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「おはよう、家康」 「ああ。早いな、」 月日が過ぎるのは意外と早い。家康と席を並べて授業を受け始めてから今日で一週間が経つ。 家康とは授業中に目が合うと、先生に見つからない程度にぽつりぽつり話をするようになった し、体育で目が合った時にはお互いに小さく手を振って合図を交わす事もあった。 相変わらず爽やかで、未だに嫌なところが一つも見えてこない。家康は本当に人間が良く出来 ている。本人はメールをまめにする性格では無いと言っていたけれど、送ったら必ず短くても 返信をくれるし、そういうところは本当に優しいと思う。家康ともっと話してみたい。その気 持ちのせいで最近は学校に行くのが楽しみで仕方が無い。 「家康、進路希望調査の紙書いた?」 「ああ、今日提出だろ。ちゃんとやって来たぞ」 「そっか。偉いね」 「何だ?。やってきてないのか?」 「ううん。一応やってはきたよ」 私は将来、食に携わる職業に就きたいと思っていた。栄養士でも料理人でもいい。作る事や食 べる事が大好きだから、とにかくそれに関係した職に就きたいと、漠然とだけれど、そう思っ ていた。家康はどうだろう。生徒会長をやっていて頭がいいから、となるとやっぱり良い大学 に進学するんだろうか。凄く気になったので直球で聞いてみた。 「ワシか?ワシは、そうだな。人と人の絆が強く結びつく社会を作りたい!」 「こ、答えになってない気がする・・・。それって夢なの?」 「夢だ!」 拳を握って力説する家康の横顔は生き生きとしている。夢を聞いているのに目標を答える家康 って、もしかして天然なんだろうか。生徒会長をやってるのもあって、見た目に反して冷静で 現実的な事を言う事が多いから、こんな夢丸出しな少年みたいな事も言うんだと新鮮だ。 ふふ、と思わず笑うと、それに気づいた家康が「変か?」と聞いてきた。 「ううん、家康だったら出来そうだなと思って。素敵な夢だね」 「はは、にそう言われると有り難いな」 「そう?なら良かった。お互い夢が叶うといいね」 そう言うと家康は「おう!」と言って力強く頷いた。良く分からないけれど、家康だったら本 当に実現してしまいそうだ。何の職業になりたいのかは全く分からないけれど、でも夢に向か って頑張ってる男の子って、純粋にかっこいいものだ。 「徳川君!」 「家康君!」 丁度話が途切れたところで、甲高い声が教室に響いた。その声に驚いた家康が目線を私から外 し、何事かと教室の入り口へと移す。それを少し寂しく思いながらも、私も入り口へと視線を やった。そこにいたのは余所のクラスの女子数人で、家康に手を振っていた。 「今週末地区大会あるんでしょー?私達、絶対応援に行くからねー!!」 「頑張ってね!家康君だったら絶対優勝出来るよ!」 きゃーきゃー言いながら家康に向って手を振る彼女達は、まるでアイドルの追っかけのよう。 ミーハーっていうんだろうか、派手で積極的。私とはまるで住む世界の違う女の子だな、と尻 込みしてしまった。おしゃれでキラキラしていて眩しい。家康はああいう女の子をどう思うん だろうかと横を見ると、困ったようにしながらも「ありがとう」と言って手を振り返してあげ いた。・・・ちゃんと振り返してあげるんだ。その優しさに少し不満を覚えたのは、どうして だろう。誰にでも訳隔てなく接するところは、家康のいいところなのに。 「家康って部活、柔道部だっけ」 家康君と話しちゃったー!という大きな叫び声を残して去っていった彼女達の背中を、苦笑い 混じりに見送る家康が頷いた。慌しいのが去って妙に静かに感じられる朝の教室に、私の声が 響いて聞こえる。家康は振り返ると、鼻を掻いて言いにくそうに口を開いた。頬が少し赤い。 「も今週末のワシの試合、見に来ないか?」 「・・・え?」 突然のお誘い。柔道の試合とはどんなものだっただろうか。頭の中で思い浮かべてみると、白 の道着に身を包んだ勇ましい家康の姿が思い浮かんだ。