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下着ってどうすればいいのか迷ったけれど、あの刺し傷ならお風呂に入るのは無理そうだから 一日我慢してもらう事にした。なので血が付いた服を洗濯している間に来てもらう服一枚と、 お夕飯の材料を買った。肝心の薬はというと、明日お医者さんに見せるまでは下手にいじらな い方がいいだろうと思って、包帯と消毒液だけにした。 「じゃあ石田君、包帯巻いてくよ?」 「早くしろ」 シャツを完全に脱いで床に胡坐をかいて座る石田君が低い声で言う。家に帰って来てすぐに、 私が石田君に泊まっていくように言ったのが原因だろうか。不機嫌になった気がする。 それを指摘するのも何だか妙だったので、とりあえず私は機嫌の悪い石田君を無視して包帯 を巻いていくことにした。細い腰なのですぐに一周が巻ける。 羨ましいけれど、男としてそれはどうなんだろうか。石田君は食べ方が足りない気がする。 「これくらいの傷だったら、大会に出れるかな?」 「当然だ。言っただろう、大した事は無いと。それを貴様が執拗に騒ぎ立てるから・・!!」 「ご、ごめんなさい!!でも凄い怪我をしてるように見えたから!」 そう。思っていたよりは、思っていた以上の傷ではなかった。血を完全に拭って消毒をした ら、そこで初めて傷口だけが露わになったので見たけれど、刺し傷というよりは深く切れてし まったという程度で拍子抜けと言うか。まあ大事に至らなくて何よりだ。本当に。 「でも、やっぱり警察に行った方が良いよね」 「馬鹿が。言えば私達も同罪で捕まるだけだ」 「え!!・・・いや、だけど!」 「大会にも出られなくなる。最悪、停学処分になるだろう」 「う、うそ・・・」 「分かったら貴様は下らぬ考えを捨て、口を閉ざしていろ」 石田君に言い負かされて言葉が紡げなくなる。仕方なく喉に詰まった言葉を呑み込んで、また 包帯を巻いていく作業に手を戻した。石田君も口をきっちり閉じてしまい、二人の間には沈黙 が降りる。表沙汰に出来ないなら、せめて大会は無事に終えたい。 「明日は病院に行って、ちゃんと傷診てもらおうね」 怪我を作る前の体に戻すことは難しいかもしれないけれど、それに近い状態には戻したい。 大会まで一週間と何日かまで迫っている。三連休とはいえ、この月曜日には部活もあるし。朝 から夕方遅くまで鍛錬するなら、石田君の体に負担にならないようにしなければ。石田君をサ ポートするよう、竹中先生に言われている。 石田君は黙っている。病院に行った方が良いと分かっているんだろう。沈黙は肯定だ。そうと 決まれば後でお母さんに電話だ。治療費を貸してもらわなきゃ。 包帯を留めて、緩くないかを確認する。大丈夫そうだったので薬箱を閉めて処置は完了だ。 「私は今からお夕飯作るから、石田君はテレビでも見て楽にしててね」 「作る・・・貴様が?親はどうしている?」 「親なら旅行に行ってるよ。あ、安心して。ちゃんと食べれるものを作るから」 「当たり前だ。変な物を出してみろ。貴様の寝首をかいてやる」 「だ、大丈夫だよ。それにしても石田君は本当にきつい事言うよね・・・」 「・・・・・・ヤツと違って、か?」 ヤツと言う言葉に、私の時が止まったかのようになる。何で急にそんなことを言うんだろう か。家では思い出さないようにしていたのに。石田君が家康を引っ張り出してきた意図が分 からなくて、私は持っていた救急箱の取っ手を握り直す。動揺してしまって、なんて返せば いいのか。だけど私は嘘は言わなかった。 「石田君は、優しいよ」 皮肉めいた石田君の顔は、驚きの表情へと変わった。 -- ひき肉とその他もろもろが混ざり合わさったボールの中のそれを適当な量を手にとって丸く形 成していく。今日はハンバーグだ。高カロリーだから、これで石田君も少しは太るかもしれな い。グラム数の大きい奴を買ってきちゃったけれど、男の子だったらこれくらい食べきれるだ ろう。そんな風に思ってコネコネしていたら、ポケットから何やら振動するものを感じた。 携帯だ。手が肉の脂でぬるぬるしていたので後で確認すればいいやとすぐに無視を決め込んだ けれど、両親からの緊急だったらと思いついたので出ることにした。手を洗って携帯を開いて みる。メールの受信フォルダを開けば「今から家に行ってもいいか」という簡素な一文。 差出人を見ると家康。ぐらりと、私の足元が大きく揺れるような感覚を覚えた。どうしよう。 決まっている。