立つ。家康を悪く言う彼と、あまり に家康を知らなくて言い返せない私に腹が立つ。 「!!」 後から声がした。振り返ると、家康がいた。 「何処行ってたんだ!?探したぞ!」 「家康、ごめんね、教室でたところで先生に掴まっちゃって」 「そうだったのか、それは災難だったな」 「うん、そう。・・・災難だった」 災難だ。先生の手伝いなんて引き受けるんじゃなかった。でもそうなったのは家康が原因だ。 ううん、違う。家康は悪くない。悪いのは家康を悪く言うあの人だ。でも石田君は嘘を言う人 には思えない。何だろう、私、混乱してる。 「お昼、もう食べた?」 いいや、まだだ。そう答えた家康に良かったと笑みを返す。ただ、困ったように頭をかく家康 が反対の手に持っているお菓子に私の胸はずきりと痛む。何で持ってるの、捨ててよ、と言い たいけれど、今更それを言っても家康を困らせてしまうだけだ。ああ、そうだ。思い出した。 石田三成。彼は家康が優勝した大会で豊臣先生と竹中先生の隣にいた生徒だ。