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「お早う家康。すっごいびっくりしたよ」 「そうか?悪かったな」 冷静を装い言えば、一度瞬きをして家康は笑った。それを目にした鶴ちゃんは、お邪魔になる でしょうか、と小さく呟いて私達から視線を逸らしてくれた。そんな鶴ちゃんに申し訳なく思 いながら家康に話しかける。 「何か用だったの?」 「ああ、大したことじゃなくて悪いんだが」 「うん」 「今日は部活が無いから、と一緒に帰れないかと思ってな」 「あ、そっか」 家康の部活が無いときは一緒に帰ることになっていたんだっけ。暫くぶりだからすっかり忘れ ていた。だけど今の私には剣道部の臨時マネという重要な仕事があるから、それを休むという わけにはいかない。 「ごめんね、今剣道部の臨時マネージャーを頼まれてて遅くまで残ってるんだ。大会までなん  だけど、まだ続きそうだから暫くは一緒に帰れないかも」 そう言うと、家康はほんの少しだけど、顔を硬くさせて剣道部?と聞き返してきた。その声音 の変化に私の心臓は早まり、背筋に緊張が走った。三連休の最終日、昨日仲直りをした時に家 康は何故私が学校にいるのかを聞いてこなかった。あの時言っておけばよかったとは思うけれ ど、それどころではなかったし。「そう、剣道部」家康の言葉に返事がしづらくなる。 「そうか、遅くなりそうなのか?」 「うん、えっと、夜は8時くらいまであるかな」 「結構あるな。帰りは大丈夫なのか?なんならワシが送っていって・・・」 「あ、それは」 石田君に送っていってもらってるから平気、と言っても良いものなのかどうなのか。分からな いが咄嗟に続きを引っ込めてしまった。まずいと感じるという事は、それがいけないことだと 分かっている証拠。だけど、どうして私はうしろめたくなっているんだろう。 「それは、何だ?」 続きを促す家康の目は優しいのに、その言葉は私を責めているみたいだ。「石田君が、送って くれてるの」正直に言う以外の方法が見つからなくて、乾きつつある喉で恐々答える。目線を あげると、家康の少し驚いた顔が目に入った。 「三成が?」 「・・・うん、そう」 「そうか」 何か考えがあるのか、過去を思い出しているだけなのか。家康は聞き手に何かを感じさせるよ うにそう言った。家康が何事かを考えている間、私の制服を引っ張る存在があった。顔だけで 振り返れば、そこにいたのは私と家康の話を聞いてしまっていたであろう鶴ちゃん。おいでを する手に従って耳を寄せれば、ひそめた声で囁かれた。 「な、何だか気まずいですね・・・!!」 「・・・うん」 私もそう思う。以前は家康に変に見られていないだろうかが気になって緊張していたけれど、 今は隠し事がばれないだろうかとひやひやしている気分に近い気がする。あの頃は恋する乙女 だったんだ。ってこれじゃあまるで、今私が浮気でもしているみたいだ。そんなことは決して 無いし石田君への思いは恋でもない。そうだ、堂々としていていいはずなのに、何をうしろめ たくなっているんだろう。だけど、石田君の顔が頭をよぎって仕方が無い。なんで。 「分かった」 家康が言った。その声はもう明るくて、納得したような表情だった。私への疑いなんてこれっ ぽっちもその顔にはない。以前一度、私を裏切った罪の意識がそうさせているんだろうか。 「ならいいんだ。気をつけて帰るんだぞ」 「あ、うん。・・・ありがとう」 「ああ」 家康は笑った。私の頭を一撫でして踵を返す。目の前を遮っていた大きな壁がなくなったと同 時、私は張り詰めていた全身の緊張がどっと出てきたように感じて、その疲労のままに机に体 を突っ伏せた。「お疲れ様です」鶴ちゃんの声が背後の席から聞こえる。 「家康と石田君って、過去に何かあったみたいなんだけど、鶴ちゃん、聞いた事ない?」 「いえ、・・・何も。お力になれず申し訳ありません」 「ううん、いいの。私が直接聞かなきゃいけない問題だしね」 大会を控えている石田君に聞けないとなると家康だ。それに家康なら石田君よりも聞き易そう だし、こちらの質問にもきちんと返してくれそうだ。だけど、そもそもこういう事に女が首を 突っ込む事自体、野暮ったいと思われるかもしれない。たかが臨時マネがそこまで世話を焼く なと後で石田君にばれたら言われそうだし、私もそれはお節介の領域だと自覚がある。 無意識でついていた私の溜息を聞いた鶴ちゃんが焦ったようにした。 「あ、あ、そうです!!ま、孫市姉さまなら何かご存知かもしれませんよ!」 「え?孫市さん?」 「はい!お姉様は近々剣道部の助っ人をなさると仰っていました。もしかしたら先生から何か  聞いている可能性があります。直接尋ねられては如何でしょう?」 「・・・・それって」 伊達君が抜けた後の穴を言っているのだろうか。確か孫市さんは雑賀衆という有志団体を率い ていたと思う。ようは雇われればお手伝いをする学校の何でも屋だけど、それを剣道部が雇っ たというんだろうか。だとしたら確かに、どうして雑賀衆を雇ったのかその理由くらいは聞い て知っているはずだ。だけどそれを、第三者が聞いてもいいものなのか。 迷っている私を置いて、鶴ちゃんはちゃっちゃと携帯を取り出した。薄ピンクの女の子らしい 色をしたそれがカチカチと音をたてる。 「はい、これがお姉さまのアドレスです。赤外線を受信にしてくださいますか?」 「あ、うん。ってこれ、勝手に教えちゃって大丈夫なの?」 