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「さてと、僕は邪魔者みたいだからね、退散するとしよう」 口の端をほんの少し吊り上げて、私にだけ先生が微笑んだ。何がお似合いなのかが分かってい ない様子の石田君は不思議そうにしていたけれど、結局黙ったままで質問を口にすることはな かった。先生の微笑にも気づいていないはずだ。個人的にはその方が凄く助かるのでいいけれ ど。去り際、そんな先生が石田君に向って一言添えていった。 「大会前の練習は今日で最後だから、力を抜かずに励むんだよ」 「はい」 しっかりとした口調で返事をした石田君に頷いて、竹中先生は踵を返した。先生を交えて三人 で話すことも、きっと大会が終わったらなくなるだろう。私は所詮、臨時マネだ。 ずっと前のミーティングの時に上の空だったせいですっかり忘れていたけれど、大会の二日前 からは部活がなくなることになっていた。選手の体力温存と休養を兼ねているんだと。今更そ んな重要な事を思い出すなんて私はマネージャー失格だ。でもとにかく石田君にも先生にも、 練習で会うのは今日が最後だ。何だかんだで楽しかったから寂しくなる。 「私、また会いたいなあ」 竹中先生の背中が見えなくなるまで見送っていた石田君の視線が、私の言葉に気だるそうに動 いた。その瞳が私を捉える。石田くんはどこか不機嫌な調子ながらも、どういう意味だ、と私 の言葉に反応を返してくれた。理由が恥ずかしいので言えるわけもなく、笑って誤魔化してお くが、ようは会いに行けばいいのだ。手伝うのであれば邪険にはされないだろう、大会が終わ ったら顔を出しに行こう。そう決めて最後の練習だと気合を入れ直した。 行こうか、と持ちかけ向き直る。が、石田くんは荷物を持ったままでその場を動こうとしなか った。どうしたの、と聞くとようやく口を開いた。 「何を話していた」 「え?」 聞き返すと、石田くんは眉間に皺を寄せた。 「半兵衛様とだ。私が来る前に何か話していただろう」 石田君が聞きたいのは、先程竹中先生が言っていたお似合いという言葉の意味だった。やっぱ り気になっていたのだ。だけど言うのが恥ずかしいというか、誤解を生みそうなのでわざわざ 話すのも面倒くさいと思った私ははぐらかす事にした。本当の事を言った所で、石田君ならく だらないの一言で片付けてしまいそうな気もするけれど。 「・・・まあ、色々とあって」 「私には言えないことか」 「うん、そうかも」 返事がなかったので納得してくれたと思った。だから驚いた。まさか舌打ちを返されるとは。 小さいけれどしっかりと耳に入ってきたその音に内心びくりとする。舌打つ程の事だっただろ うか、空気が悪くなりそうだと思ったので急いで話題を変えることにした。 「と、ところで石田君聞いた?伊達君が抜けた枠は孫市さんに手伝ってもらって雑賀衆の人に  埋めてもらうことにしたって」 「秀吉様から直接聞いている」 「そっか。ってそういえば知りあいだったんだよね、孫市さんとも」 緊張していると何を口走るか分かったものじゃない。墓穴を掘ってから気がついた。これでは 私がしっかりと孫市さんと石田君が接触しているのを知っている言い方だ。つまりペンダント を受け取ったと、石田君に報告しているようなもの。 爆弾発言をかましたことに恥ずかしくなって顔を俯けるが、私を見る石田君の顔は冷静そのも のだ。気づいていないのかもしれない。それなら逆に、これを利用した流れでペンダントをく れた理由を聞くチャンスだ。恥ずかしがる私を変な目で見ていた石田君に、私は意を決して尋 ねようとした。その時。 「何をしている?」 孫市さんだった。隣には大谷吉継君というさっき竹中先生が教えてくれた生徒の姿もある。 私達が話をしている声が孫市さんの下まで届いてしまったのかもしれない。苦笑いで孫市さん を振りかえる。石田君がいては孫市さんに聞きたいと思っていた話は切り出せない。諦めるこ とにした。 「これから部活に向うところだったんです。そういえば孫市さんは剣道部に助っ人を貸してく  れることになったんですよね」 「ああ、先日その契約をしたからな」 「伊達君が急に抜けたので不安だったんですけど、孫市さんが協力してくれるなら百人力です  ね。ね、石田君!」 何だかんだで伊達君が抜けて一番不安だったのは大将の石田君に違いない。伊達君は大きな戦 力だったと竹中先生が呟いていたのを耳にした事があるし。と思って隣の石田君に話を振れば 「下手な戦いをすれば貴様を許さない」と見当違いに孫市さんに喧嘩を吹っ掛けた。石田君は 狼少年だ。何でそこで素直になれないのか。呆れたような私と慣れた様子の孫市さん。そんな 私達二人を置いて口を開いたのは大谷君だった。 「三成よ、主にはようやくであろ」 準備は万端、不安要素は皆無。 初めて耳にした大谷君のその声は訥々としていて抑揚があまり感じられなかった。不気味だけ ど、どこか楽しそうにも聞こえる。その言葉を受けて孫市さんを睨んでいた石田君の目が宙を 浮いた。どこを見ているでもなく、目的を思い出し睨む目をしている。覚えがあった。 「家康・・・」 私の心臓がドクリ、一際大きな音を立てる。石田君の地を這うような低い声には嫌悪がありあ りと出ていた。むしろ嫌悪よりも憎悪に近いとすら思う。孫市さんと大谷君は冷静な目で石田 君を見るけれど、三人の中で私だけが、石田君の顔を見る事が出来ずに顔を俯かせた。 