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「えっと、ごめんね。部活で疲れてるのに見送りなんてしてもらっちゃって」 「半兵衛様から頼まれたことだ。貴様が気に掛けることは無い」 「そっか」 朝早くから始まった部活も、終わったころには午後の7時を回ってしまっていた。大会前だか らそれくらい長く練習があるのは分かってるけど、さすがにお腹もすいたし立ちっぱなしで足 も痛い。それなのに全然関係ない私の家まで見送りをしてくれて、石田君の疲労は大丈夫なん だろうか。って大丈夫なわけがない。 「練習、傷に響かなかった?」 「ああ」 「本当に?今日全力で竹刀振るってたの見たよ?」 「あれくらいで傷が開いたならば、貴様の包帯の巻きが甘かったという事だ」 「あ!そんなこと言う!?」 助けてあげたのに何で私のせいにされなきゃいけないんだか。カチンときた、でも嫌みが言え るなら大丈夫だろう。路地裏で襲われた時ですら刺し傷を誤魔化して何でもないと言うくらい の強情っぱリだから、石田君は私が気にかけてあげなきゃいけない存在の様な気がして、つい 口煩くなってしまう。お母さんか、私は。 「石田君は家に帰っても一人なんでしょ?疲れてるのに家事って大変じゃない?」 「・・・なにが言いたい」 「嫌じゃなければお夕飯だけでも食べて行かない?昨日の残り物くらいしか無いけど、コンビ  ニやスーパーで買って食べるよりずっといいよ」 第一一人暮らしと聞いてやっぱりね、と思ったのだ。その顔色の悪さ、どうせ碌なものを食べ ていないはずだ。大会を控えた剣道部主将が栄養失調で倒れたなんて笑いものになってしま う。怪我の直りのためにもきちんと食べなくては。 それでも石田君は一度きっぱり、「いらん」と言って断った。春の仄暗い夜道にその声は冷た く響いて、こんな中を何の関係もない私の家まで見送りに来てくれたのに、真っすぐ返させる のは申し訳ない気持ちになった。罪悪感、なので決めた。 「うん、包帯も新しいのに換える必要があるし、少しなんだから寄って行きなよ!」 「なっ!!待て!引っ張るなッ!」 「ほら、入って入って!お夕飯にお金使わなくて済むんだしラッキーだと思って!」 嫌がる石田君の重たい鞄を強奪して家に入る。すると返せと喚きながら石田君が私の後を追っ てきた。剣道で使う諸々の用具がたくさん入っているので、盗られては困るのだろう。石田君 はとうとう観念したようで、返す代わりに家で食べてくことになった。 「部活が終わってお腹すいたら家に来ていいからね。私、マネージャーなんだし」 「・・・・」 もっと甘えるべきである。食卓に着いてから押し黙ったままの石田君に、火にかけて温めた煮 物と炊き立てのご飯、それからお味噌汁を出した。不味かったら残して良いからね、と言い残 して、私は一先ず洗濯機を回すためにキッチンを後にした。一緒に食べたいのは山々だけど、 両親がいないので家事を優先しなくてはいけない。 伊達君のことや過去にあった家康とのこと。本当は石田君に聞きたいことはたくさんあったけ れど、大会前のこの大事な時にそれを聞くのは石田君の心を乱すだけだと思って口にするのを 止めた。只でさえ部員が抜けて心許ないと思う。負傷中の剣道部主将には今、少ないながらに も力になってくれる人が必要だ。私も協力しなくちゃ。 -- ってカッコつけていたら肝心なことまで聞き忘れてしまった。 火曜日、連休明けの学校が始まる日。金曜日に持ち帰った教科書の類をロッカーにしまいに行 こうとしたら、鞄の底に鈍く光る物を見つけた。それでようやく思い出した。昨日孫市さんか ら受け取った時に鞄に入れたままだった、シルバーペンダントの存在。石田君かららしいけれ ど、一体どうしてこれをくれたのか、気恥ずかしいけれど昨日本人に直接聞いてみようと思っ ていたのに。 「さん?何見てるんですか?」 「わ!鶴ちゃん」 背中をつんと指でつつかれ、私の体は反射的に飛び上がった。予想外だったらしい私の反応に 鶴ちゃんも驚き、すぐに「すみません!」と謝られる。いつの間に登校してきていたんだろう か。後ろの席へと振り返る。 「いいよいいよ気にしないでー。ちょっと驚いちゃっただけ。おはよう鶴ちゃん!」 「はい!お早うございます!!」 えへへ、と驚かせたことを誤魔化すように笑う鶴ちゃん。連休明けで見るその笑顔はいつもよ り眩しく感じられる。ああ、やっぱり可愛いなあと和んでいると、鶴ちゃんが机の上に身を乗 り出して私の手の内を興味深そうに覗き込んできた。見られちゃったか、と思ったけれど鶴ち ゃんなら許せた。