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家康のシャーペンを持つ手は大きい。そのシャーペンの流れるような動きに目を奪われている と、気づいた家康が手を止めて私を見た。目が合って、私の心臓は一つ跳ねる。 「何か用か」と、家康が目だけで聞いてくる。それに首を振って、慌てて何でもないと否定を 返す。授業中に家康の手に見蕩れていたなんて恥ずかしくてとても言えない。急いで目線を教 科書に戻すと、足の爪先に何かが当たる感触。家康の足だった。 私の机からはみ出している足を家康が足で、小さく蹴ったのである。言いたい事があるなら言 えという催促だった。ので、私はもう一度、何でもないという返事を返すために家康の足先を 蹴った。が、間髪いれずにまた蹴り返されてしまった。何なんだ、もう。むっとして家康の足 をまた小さく蹴り返す。だけど素早く足を引っ込めた家康のせいで、私の足は机のパイプに当 たって大きな音を立てた。家康が小さく笑う。 「お、。この問題解くか?」 「あ、いえ!すみません、何でもありません・・・!」 「なんだ、そうか」 恥ずかしい。 注意されなかったから良かったものの、目立つのが嫌いな私はクラスの視線が集まるだけでも 赤面してしまう。絶対わざとだ。家康は分かっててやったんだ。 恥ずかしさに顔を俯けると、タイミングよくチャイムが鳴ってお昼休みになった。先生が教室 を出て行き、生徒がおしゃべりを始めたのを見計らって、私は勢い良く家康へと体を向けた。 「家康!」 「ははは、悪い悪い!そんなに怒らないでくれ」 「もー・・・めちゃくちゃ恥ずかしかった!」 まだ赤いままであろう顔を手でパタパタと扇ぐ。家康は悪びれる様子も無く朗らかな顔で私に 謝った。何だかなあ。その顔で許してしまいそうになる私が情け無い。彼氏だからって甘くし ていたら、家康にもてあそばれてしまう。少し厳しく行かなければ。 「それで、ワシに何か聞きたい事があったんじゃないのか?」 椅子を少し動かして、家康が私の方へと体を向けた。その手にはコンビニの袋が握られていて おにぎりやお弁当が透けて見えた。家康のお昼だ。付き合い始めて変わった事の一つに、こう してお昼も一緒に食べるようになったことがある。以前から休み時間は一緒に過ごすことが多 かったけれど、家康の部活が早く終わる日には必ず一緒に下校をするようにもなって。 この間の柔道の大会から3日が経つけれど、あの日から少しずつ、私と家康は恋人っぽくなっ てきていた。嬉し恥ずかし。 「そうそう、今日の全校集会でこの間の大会の表彰式があるって聞いたんだけど」 「ああ。ワシも今朝、担任から個別で呼び出されて知った」 「じゃあやっぱり、家康は壇上に上がるんだ?」 「ワシとしてはあまり本意では無いんだがな」 「え、どうして?優勝したんだよ?」 二位や入賞ならともかく、優勝したのだから堂々と胸を張って壇上に立っても良い筈だ。 というか家康なら壇上で「みんなのおかげだ!」くらい言いそうだと思ったのだけど、私の偏 見だろうか。考えても仕方が無いのでたこさんウインナーを一齧りする。 「あ、もしかして家康も私と同じでも大勢の前に立つと緊張するタイプ?」 「いや、ワシは全く緊張しないぞ。どちらかといえばそれはだろう」 「私はあがり症だからね・・・!」 「らしくていいと思うぞ?」 家康はそう言って笑うと、手に持っていたお握りを口にした。男の子の一口はとても大きい。 その一口でおにぎりのおよそ三分の一はなくなってしまった。この調子で毎日買い食いなんて していたら、毎月のお昼にかかるお金は相当だろうなあと思う。彼女になったんだし、と心の 中でこっそりと考えてみる。そうこうしているとあっという間に家康はコンビニお握りの3つ を完食。私も家康に合わせてもういいやと弁当を閉じて箸をしまうことにした。好きな人の前 で食べるのって、どうしてこうも緊張するんだろう。と、箸をしまう手を不意に横から伸びて きた家康に取られた。手つなぎだ。少し熱い体温が掌から伝わってきて、心臓がとくりと鳴っ た。 「が緊張した時には、ワシとこうすればいいんじゃないか?」 「・・・逆効果」 急に何てことをするんだ。