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「ええええ、うわあ。今日12位じゃん・・・」 久しぶりに朝の登校時間までにテレビを見る余裕があると思って電源を入れてみたら、あろう ことか丁度やっていた占いで私の星座は最下位になっていた。なにこれ、たまに見たらこの仕 打ちですか。なんて女子アナの笑顔にケチをつけてみる。 一気に朝の清々しい気分が落ち込んだので、たまらずテレビの電源を消した。何が人気のない 場所に要注意だ。星座は全く関係ないじゃないか。いらいらしたまま玄関に行き、靴をはく。 私の乱暴な靴音が大理石に響いて、少しさびしくなった。親はまだ帰ってきていない。一人暮 らしは今週いっぱい続くのだ。戸締りはきちんとしなければ。 「いってきます!と」 三連休の最終日、大会を一週間後に控えて、朝早くから練習を行うという剣道部の集まりで、 私も学校への登校を余儀なくされた。石田君にブレーキをかけにいくというわけだ。まだ傷も 癒えてないのに無茶をされたら、竹中先生からお叱りを受けるのは私だ。だからしっかり見張 ってなくちゃいけない。誰よりも気合を入れて学校へ行けば、その通りに誰よりも早く学校に ついた。とりあえず荷物を置きに行って、それからどうするか考えようと剣道場へ向った時。 「久しぶりだな、」 「あ・・・」 下駄箱で、家康に遭遇。ああ、剣道場の上は柔道場だったことをすっかり失念していた。 柔道部も朝練があったなんてそもそも初耳だけど。大会はとっくに終わったはずなのに。私が 家康を応援しに行った、あの大会で。下駄箱から廊下へと繋がる狭い通路は、図体のでかい家 康が立ってしまえば完全に塞がれてしまう。今の私に、逃げ場は無かった。 「元気か」 「う、うん・・・、まあ」 「そうか、そりゃ何よりだ」 会話終了。気まずい沈黙が降りる。さすがの家康もこれには対処法が見つからないらしく、困 ったような顔をして後頭をかいた。さて、どうしようか。 おそらく土日に送って来たメールでの用事を済ませる気なんだろう。だけど暫く一人にしてと 書いたメモの期限はまだ切れたわけじゃないし、家康が自分のした事に気がつかない限り、私 から話しかける気はさらさら無い、つもりだった。だけど。昨日、石田君が慰めてくれたおか げだろうか。それても朝の静かな空気が作用しているんだろうか。今家康を前にしても、以前 のように心が騒いで目もあわせたくない、というほど嫌な気分ではなかった。とうとう諦めの 境地に達してしまったのだろうか、なんて。 「家康は朝練?」 「ああ」 「大会ももう終わったのに?」 「あってもなくても、ワシは常に鍛錬はしているぞ」 「家康らしいね。生徒会長もしてるし」 「いや、皆が頑張っているのに、ワシ一人がやらないわけにいかんからな」 「ああ、うん。そりゃそうだね。そっかそっか、なるほど・・・」 なんだ、私、家康と話せてるじゃん。安心した。やっぱり昨日散々泣いたのが良かったのかも しれない。泣くとすっきりするって言うしね。それに、石田君が側にいて味方してくれたのも あるかもしれない。別れろなんて言われたけれども。 いや、別れは家康が切り出さないようならそれでいいやというのが私の考えだ。思った、多分 私からはそれを切り出す勇気は無いし、やっぱり初めてできた彼氏だからだろうか、別れるの は嫌だという気持ちが強くて到底口には出せない。だから家康が言い出さないなら、今日はこ れで終わりだ。鞄を肩に掛けなおして、私は部活へと向かう事にした。 「じゃあ、またね」 「待て。」 通り過ぎようとした私の手首を家康が掴んだ。結構強く掴まれたので、反射的に眉に皺が寄っ た。それを見た家康が「悪い」と言ってすぐに手を離したけれど、手首の骨が軋んだぞと家康 を睨む。 「少し話がしたい」 「なに?」 「ワシは、が好きだ」 「・・・知ってる。