今からなんて、無理だ。簡潔に「今日は家にいない」とだけ打って携帯を閉じ る。これなら来ないだろう。来るとか来ない以前に、今は会いたくないのだけれど。 「何をしている?」 「わ!!びっくりしたー、やめてよ石田君」 「貴様が勝手に驚いただけだ」 「そうだけど・・。何でもないよ、友達からメールが来ただけ。それより石田君、ハンバー  グにはチーズ乗せる?」 「どちらでも構わん、貴様の好きにしろ」 「じゃあ一個はチーズでもう一個はトマトソースね。もうすぐ出来るから向こうで待ってて」 何で石田君がキッチンにまで入ってきているのか。向こうでテレビでも見ててって言ったの に。なんて心の中で悪態をつきながらとっとと形成作業に戻り、熱したフライパンにハンバー グを入れていく。暫くして焼きあがったら私もそれを持って食卓へ。二人で向かい合わせに座 っていただきますをして箸を取る。 「味はどう?」 「・・・・・・・」 石田君はハンバーグを綺麗に箸で切り分けると、口に一切れ入れて黙り込んだ。もぐもぐと頬 が少し動くのが可愛らしい、なんて思っていると石田君の眉間がかすかに歪んだ。 もしかして、中まで火が通っていなかっただろうか。私も慌ててハンバーグを口にしてみる。 だけど、特にいつも作っているのと変わりは無く火も通っていて、味付けも濃すぎるわけでも なかった。 「・・・おいしくない?」 「妥当だ」 「え?どういうこと?」 「作り手が作り手ならば味も同じという事だ」 「つまり、・・・おいしいってこと?」 「・・・好きに取れ」 何それ。よく分かんない。難しい言い方をしないで素直に言えばいいのに。じと目で石田君を 見る。と、気がついた。石田君のお皿にあるハンバーグは順調に減って行っているし、手も休 む様子が無い。これはつまり、私の作った物が口に合ったということなんだろうか。それを認 めるのが悔しかったのかもしれない。なるほど、その考えで良さそうだ。 「石田君。私ね、調理師さんとか栄養士になるのが夢なんだ。だから結構、料理するんだよ」 「ふん」 そのふん、が。私の料理の腕を認めてくれていたようで、ほんの少し嬉しくなった。なのでお 代わりあるよーと言えば、少ししてから空になったお皿を無言で突き出された。持ってこいと いう要求なんだろうけど、何と言うか石田君は亭主関白になりそうだ。 「あ、そうだ。今日寝るところなんだけど」 「・・・」 「って食べてる最中だったね。そのまま聞いてくれていいよ。私はソファで寝るから、石田君  はベッドを使ってね。私の部屋、ベッド一つしか無いから」 そう言うと、箸を置いた石田君がじと目で見てきた。言いたいことはそれで何となく伝わって くるから凄い。口に物が入ってなかったらまた怒鳴られていただろうなと思うと、話を切り出 した自分のタイミングのよさを誉めてやりたくなった。 「石田君は怪我してるし、ソファじゃ痛いでしょ」 「貴様にそこまでされる必要は無い」 石田君が私を見据えて言った。また、私の手助けを拒む目をする。確かに人のベッドで寝るの は抵抗があるかもしれないけれど、シーツは毎日換えているし布団は予備のを使うつもりだ。 「貴様には、家康がいるだろう。勘違いさせるような事をするな」 「でも・・・それと怪我は別。それとも石田君は、その程度で勘違いしちゃうの?」 「・・・・・・」 「石田君、私が泣いてるのに付き合ってくれたでしょ。だから私も石田君が苦しい時に力にな  ってあげたいなって」 泣いていて心が弱かったから、優しさが余計に身に沁みたのもあるかもしれない。そうだった としても石田君が鞄を持ってくれたり家まで送ってくれたりしたのは事実だ。 家康とのことは、今はいい。考えたくない。急に私の家に来てまで何を言いに来るつもりだっ たのか。胸がつまっていって、苦しくなる。家康の事を考えると憂鬱になりそうで、気分を振 り払うためにわざと明るく言って立ち上がった。 「はい!分かったら石田君の今日の寝床はベッドだよ!」 「今日だけだぞ」 「うん。分かってる」 石田君も諦めたのか、苦々しそうに言って立ち上がった。台所で一足早く食器洗いを始める私 に、石田君は自分が使ったお皿を運んできてくれる。 皿洗いを終えて風呂に入り、石田君の血の付いたスプラッタなシャツを洗濯してしまって夜の うちに干しておけば今日のお仕事は終わり。 買い物で買った袋を開ける余裕も無いままに今日一日が慌しく終わってしまった。 「おやすみ、石田君」 「ああ」 返事がある。嬉しかった。