あ、かっこいい。行きたいとすぐに思 った。 「私が行っても、・・・平気?」 「勿論だ!その方がワシも頑張れる」 恐る恐る聞いたら、家康は大きな声で即答して嬉しそうにはにかんだ。カッコいいやら可愛い やら。行っても良いのかを聞いただけで、まだ行くとは言っていないのに。頬を染めて瞳を輝 かされると、もう行かないわけにはいかなくなってしまう。大きな体をしてそんな可愛い反応 をされたら。顔に熱が集まるのを誤魔化そうと、私は次の話題を必死で振った。 「今週末だよね!あ、差し入れとか何か欲しい物はある?」 「いいや、特には無いな」 「そう?でもスポーツドリンクぐらいは・・・」 「そうだな。なら、の作った弁当が食べたい」 弁当!!またハードルが高いところに来たなあと驚いたけれど、料理は得意分野だ。味の好み が怖いところではあるけれど。「あんまり期待しないでね?」と先に謝罪の言葉を述べれば、 「大丈夫だ。焦げてても毒が入っててもが作ってくれた物は残さず食べる」と笑う。 何かもう、本当に男前である。嬉しくなったので、出来るだけ期待に応えられるようにしよう と思った。 「が、頑張るね・・・!」 「ああ。楽しみにしてる」 家康がそう言ったので、私は浮かれ気分で弁当のおかずを考える事にした。やっぱり作るから には手抜きはしたくない。家康は体も大きいから結構食べそうだなと思い、献立を考える。 週末が楽しみだ。 -- それからあっという間に五日間は過ぎて、とうとう週末の、家康の試合の日がやってきた。 メールで教えてもらった場所に行き、ホールに足を踏み入れる。さすがに柔道をやっている人 達は体つきがしっかりとしていて大きい。選手と応援に駆けつけた生徒達で込み合うホールは とっても騒がしくて、これじゃあ家康を見つけるのは難しいかもしれない。おまけに電波が立 たず圏外になっているから携帯も使えない。どこにいるんだか。 仕方が無いので、試合が終わった所を狙って家康に会いに行くことにした。 「ねえ、バサラ学園の徳川君って知ってる!?」 何処からとも無く聞こえてきた声に胸がどきりとする。振り返れば他校の女の子達が自分の学 校の応援旗を手にして盛り上がっていた。 話題は勿論、どこそこの男子がカッコいいというものだ。家康の事を知っている人は他校にも いるんだな、と思わず聞き耳を立ててしまう。 「知ってる!イケメンだよねー!!しかも超優しいの。この間私の友達がクッキー作って渡し  に行ったんだけど、ありがとうって言って受け取ってくれたんだって!」 「えー、優しい!!性格もイケメンとか完璧じゃん!」 「ねー!」 なんだろう、聞かなきゃ良かった事まで聞いてしまったような。でも家康は優しいから、付き 合ってる女の子がいない限りは無碍に好意を断ったりはしなさそうだ。まあ私がそういうこと を考えてモヤモヤするのは筋違いだ。考えを改めて、私はその場を後にした。 お弁当が少しばかり、肩に重く圧し掛かる。 二階の応援席に着くともう試合は始まっていて、我が校の生徒達が応援旗を振って声の限りに 声援を送っていた。頑張ってるなあと思いながら応援席の隅に腰を掛けると、前方に豊臣先生 が立っているのが見えた。それから竹中先生と、あと、見たことの無い男子生徒もう一人。 その人も含めると応援に来ている生徒はざっと見て30人位だった。多いのか少ないのかはよ く分からない。と、そこで会場一杯に笛の音が響いた。お昼休憩だ。アナウンスがそれを教え て、試合を終えた選手達がぞろぞろとリンクを後にしていく。ちらりと見えた家康の背中を追 って私も応援席を出た。 「家康!!」 「おお、!本当に来てくれたんだな」 「お弁当作ってって頼まれてたからね。お昼にしよう?」 「ああ。向こうに人の少ない部屋がある。其処で食べよう」 「うん」 真っ白な柔道着に身を包んだ家康はいつにも増して精悍だ。少し乱れた合わせは試合を頑張っ た証拠。バッグから取り出したタオルを家康の額に当てて渡してあげた。 「すまない」「ううん。