聞いた」 急に好きなんて言葉を言うから驚いたけれど、そういえば家康は恥とかそう言ったものがなか ったよなと思いだした。まあだけど、告白の言葉はさすがに忘れているわけがない。感動し て、あれで私は更に家康が好きになったのだから。 それで、と返す。 「だから、が嫌がることはしたくない。そう思う」 「うん」 守れてないよね、とは口に出さず家康を見るだけにする。早くしないと昇降口だ。誰が入って くるか分からないし、やり取りを見られるのは嫌だ。少し焦りの気持ちが生まれたけれど、家 康の真剣な、深刻そうな顔を見ていたらそれどころではなくなった。頭を切り替えて、家康の 少し俯いた顔をみる。 「」 「うん」 「すまない」 「それは、・・・あれかな」 別れの言葉なの。 私が嫌がることはしたくないと言っておきながら、次の瞬間には別れを切り出すというのか。 胸に黒い物が渦巻いていく。だけど、家康はきっぱりとそうじゃないと否定した。 「違う。決めたんだ」 「お別れ?」 「違う!真面目に聞け!」 嫌みを言えば、家康は初めて声を荒げた。荒々しい口調は初めて聞いたなあ、なんて悠長に考 えて家康を見る私。変だ、今日の私はどこか違う気がする。いつもなら家康を視界に入れただ けでうろたえてしまうのに。昨日あれだけ泣いたおかげ?ううん、それとはまた少し違う気が する。 「ワシは、もう、以外とは極力喋らない」 「・・・・・」 「誤解させるようなことはしない。を大切にする」 そこで家康が一拍置いて、私の顔を真正面から見詰めた。この真剣な顔は、柔道や勉強に打ち 込んでいる時に隣で私が見ていた顔だ。席替えで見ることは無くなってしまったけれど、懐か しいような。好きな表情だった。 「もう一度、ワシにチャンスをくれ」 あれ?と。家康と私の距離が50センチかそこらになるまで近付いてようやく、私は自分の違 和感に気がついた。 おかしい。 今、私は家康の言葉にどきりともせず嬉しいとも悲しいとも思わなかった。凄く凄く客観的に その言葉を頭に入れた気がするのだ。こんなものなんだろうかとも思うけれど、でもそれにし てはやっぱりおかしい気もするし。何だろうか。というか、昨日の私なら家康の言った言葉を 喜んだと思うのに。仲直りしてこれまで同様にやっていこうね、なんて飛び跳ねたと思う。 そのはずなのに、何故か私の心は以前のような気持ちになれなくて。客観的というよりも、こ れではまるで冷静すぎて私が吹っ切れているみたいな。・・・吹っ切れている? もしかして私、家康に冷めた・・・? 「・・・うん」 残酷な私が嫌で、咄嗟にそう答えてしまった。家康の喜んだ顔が私を地獄へ突き落すかのよう に見えて、背中に嫌な汗が流れる。頭がぐわんぐわんと鳴っていた。耳鳴りがする。 私はとうとう、おかしくなってしまったのだろうか。仲直りを喜べないなんて、聞いたことが ない。 -- 「ようやく来たか」 「え・・・?」 剣道場の入り口にある支柱に寄りかかった、一人の女子生徒が声を掛けてきた。 組んでいた腕を解いてこちらに寄って来る人は、孫市さんだった。鶴ちゃんと仲のいい、孫市 さん。噂に聞き及んでいはいるけれど、やっぱり凄く雰囲気のある女性だ。初めてお話しす る。一体どうして、こんなところで私に話しかけて来てくれたのか。 「どうした?顔色が悪いぞ」 「ああ、いえ!大丈夫です何でもありません。えっと・・・もしかして孫市さんも剣道部のお  手伝いですか?」 「いや、話があって来ただけだ」 「そ、そうなんですか」 な、何か用なんだろうか。話が途切れたのにじっとこちらを見てくる孫市さんの視線に気まず くなって顔を俯ける。同学年なのに鶴ちゃんが尊敬する人だから、どんな人なんだろうかと思 ったけれど、友達になりたいのも確かだけれど、この状況はさすがに厳しい。 一体何故私をこんなに見てくるのか。さっき家康にさんざん凝視されたばかりだからもう心労 が半端ないことになっている。