クラスメイトに見られるのが恥ずかしいので、急いで繋いだ手を机 の下に隠す。教室であまり目立つ事はしたくないのに、家康は告白の時といい結構大胆な事を しでかすから困り者だ。私が恥ずかしがっているのを知った家康が小さく笑う。 からかう様な笑みだ。確信犯め。 「が呼べば、ワシはどこまででも行くぞ!」 「それは、う、嬉しいけど」 何だかなりたくないバカップルになっている気がした。 クラスの皆が私達の繋がれた手に気づいていないのが幸いだけど、横で爽やかに笑う家康が欠 片も恥ずかしそうにしていないのが問題だった。私達が付き合っているとばれるのも時間の問 題かもしれない。 「きゃああ!!家康君!」 「カッコいいー!!三連覇達成おめでとうー!」 ああ、これがあったなあと思う。壇上に上がった家康を見てきゃいきゃいと騒ぐ女の子達に胸 がじく、と焼けるような感覚を覚えた。 っていっても私はもう家康の彼女なわけだから、どっしりと構えていればいいとは思うのだけ ど、やっぱり家康が騒がれるのは無視できないというか良い気分はしなかった。私が幼稚すぎ るのだろうか。 一礼してトロフィーを受け取った家康が生徒の方へと振り返る。すると拍手が沸きあがった。 こういう時、家康は私と違って随分遠い存在なんだなと実感する。生徒会長で皆から尊敬され ているのに加えて、部活で賞まで取ってしまう。そんな家康の彼女に私がなれたのって、本当 に奇跡に近いと思う。段々申し訳なくすらなってくる。「徳川君カッコいい!」と騒ぐ女の子 達の声を耳に、私は壇上を下りていく家康に拍手を送った。何でだろう。少し、寂しい。 「凄かったね、表彰式。しつこいけどまた言わせてね。優勝おめでとう!」 「ああ、ありがとう。」 大会が終わって3日間は休息を取るために部活が休みらしい。 家康と一緒に学校を出て帰途に着く。反対方向にも拘らず送りたいと言って私の家まで付いて 来てくれる家康に「ありがとう」と言って二人で並んで歩き出す。 「賞状持ってる?」と聞けば「折って鞄に入れた」とびっくり発言が返ってきた。賞状は折っ ていいものなんだろうか。表彰に縁の無い私には良く分からないけれど、少し心配になった。 でも細かい事にこだわらない家康らしいといえばそうかもしれない。小さく笑う。 「あ、そういえば」 「どうした、忘れ物か?」 「ううん。大したことじゃないんだけど」 どう切り出そうかな、と思ってすっかり忘れていた。大会の時以来なので今更な感じがするけ れど、やっぱり彼女として何かしてあげたいなと思ったから言う事にした。 「私でよければ家康のお弁当、つ、作ってきてあげようか?」 というか私が作りたいという方が正しいかもしれない。 さっきの集会で女の子達がきゃーきゃー言ってるのを聞いて、私も負けられないと思った。 家康がもてるのは仕方の無いことだし、私がそれを今更どうこう言える義理は無いから、それ ならば家康に相応しいくらいの女の子になればいいと思った。少なくともそうやって努力をし ている内は家康の側にいてもいいと思うし。ずっと家康の彼女でいたいから。 「本当か!?」 「うん。家康さえ良ければなんだけど・・・」 「謙遜するな。ワシは凄く嬉しいぞ!」 家康は目を見開いて興奮したように私を見てくる。真っ黒な瞳は輝いていて、何だかぬいぐる みの目のような愛らしさがある。「えっとじゃあ明日から持ってくるね」と言うと「頼む!」 と凄く嬉しそうにする。やっぱり毎食コンビ二のお昼ご飯はわびしい物があるよね。と同情し たので、明日のお弁当は家康の好きなものを詰めてあげようと決めた。それで一通り苦手な物 と好物を聞いて頭に叩きこむと、家康が突然「参ったな」と言って頭をかいた。 「ん、どうしたの?まだ何か足りない?」 さあ気合を入れて明日からお弁当作りに取り掛かろうと意気込んだ矢先のことで、家康が眉間 を側めたのに少し不安を覚える。何時の間にか路上に立ち止まっていた二人だけど、後頭部か ら手を離した家康は私を見ると少し、困ったように笑った。 「が好きだ」 今更確かめるかのように言われた言葉に顔がぼっと赤くなる。 参ったと言う割りに家康の顔はちっとも参っていなくて。素敵な悩みだと思った。