試合お疲れ様」そんなやり取りすら楽しい。学校外で家康を見るから かもしれない。かっこいい。 「はい、召し上がれ。口に合うといいんだけど」 「ありがたく頂こう」 此処は入ってもいい所なのか。屋内庭園のようだ。あまりに人が少ないので後ろめたさすら湧 いてしまう中で、私はお弁当の包みを解いた。 箸を持った家康は初めにベーコンのアスパラまきを一つ取った。どうだろう、カリカリになる よう頑張ったんだけどな。自分が食べるのも忘れて私は家康を見る。 「おいしい・・・?」 「ああ、旨い!」 飲み込んだ家康は「は料理が上手いな!」と言って誉めてくれた。 何だか気恥ずかしくなる。気になってる人にそんな事を言われてときめかない女の子がいるも のか。お世辞かなとも思ったけれど、家康はもりもりパクパクと驚異的なスピードで食べてい くから、本当なんだと余計に嬉しくなった。そのまま家康はあっという間に弁当を平らげてし まい、私は食後のお茶をコップに注いで家康に渡した。と、受け取った家康は急に真面目な顔 をして私を見た。 「」 「うん、何?家康?」 「今日の試合でワシが優勝したら、伝えたい事がある」 「・・・え」 手に持ったコップを取り落としそうになる。跳ね上がる自分の心臓を落ち着ける間もなく、家 康が「に聞いて欲しい」と言葉を続けた。 心臓がうるさくて、眩暈がしそうになる。「うん」と、小さく返事をするので精一杯だ。今の 私はきっと顔が真っ赤になっているに違いない。家康の声にいちいち胸が高鳴る。これは期待 をするなという方が無理というもの。 -- その後、お昼休憩が終わって家康と別れて応援席に戻ったけれど、試合観戦に身なんか入らな くて、頭の中は家康の言葉で一杯だった。動悸が凄すぎる。 と、そこで一気に、会場の喚声が本日の最高潮を迎えた。いよいよ最終の優勝決定戦だ。家康 と対峙する他校の選手も家康に負けず劣らず体格が良くて、一見二人は互角に見えた。ハラハ ラしながら二人を見守る。審判の声と振り落とされた手と共に試合がスタートするけれど、な んと私が瞬きをした一瞬の内に家康は開始早々に背負い投げを決めた。一本。今何が起きたの という間もなく。家康は鮮やかに、見事な一本勝ちを決めた。あまりの早さに一瞬会場中が唖 然としたけれど、次の瞬間には大歓声に変わっていた。文句のつけようが無いほどにシンプル で、真っ直ぐな試合だ。家康らしい。 カメラでも持ってくるんだった。手すりに寄りかかる私が遠くの観衆に手を振る家康の笑顔を 写真に収めたいとその背中を眺めていると、突然バサラ学園の応援席の方へと振り返った家康 がこちらを見た。目が合う。やったね、と言う意味ですかさずガッツポーズをすると、家康は 私に向かってちょいちょいと手招きをして返した。なんだろう。二階の応援席と一階の応援席 は階段で繋がっている。私は真っ直ぐにその階段を降りていってリンクとを分けるアルミ製の 手すりに近寄る。私の方へと歩み寄ってきた家康との距離は一メートルも無くなって、顔を見 合わせると、家康はニカッと、太陽のような笑みを浮かべた。 「が好きだ。ワシと、付き合って欲しい!」 大歓声が遠くなる。え、今。いえやすは、何て。 たくさん人がいる中で恥ずかしい、という気持ちも家康のした笑顔にどうでもよくなってしま う。嘘、私なんかが。夢みたいだ。カッコつけすぎたな、なんて照れくさそうにする家康にそ の言葉が嘘ではないのだと証明される。胸がきゅうと締め付けられて、苦しくなった。 「わ、私なんかで良いの・・・?」 「がいい」 がいい、なんて。夢みたいだ。 よろしくね、なんてドキドキとしながら私が口にした返事は会場の雰囲気に気圧されてしまっ たせいで、震えていて聞き取りづらかっただろうと思う。だけど家康は嬉しそうに笑って、 「優勝出来てよかった」なんて本音を漏らした。そんなの、負けてたってオーケーしてたのに と言えば、家康はほっとしたような顔でへにゃり笑って顔を緩めた。可愛い。 そういうわけで、私に人生で初めての彼氏が出来た。