うう・・・、みんな見過ぎ。 「あーっと、えっと!私、っていいます!」 「知っている、姫から聞いた」 「そ、そうですか・・・」 「・・・私は頼まれただけだ、口は挟まない。これを」 「ん?」 「石田からだ」 そう言って孫市さんが私に差し出したのは銀の、小さな鎖。受け取ってよく見ると、それはシ ルバーペンダントだった。一瞬、石田君が昨日取っていったペンダントを返しにきたのだろう かと思ったけれど、それとは全く別の、銀のプレートが付いていたので別物だった。ていうか なんでこれを石田君は孫市さんに渡すように頼んだんだろうか。プレゼントは自分で渡しに行 かなきゃ駄目だと思うんだけど。 とは思うけれど、気になることを孫市さんに聞くわけにもいかないし。とりあえずお礼だけ言 って、二人で並んで歩きだした。剣道場へはもう靴を脱いでドアを開けるだけだ。マジほんと 石田君が直接渡しに来いよ、なんて思う。隣を歩く孫市さんは特に気にした風でもなく、淡々 として前だけを見ていた。かっこいい。鶴ちゃんが孫市さんをお姉さんと呼んで慕うのにも頷 ける。丁度目が合ったので、「鶴ちゃんから、いつも孫市さんの事を聞いてます」と言ってみ ると、その孫市さんはほんの少し口の端を釣り上げて、「姫が言っていた通りだな」とこちら も同じような言葉で返された。鶴ちゃんの言っていた通りって、一体どういうことだろう。 気になったけれど、それを聞く前に剣道場についてしまった。 「それじゃ、えっと孫市さん。また今度!」 「ああ、ではな」 家康と会話していたせいで少し遅くなってしまった。遅刻じゃなきゃいいけど。背を向けて行 こうとすると、背中に「」という声が掛けられた。振り向くと孫市さんが。 「何かあったら私のところへ来い。話くらいは聞く」 「・・・はい!ありがとうございます!」 シルバーペンダントを手にした瞬間の、私の歪んだ顔を見られていたらしい。叶わないなあと 思う。いいや、もしかしたら出会った瞬間に私の顔色が悪いと言った時点で何か察していたの かも。気を遣わせてしまったかもしれない。でも孫市さんの言ってくれた言葉は素直に嬉しか った。今度、鶴ちゃんも交えて三人でお話してみたいな。 なんて思いながら、私は剣道場の奥へと足を進めた。キョロキョロあたりを見ていると、ロッ カーのすぐ側に立つ銀の髪を発見した。その横には更に色素の薄い髪をした竹中先生の姿。 「竹中先生と石田君、おはようございます」 怪我の事を先生に報告している最中の様だった。だけど割り込んできた私に嫌な顔一つせずに おはようと真っ先に返してくれたのは竹中先生で、石田君は眉をしかめると挨拶もなしに、 「何処に行っていた。それとも今日も8時起きか」と私に嫌みを言ってきた。今日もってなん だ。今日もって。 「違うよ。時間通りに来てたけど用があって何だかんだやってたらこんな時間になっちゃった  だけだよ」 「遅刻に変わりはない。見苦しい言い訳をして、貴様に恥は無いのか」 「だっ、だから早く来ていたのは事実だから遅刻にはならないってば・・・!」 と、言うものの石田君はぷいと顔をそむけると道着に着替えるべく更衣室へと下がってしまっ た。素っ気ないにもほどがある。誰がその傷の手当てをしてやったと思っているんだ。なんて 少しイラリとしていると、一連のやり取りを横で見ていた竹中先生がふふ、と笑った。 何ですか、とその楽しそうな顔に聞くと、三成君は君が来ないのが不安で、苛々していたんだ よ、なんてにこにこしながら言われた。 それが嬉しいのか恐ろしいのか分からなくて、私は「そうですか」と返して内心自分が嫌いに なりそうだった。先ほど受け取ったシルバーペンダントが凄く重く感じる。 家康と話した昇降口も、朝の、この剣道場もまだ人気がない。なんだそうか。占いは的中して いたんだ。気付いて、立ちつくした。 恐ろしいのは、感情の移り変わり。