目を使わなければ耳が働いてしまうことになるけれど、顔を見るのに比べたらマシだった。 「私が優勝をして、秀吉様の教えが正しかったと証明してやる・・・・!!」 吐露した本音を、私は聞いてはいけなかったのだ。 今更、私は石田君に家康と仲直りをしたことを言っていなかった事に気がついた。言っていれ ば、こんな事は聞かずに済んでいただろう。罪悪感なんて覚えずに終わっていたはずだ。 私は家康の彼女で、その家康は石田君と敵同士だった。 石田君が今口にしている恨み言は、まさか本人と仲の良い人間を前にして口にする言葉では無 いだろうから、つまり、石田君の中で私は家康を怨むグループに入っている。らしかった。孫 市さんはどうか分からないけれど、大谷君と石田君の側に私は分類されているようだ。恐々顔 を持ち上げると、私を凝視する不気味な大谷君の瞳があった。笑っている。 「・・・さて。面白くなってきた」 我は先に行っているぞ、三成よ。そう言い残してゆっくりと、大谷君はこちらに背を向けた。 去り際に私へと向けられた目は細められていて、牽制や懐疑というよりも私の様子を見て楽し んでいた。手の上で怯えるハムスターをあざ笑うかのように、遊ばれている。 未だ虚空を見つめ、おそらく家康に対して憎悪を燃やしているであろう石田君を漫然と眺める 私に、孫市さんは「後でな」と一言告げると背中を向けた。私がそれに返事をしていたかは覚 えていない。 「・・・石田君」 聞こうか、聞くまいか。家康との事が知りたいなら、今しかチャンスは無いだろう。 大会に向けて、石田君が練習に励んでいたのは知っている。怪我もあるのに、石田くんは頑張 って竹刀を振るっていた。これだけ頑張っているならきっと優勝できるはずだと思った。そう なって欲しいと思った。だけど、私が思っているような純粋な優勝が目的ではなかったなら。 家康を見返してやるという復讐のために、竹刀を振るっていたのなら。声が小さくて届かなか ったらしいその後姿に、もう一歩近づいてみる。 「石田君」 「何だ」 思っていたよりも早く、しっかりとした口調で返事が返された。だから戸惑ってしまった。 さっきまでのように遠い存在に思いを滾らせている状態だったら流れで聞き出せたかもしれな いのに、こんなに私を見る瞳が誠実では。 聞いたら、余計な事をと思うだろうか。根掘り葉掘り人の過去の出来事に突っ込むのは果たし ていい事なのか、今一度そんな事を考えてしまう。第一、私はそこまでして二人の秘密を知っ って何がしたいのか。それを知って自分に出来ることがあるとでも。段々、言いたい事が分か らなくなってくる。だけど石田君を不自然に待たせるのも、その間の沈黙が重くなっていく一 方で嫌だった。それで結局、私は良く分からないまま咄嗟に思いついた事を口にした。 「今日もお夕飯、食べてく?」 完全に間の抜けた、空気の読めていない質問だった。だけどやっぱり、本当の事は石田君には 聞けないと思った。だから白い目で見られようとこれでいい。私の予想通りに怪訝に眉を顰め た石田君は私を凝視してきた。恥ずかしい。やっぱり今のなし、と言って発言を取り消そうか 逡巡したその時。石田君がそれまでで一番棘の無い顔をして、私を見た。 「ああ」 それはそっけなくも優しい返事だった。こんな棘の無い言い方も出来るんだなと素直に驚く。 だけど私はそれにまた酷く罪悪感を覚えた。いっそいつもの様に何を馬鹿な事を言っていると 突き放してくれれば良かったのに、私を心から信用しているみたいな言い方をするから。 勿論私には石田君を騙すつもりなんて無いし、ただ純粋に石田君をサポートしたいと思って言 っているだけだ。同じように石田君も家康だけが憎くて私は別だというなら問題は無いけれど 初めて会った時に家康の彼女だと言ったら冷たくされたから、周りの者も憎いんだろう。 「来い。行くぞ」 体育館に行くから付いて来い。そう言っているんだろう。そのはずだ。だけど、それが私には 家康を憎むこちらの側に来いと言っているように聞こえた。石田くんが数歩先に行った所で立 ち止まり私を振り返る。待っていた。 私には、家康がいる。 例え今家康の事を真に思っていないのだとしても、家康が私を裏切ったように他の人を裏切る なんて事を私はしたくなかった。仕返しだからといって家康を裏切る事は、私には出来ない。 したくない。だから石田君に付いて行くことは出来なかった。だけど、そこまで考えて気がつ いた。まさかとは思うが、石田君が私にくれたあのペンダントは私が石田君側につくという意 味を持つ契約の証だったのではないだろうか。私からペンダントを取った石田君、石田君から ペンダントを受け取った私。もしそういう意味なのだとしたら、このペンダントはすぐに今す ぐにでも走って石田君に帰しに行かなくては家康を裏切る事になってしまう。返さなくては家 康を裏切ることになるし、石田君に対しても裏切りだ。 「何をしている。早く来い」 だけど、背に家康への憎悪をしょった姿に裏切りを伝えに行くなんて、もう今更出来ないと思 った。彼の背中に、深淵から這い出てくる鬼のような相が見えるのだ。ここでペンダントを返 して私が実は家康と仲直りをしていたと伝えれば、彼はどうなることか。想像しただけでも恐 ろしくなる。大会前に伊達君が離反したように、私まで石田君を傷つける事は到底出来そうに ない。そこで立って待っている石田君の下へ、私は仕方なく歩みを進めるしかなかったのだ。