「お姉さまには了解済みです。なら構わんと仰っていましたよ」 「そ、そうなの?何か嬉しいな。じゃあお願いします」 「はい、いきますよー」 携帯画面に映し出される受信完了に続き、登録しますかの質問にはいを選択して終了。憧れの 孫市さんのメアドがこうも簡単に私の携帯に。その事に今更、感動が沸いてきた。だけど、 「本当に頼っても大丈夫かな・・・?何だか恐れ多いし、聞くのが躊躇われるんだけど」 「大丈夫です!さんだったら話だけでも聞いてくれるはずです!」 「そっか。うん、聞くだけならただだよね」 とはいえいきなりメールで聞くのも無礼だし、こういう大切な事はきちんと会って聞くべきの ような気がする。鶴ちゃんには悪いけれど、せっかく貰ったこのアドレスの出番はまだみたい だ。でも私の為を思ってしてくれた気持ちは凄く嬉しかったので、「ありがとう」と素直にお 礼を言っておいた。それで、孫市さんには今日の放課後に直接会いに行くと決めた。助っ人を 頼まれているということは、おそらく今日の部活動に顔を出しに来る筈だし、その時にでも聞 いてみよう。 -- そして放課後。掃除と帰りのホームルームを終えると、すぐに委員会があると言って早々に教 室を後にしてしまった鶴ちゃんに心の中だけでまた明日と言って、部活のない家康を途中まで 見送ることにした。 「ばいばい、家康。また明日ね」 「おお!も部活を頑張るのはいいが、無理をしない程度にな!」 「!・・うん」 家康の長所はいつも人の事を気に掛けているところだ。今のだってばいばい、の一言で済ませ られただろうに、家康はそうはしない。きちんと私の心配までしてくれる、そういうところに 好感が持てた。初めて好きになったとき、ネットで分けられた体育館をわざわざ女子の方まで 来て心配してくれた思い出が頭に蘇ってきた。ニカッと笑って、「じゃあな」と家康が言う。 そういうところ。 「ふふ」 少し幸せな気分になる。最近悩んでばかりだったけれど、やっぱり家康といるとわけもなく明 るい気分になれるのだけは確かだった。その笑顔に傷つきもするし、実際傷ついたけれど。 家康を見送った後、体育館へ向うべく私も渡り廊下を進んだ。と、前方に知っている人影を見 つけて思わず足を止めた。孫市さんだった。チャンスかもしれない、体育館に入る前という事 は、もしかしたら誰にも話を聞かれずに済むのではないだろうか。なるべくなら聞かなかった 事にしてほしい話しだし、石田君の耳にも入れたくはない。 「ま、孫市さ・・・!ん?あれ、」 伸ばした手が半端な状態で宙に浮き、呼びかけた声が途切れる。孫市さんには先客がいた。 カラスは嫌いだと話し相手を選ぶことで有名な孫市さんと言葉を交わせる人ということは、相 手は相当な人なのかもしれない。ところで包帯を体中に巻いているけれど、あんな目立つ格好 をした人がこの学校にいただろうか。そもそもカラスとは何ぞやという状態の私には孫市さん が彼のどこをみてカラスじゃないと判断したのかも分からない。私もカラスじゃないのだろう か。ともかく、私の伸ばした手は行き場を失った。 「彼は大谷吉継君」 後頭部に息が掛かった。「ひえ!」と思わず喉の奥から出た私の声に、くすり笑う声がして振 り返ると、口元を弧の形に描いた竹中先生が立っていた。 「せ、先生!」 「ふふ、驚かせてしまったかな?」 「いきなり背後に立たないで下さい・・・!」 この先生は本当に、遅刻を責めていないようで責めていたり、私をからかって遊んでいるんじ ゃないかと思う節が多々ある。冷淡と聞いていた人の噂もあまり当てにはならないようだ。 だけど流石は先生。微笑を消すと、次の瞬間には「彼女が気になるかい」と私の胸中を読んだ 発言をした。 「政宗君が抜けて大幅に空いてしまった出場枠を彼女に補ってもらおうと思ってね」 「・・・補うって、そんなことが出来るんですか?」 「そうしないと来年の出場枠を減らされてしまうんだ。与えられた分は使い切らなきゃいけな  いことになっている」 「そうなんですか」 「うん。そうなんだ」 だから雑賀衆に協力を求めたんだ。先生はそう締めくくった。ちなみに大谷君についても少し 触れてくれて、彼も剣道部員だということだった。どうやら他校に遠征に行っていたようで、 だから私は目にすることがなかったらしい。納得した。 「彼は竹刀を振るう事はしないんだけど・・・・おや」 そこで竹中先生が言葉を区切った。その視線は私の頭上を飛び越え後方へ。前方で話す孫市さ ん達とは逆方向の、私がもと来た道である。 「ほら、君の石田君が来たよ。行ってあげなくていいのかい?」 竹中先生の意地悪な発言にむっとしながら振り返る。確かに、石田君が剣道で使う用具の一式 が入った重そうな鞄を手にこちらへやってきていた。その目にはしっかりと、私と竹中先生を 映している。彼が私のサポート対象であることは間違いないけれど、私の石田君なんかではな いことも確かだ。 「先生の言い方じゃ勘違いされそうです。やめてください」 「ふふ、そう気を悪くしないでくれ。悪気は無いんだよ。でも君達二人」 やってきた石田君が足を止めて先生に丁寧に挨拶を述べた。おそらく石田くんは、その前に私 と先生がしていた会話を聞いていないはずだ。その証拠に心持ち、怪訝そうな顔で先生を見て いる。それを手で制し、私にだけ向き直った竹中先生が言った。 「お似合いなんだよ」 なんて返せばいいのか。とりあえず首をかしげて曖昧に笑っておいた。