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ベーコンのアスパラ巻きの横にプチトマトを添えよう。それから人参とゴボウの和え物も入 れて彩り良く。エビフライをタルタルソースで頂くのは定番。が、ソース派の可能性もある から両方持っていくことにする。それから玉子焼きは必須。家庭によってはお砂糖を入れる みたいだけれど、もし甘いのが駄目だったら申し訳ないから止めておく。一か八かの賭けに 出るよりは、安全で平坦な道を選ぶべき。それに偏見かもしれないけれど、石田くんは甘い 玉子焼きが駄目と見た。まあ、おかずはそんな感じで。あとはそう。ご飯はふりかけを振る ことも考えたけれど、やっぱり食べやすさと見た目を重視してお握り形でいくことにした。 これなら色んな種類の味を楽しめて良いし、手も汚れない。果物は冷たいから入れ物を分け て持って行く。好き嫌いと食べ易さを考慮してブドウよりは無難にリンゴがいいだろうと思 ったけれど、食べる頃に変色して茶渋色に変っているのではガッカリしてしまうから、ここ はキウイフルーツとサクランボとオレンジで決まり。全部弁当箱に詰めてしまえば完成だ。 「あとは・・・」 時計で時刻を確認したところで、弁当を包んでいた手がぴたりと止まる。 今から丁度12時間前の昨日、石田君と私はキスをしていた。あの後、公園を後にして急い で家に帰ると玄関の鍵は開いていて、家の中に石田君の姿はなかった。靴を脱いだ形跡もな いことからすぐに帰ったのだと分かり、良かったと安心した。だけど残念だと思う気持ちも 沸いた。今日の大会の為に、今すぐにでもわだかまりをなくしておきたいという思いと、キ スをした後にどうやって顔をあわせればいいのか分からないという思いがせめぎあって、結 局どうすればいいのか決断できないまま、気づけば私はリビングのソファで眠りについてい た。 そう呼べるのか疑問な、無理矢理なキス。キスなのだろうか。石田君が私を好きだったとし ても、そんな素振りは一度だって見せてくれたことはなかった。どちらかというと、家康に 渡すのが許せないからというような。舌を動かせば、唇に痛みが走る。 「・・・いけない、もう時間だ」 ぐちゃぐちゃ考えていても仕方がない。家康の応援があるし、今日の大会に欠席するわけに はいかない。考えたところで決心が鈍るだけなら、何も考えないで行ったほうが良い。私は 大急ぎでエプロンをはずし台所を後にした。 -- 「おはようございます」 「おはよう」 豊臣先生と竹中先生が並んで立っている。威圧感に近寄り難くなって、どう挨拶をしようか 躊躇っていると、振り返った竹中先生と丁度目が合ってしまった。仕方なくも急いで挨拶を すれば、竹中先生がそのままこちらに寄ってきた。 いやだな、今は誰とも話したくないのに。家康の前でさえ笑顔を取り繕うことが出来なかっ たのに、ましてこの先生に見破れないわけがない。案の定、竹中先生は私の顔をじっと見つ めてきた。 「あまり元気がないみたいだけど」 「・・・寝不足で」 「目が腫れるなんて、よっぽどなんだね」 「強いて言うなら今日が楽しみだった・・・んです」 「そう」 これから車に乗り込み会場入りする私と二人の先生。事前の取り決めでは現地集合となって いたけれど、竹中先生に誘われて豊臣先生の車に乗せていって貰うことになった。ありがた いけれど、優遇されているみたいで他の皆に悪い。提案者は豊臣先生らしい。家康の話を聞 いたせいで偏見を持ってしまっていたけれど、それを聞いて豊臣先生も悪い人ではないんだ と知った。竹中先生は、私が手に持った布を一瞥する。 「嘘はもう少し上手く吐いた方がいい。何があったのかは聞かないでおいてあげるけれど、  今日は大事な試合なんだ。分かってるだろう?」 「はい」 「選手の士気に関わる。突然泣き出すなんて事のない様に頼んだよ」 「はい。・・・ごめんなさい」 「謝る必要は無いけれど」 今、私は先生に怒られているんだと思ったら悲しくなってきた。あまり赤くも腫れている自 覚もなかったからそのままにして来た目は、知らない人から見ても痛々しく見えていたんだ ろうか。石田君に謝るつもりでいたけれど、知らぬ間にすっかり他人の迷惑になっていたん だ。情けない。布に包んだ弁当のことだけを考えていた自分の存在が恥ずかしい。 俯く私の頭に、大きくて暖かいものが乗る。 「平気か」 驚いた。それは竹中先生ではなく、豊臣先生の手だった。大柄な先生を前にすれば大抵の人 間は子供になってしまう。私も例外ではない。まるで先生の子供になっているみたいで、そ のことに少し恥ずかしくなった。向き合って話すのは、初めてなのに。 「無理はするな」 「だ、大丈夫です」 低い声、お父さんみたいに甘やかしてくれる人だ。でも恥ずかしいから手はどけて欲しいと 思う。親切でやってくれているので、そんなことは言えないけれど。側で小さく笑っていた 竹中先生は何時の間にかいなくなっていたけれど、やがて車と共に現れて私たちを呼んだ。 低い返事をして乗り込む豊臣先生の後に続いて、私も車にお邪魔する。 「それは三成君に?」 「・・・う、あ。