私が「これはね」とシルバーペンダントを説明しようとすると、それよりも 早く、鶴ちゃんは何か合致したような顔で「ああ!」と言って両手をパンと叩き合わせた。 「仲直りしたんですねっ!?」 「・・・え?」 「ペンダントのお返しに貰ったんですか!?羨ましいですー!」 「え、えっと」 そっか、今気づいた。良く考えたら普通はそう思うはずだ。鶴ちゃんは私が家康にとペンダン トを買ってあげたのをその場で見て知っている。でもまさか、そのペンダントが別の男の子に 渡ってしまっているなんて夢にも思わないだろうけど。そしてこれが家康からのお返しなんか ではなく、彼からの物だとも余計に思わないはず。 後ろめたくなってきた。本当のことを言った方が良いんだろうか。そこではたと気づいた。 ここは教室。鶴ちゃんの声は大きくは無いけれど、明るいので比較的耳につき易い。まだ登校 して来ていないようだけど、同じクラスの家康にこの会話を聞かれでもしたら。恐ろしくなっ て、慌てで鶴ちゃんの口を塞いた。 「ふえっ!く、苦しいです!」 「ご、ごめんね!でも違うの。実はこれ、家康から貰ったものじゃないから・・・」 「あ、そうだったんですか。・・・・って、え!?」 「しーっ!」 「あわわ、す、すみません!」 慌てて声を小さくした鶴ちゃんを確認して口を塞いでいた手を離す。知らなかったんだから仕 方がないよね、と言って私もすぐにそのシルバーペンダントを鞄にしまい入れた。こんなもの を学校で取り出す私が悪いんだ。迂闊すぎる。事情を察した鶴ちゃんも口をつぐんだ。 「そういえば鶴ちゃんこそ、宵闇の羽の方にはもう渡したの?」 「いいえ、まだなんです。でも、でも!!私・・・絶対にあきらめません・・・!!」 「そっか、受け取ってもらえると良いね。頑張って!」 「はい!!」 あきらめませんということは、何回か渡そうとしたという事なんだろうか。分からないけれど 私も鶴ちゃんも思うようにいってはいないのが現状の様だ。頑張ろうと誓い合ったけど、現実 は難しい。でも鶴ちゃんの方は私と違ってペンダントが自分の手元にある分まだいい気がし た。私なんて家康にあげるためにと買ったペンダントなのに、石田君に渡ってしまっている。 家康はそんなペンダントの存在すら知らないまま。そして私がお返しに貰ったペンダントは石 田君からの物。なんだかなあ・・・。見事に、「ところでさん!」 「っと!びっくりした。なあに?」 「そのペンダントを頂いた時、くださった方には何か言われたんですか?」 「え?ううん、何も」 そもそも孫市さんを伝って受け取った物だから。と鶴ちゃんに言えば、「孫市姉さまにお会い したんですね!」とはしゃいだ。素敵な女性だったよと返せば、私もそう思います!とまたま た楽しそうにする。「今度三人でお喋りしようね!」「絶対ですよ!」と指切りをした。 って脱線した。 「それがどうかしたの?」 「あ、いえ。その方はさんをお慕いしてるようなので。どんな告白をされたのかと、  少し気になっちゃいました」 「え?」 私も宵闇の羽根の方に・・・!なんて言って頬を染めて乙女ワールドに突入する鶴ちゃん。 いつもならそこで妄想禁止!という突っ込みを入れる私だけど、今はとてもじゃないがそれど ころではない。鶴ちゃんのさも当然というようなその言い方からすると、石田君が私を好きで ペンダントを贈ってきたということになるからだ。それはちょっと、ありえない。 「ねえ鶴ちゃん、どうしてその人が私を好きだなんて思うの?」 「アクセサリーを何とも思ってないのにプレゼントする方はいないと思いますよ?」 それはそうだ。でも私には石田君が私を好きではないと言える確信と事実がある。だから大丈 夫なはずなんだ。でも昨日の、竹中先生が私に微笑んで言った言葉が頭を掠める。 私が来ないのが不安で、石田君は苛々して待っていた、と。心配なんて少し知っている友人に 対してだったら当たり前の様にする事だとは思うけれど、だけどもし石田君が本当にそうであ ったんだとしたら。私に家康がいると知った上で渡してきたということになるし、ペンダント は決して受け取るべきじゃなかった。そう、今の私には一応家康という彼氏がいて。昨日仲直 りをしたから、だから今日は。今日からはまた。 「早いな、」 「きゃい!!」 不意に肩に置かれた温かくて大きなものに驚き、思わず変な声が出た。それをははっ!驚かせ たな、と言って笑う声に振り返れば、今しがた私が頭で考えていた家康がいた。大きな掌が私 の右肩を包む。太陽みたいな笑顔が私に向けられる。以前、私が胸をときめかせていた全てが そこにあった。でも今は何だか、なんだろう。分からなさ過ぎて、何だか泣きたい気分だ。