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「落ち着いたか」
缶に入ったココアが空っぽになったタイミングを見計らって、家康が聞いてきた。全然。と
本音で返したいところだったけれど、それはさすがに一生懸命に私を慰めてくれた家康を前
にして言えることでは無いから、うん。と頷きを持って返しておく。
「無理をするな・・・」
お見通し、というように家康が言った。私の事をよく分かってるんだなあと思う。嬉しいけ
れど、この場合は騙されていて欲しかったと苦笑い。先程、この公園に来た時の勢いはどこ
へやら、まるで萎んだ風船のようにして抜け殻になった私の目に映るのは、苦々しく眉を寄
せる家康の姿だった。あれからすぐに駆けつけてくれて、理由も聞かずに泣き止むまで側に
いてくれた。優しい家康は私の背中をその大きな手でぽんぽんと撫でてくれて、私の涙が引
っ込んだのを見計らってちょっと待ってろと言うと公園の隅に設置された自動販売機でココ
アを買って来てくれた。
「・・・ありがとう、家康」
「いや。が無事でよかった。もっと大変な事が起きたのかと思っていた」
「そんな。・・・ごめんね、大したことじゃないのに呼び出しちゃて」
「大したことじゃない?それは違う」
「・・・え?」
「が泣いているのは、三成が原因だろう」
断言する家康に、気づいていたのかと驚愕を隠せない。なんと返したらいいのか分からなく
て、呆然と家康の顔を見つめる。手に持ったココアの缶はあたたかくて、じんわりと私の心を
解きほぐしてくれる。
「何かされたのか」
「・・・・・ち、ちが。私が、悪くて」
「が悪い?一体何があった?」
いえない。言えないと思った。石田君と仲がよくなりすぎてしまったのは、家康が私を捨て
たからだと思い込んだ私が、石田君を代わりにしようとしたからだ。そんな汚い事を考えて
実際に行動していたわけでは無いけれど、石田君に甘えていたのは事実で、思わせぶりだっ
たと言われれば否定は出来ない気がする。だから石田くんは、悪くない。どんな風に説明し
ても、家康はきっと、話を聞いた後に私が原因だったという思考にたどり着いてしまう気が
してならない。そうなったら、嫌われる。だから今しがた起きた事をそのまま言うなんて、
到底出来ないと思った。汚い、私。嫌われるのを恐れて、また汚い事をしようとしてる。
「何でもない。色々あって気が動転しちゃっただけ。ほら、最近疲れがたまってたから・・」
「あれだけ泣いておきながら、何でもないってことはないだろう」
「でも大丈夫。家康が来てくれたおかげで大分落ち着いたし。それよりも石田君が、明日は
大会なのに・・・」
さっき、一緒に家に帰っていた時に家康は石田君を気遣うように言っていた。三成はまっす
ぐだから、と。私もそう思う。だからこそ、石田くんは壊れやすい気がする。私なんかより
も、彼の方がよっぽど傷ついているんじゃないだろうか。自分のために、電話を受けてすぐ
に駆けつけて来てくれる人がいる人と、いない人の違い。『行くな』という叫びを突き放し
た私。
「・・・、三成は嫌いか」
「嫌いじゃない」
「三成のために、力になってあげたいと思うか」
「・・・うん」
「なら、ワシの事はいいから、明日は三成のところに行ってやれ」
何時の間にか俯いていた自分の顔をあげると、そこには小さく笑った家康の顔があった。
石田君に対して妬ける、と言っていたのに、そんな事が言えるなんて。
「弁当を届けてやれ。が大会に来たら喜ぶぞ、三成」
「こんな事があった後だよ?きっと目障りだよ・・・」
「三成じゃない。がこのままでいいと思うかだ」
こういう時は、自分の思った通りに行動した方がいい。家康はそう言った。そうか、家康は
剣道部を抜ける前にきっと、石田君の事を考えただろう。仲が良い友人を裏切ることになる
ことを、きっとその直前まで考えて悩んだはずだ。それでも家康は自分の正義に従った。
どうだろう、私は。
マネージャーとして石田君を支えるように言われていたけれど、いまいち役に立てていない
し、竹中先生も呆れているんじゃないだろうか。そもそも大会が終わったら臨時マネージャ
ーの役を解かれるとはいえ、仕事は大会が終わるまでだ。それを今日こんないざこざがあっ
たからといって明日の大会を投げ出すなんて、それこそ剣道部への裏切りだ。
石田君とは口を利かなくてもいいから、言い付けられたサポートはしてあげなくてはいけな
い。責任を持って、最後までやり遂げなくちゃ。弁当を作ると、約束してしまったのだか
ら。
「そうだね。とりあえず、明日は行くことにする」
「そうか」
謝って済むことなのだろうか。何を謝ればいいんだろう。お節介をやいて思わせぶりな態度
をした事や家康と仲直りをしていたのを黙っていた事だろうか。謝って、許してくれる問題
だろうか。私が謝らなくてはいけないのは家康に対してもそうな気がするのだけれど。ああ
ダメだ。複雑すぎて、頭が回らない。とりあえず、今から家に帰るとして、もう石田君が家
にいないといいんだけれど。なんて罰当たりな事を考えてしまう。突き放してしまった罪悪
感から、本人の前に立つことが出来ない気がする。
ベンチを立つと、そこで何時の間にか私の手から空き缶がなくなっていることに気がついて
周りを見たら、家康が引き取ってくれていた。
「行ってこい。何かあったらワシを呼ぶんだぞ。すぐに駆けつける」
いつか言ってくれた言葉を繰り返して、私を送り出してくれる。その右手に邪魔になった缶
までもを引き受けてくれて。ああ、私。愛されてるんだなあと気づく。家康は笑った。
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