はいその、一応そのつもりです」 「やっぱり」 助手席の竹中先生がふっと息を漏らすように笑う声が聞こえた。ささくれて今にも擦り切れ てしまいそうなところにいた私の気分は大分落ち着いていたけれど、膝においている弁当に ついてを聞かれれば、今一度胸がじくりと痛み始める。 「何かあったのかい」 「・・・・・・」 「不躾だったね、すまない」 「・・・・いえ、そんな」 言葉にならない。会場へ向う道中、先生とはそれっきり車内で口を利くことはなかった。 竹中先生は、きっとあきれてしまっている。試合当日に表情のない状態で来て雰囲気を重く するし、先生には気を使わせるし。私って最低だ。これでもう石田君と竹中先生と豊臣先生 には合わせる顔がなくなった。 車窓に映る自分の酷く暗い顔に、自業自得だと吐き捨てる。変な顔。 -- 「大分遅れてしまったね」 「はい」 どういうわけか今日に限って渋滞で、会場に入った頃にはもうお昼目前の時間にまでなって いた。現地集合で朝早くに家を出て電車で向来ていた生徒達は問題なく試合を終えている頃 だ。竹中先生と会場を後にして、選手控え室に向う。アナウンスが流れた。 「これにて二時予選を終了とします。午後からは優勝候補決定戦を予定しています」 もうそこまで終わっていたのか。ということは石田君もとっくに控室に戻って、午後の部に 備えている頃だろう。お昼ごはんを既に食べてしまっていなければいんだけれど。持ってき たお弁当に目をやって、考え込む。そこで一歩先を歩いていた竹中先生の背中が止まった。 「張り出されているみたいだ」 意外と広い先生の背中。私の進行方向の視界を塞いでしまって何があるのかよく見えない。 横にずれると、「対戦結果」と大きくトーナメント式で書かれた紙が見えた。選手の名前の 下に出身校の名前がある。選手の名前を知らなくても、それを見ればうちの学校の生徒の勝 敗が分かった。 「・・・」 「先生・・・?」 顎に手を当て考え込む竹中先生が、何やら一点を見たまま動こうとしない。紙の下方を見つ める瞳は真剣そのものだ。不思議に思い私も視線を同じところにやろうとした時。 「何故来た」 「あ、石田く・・・」 振り返ったところで、言葉が途切れた。 言い終わらずして石田君の手が伸び、私の腕にあった物を払いのける。派手な音を立ててプ ラスチックの箱が床に転がり、その中身が飛び散った。ものの2秒で、勝敗結果に一喜一憂 する人たちで溢れる廊下が、水をうったかのように静まり返る。 「不愉快だ。即刻この場を去れ」 まだ頭が現状起こっていることを理解していないせいで、石田君の刺すように鋭い目線も写 真を見ているみたいで、自分に向けられているように思えなかった。それよりも他人の視線 の方がよっぽどリアルに感じられる。同情されたくないとして無意識にか。私の顔には苦い 笑みが浮かぶ。ひきつって、無様な笑み。だけど内心、泣きそうなのには間違いなかった。 「三成君。八つ当たりはいけないよ」 横で傍観していた先生が、石田君に言う。事の成り行きを何も知らない先生だけど、その一 声で石田君は瞬時に顔を苦いものに変えた。それが、嫌だった。何かしらの続きを言おうと 口を開いた竹中先生を遮る。 「いいんです、先生」 「・・・」 「全部、私が悪いので」 そこで、決壊しそうになる。堪えていたものが喉元まで競り上がってくるのを感じて急いで 俯く。お弁当だとか、また仲良くしたいだとか、どれも自分に都合が良すぎたのだ。突っぱ ねられて当然で、石田君は悪くない。石田君は被害者だ。私が浅はかだった。 ここで泣いたら、初めて剣道部に行った時と同じでまた皆に迷惑をかけることになる。それ は出来ないと歯を食いしばれば、昨日のキスの際に噛まれ傷口から口内に血の味が滲んだ。 先生が、「君」と呼ぶ。だけどその声は、石田君に向けられていた。 「予選敗退は誰のせいでもない。三成君自身のせいだ」 予選、敗退・・・・・? 何を言っているのだろう先生は。大将を務める石田君が予選敗退なんて冗談でも笑えない。 だけど驚きに顔を上げた先、目の前の石田君はその面長をやや下へと俯け、前髪に瞳を隠し ていた。返す言葉もないと項垂れる子供のように。 「・・・申し訳ありません」 待って。どうしてそこで石田君が謝るの。先生が言っていることが正論なのは分かるけれど 石田君を不調にさせた原因は私で、それがのこのこと会場にやって来たのを見れば、誰だっ て当たりたくなる気持ちは理解できる。先生の言葉が石田君を攻めているわけではないとい うのも分かるけれど、だけど遣る瀬無いと一番思っているのは石田君本人だから、言わない であげて欲しい。でないと、私がみじめだ。全ては、私が原因だから。石田君は悪くない。 「復活戦に備えるんだ。乱れた気持ちのままでは、勝てる試合も逃してしまう」 「はい」 竹中先生の言葉に頭を下げる石田君。涙を袖で拭う私を、二人は見向きもしない。当たり前 だ。こんな馬鹿を気にかける必要なんてどこにもない。泣くなと言われていたのにまた泣い て。そんなどうしようもない人間は切り捨てなければいけない。どうして早く気づかなかっ たんだろう。 私は今日、この場に来てはいけなかった。