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面白い。
を側室として迎え入れてから一月が経とうとしていた。 最初の頃はそれこそ、城中の者達が「半兵衛様が乱心なされた」と騒ぎ立てもしたが、件の女中の元へは夜のお渡りも無け れば足繁く尋ねる事も無かったので、きっと何か半兵衛様なりに考えがあって側室にしたのだろうと皆が割り切るようにな った。当たらずとも遠からずか。半兵衛にしてみれば数多くいる女中の一人が死んだところで困る事など一つも無かったの だが、それでは本人の望みどおりになってしまうのが面白くないという考えから自分の目の届く範囲で彼女を生かしておく 事にしただけのことであった。しかし側室に召し上げてからというもの、彼女は正に好き放題である。野放しにして病気の ことを言い触らされるよりはましだと思ったが、それでもさすがに苛立ちを禁じえなかった半兵衛はある日、その節で世話 になった女中頭を自分の元へ呼び出した。で、女中頭は頭を深く下げ謝罪して言ったのである。 は病気でああなったと。 ほんの一年前までは今のようにおかしなことを口にしたりする事など無かったし、数多くいる女中達の中でも働き者と評さ れるほどであったという。俄かには信じ固かったが、そうでなければ今の今まで城に居続ける事など出来なかっただろうと 、それで半兵衛は納得したのだった。しかしだからといって彼女の奇行が止む訳も無く、3日に一度は事を起こして半兵衛 を振り回すのが日常となっていたのだが、話を聞いた後だからか、半兵衛はそんな側室の悪行をあまり煩わしく思わなくな っていた。しかしそれはその程度で済んでいた悪戯だったからである。 「半兵衛様!」 切羽詰った家来の声を聞いた半兵衛は持っていた筆を止めた。廊下を慌しくやって来た足音に対して、仮面の下にある端正 な顔をほんの少し不機嫌に歪めた半兵衛は障子に目をやる。 「またかい?」 「は、・・・はいっ」 毎度報告するのも申し訳ないとばかりに腰を低くして返事をする家来に、「君に怒っているわけじゃないよ」と言って、半 兵衛は手に持っていた筆を硯の上に置いた。呆れた様に溜息を一つ零し、またかと呟く。 最近では家来が半兵衛の元を訪れる理由が仕事ではなく彼女の悪行の報告となっていた。この間は確か、庭の池に薬をまい て鯉を全て浮かせたとかだったのを思い出して、半兵衛は額に手を当てたのだ。友である秀吉の夢のために自分の残り少な い時間を捧げようと考えているのに、こんな下らない事に時間を削られたのではたまったものでは無い。そうでなくとも半 兵衛には時間が無いのだ。障子に映る家来の影に「君達で対処をしてくれ」とぞんざいに返した半兵衛だったが、「恐れな がら」と主の命を遮って続けた家来の声に嫌な予感を覚えた。 「玉蔓様と様が、揉め事を」 一瞬、半兵衛は玉蔓とは誰かと家来に聞き返しそうになって、それが例の彼女を側室に取るよりも前にいた室であると思い 出した。随分前にした同盟の折に一方的に寄越された女であったが、女に費やす時間すらも惜しい半兵衛は豪奢な着物や小 物を与えるだけ与えて好きにやってくれと放任していた。時たま、思い出した頃に孫を催促する手紙が義父より寄越された が、それも何かと理由をつけては先延ばしにしていたのだ。正室を持たない半兵衛にはこの玉蔓より他に女の影は無かった のだが、その側室すらも半兵衛には目の上のたんこぶでしかなかった。それでその玉蔓が何をしたというのか。“彼女”が 関わっているという事に盛大な不安を覚えて半兵衛が聞けば、家来は「ともかく来てください」と説明する事を拒絶して頭 を下げた。で仕方なく、半兵衛は重い腰を上げざるを得なくなってしまったのだった。 「半兵衛様!!」 家来の先導で行き着いた場所はどういう因果か、半兵衛がいつか気の触れた女中に罵声を浴びせられた場所だった。縁起の 悪い、と内心で眉を顰めていた半兵衛の耳に飛び込んで来たのは随分と懐かしい、忘れていた側室の玉蔓の声で。助けを求 めるその声を探って半兵衛が家臣や彼女達の女中が取り囲む騒ぎの中心に行けば、そこにはと玉蔓の姿。 そして床に散らばった黒い、おびただしい程の糸。 「それは」 「・・・っ様がなさったのです!様が!!」 泣きじゃくり、面を下げたままの玉蔓を慰めるようにして支える彼女の女中の一人が口を利いた。泣き続ける玉蔓に半兵衛 が目をやれば、彼女の髪は首の中ほどまでざっくりと、見事なまでに切り落とされていた。乱雑に切り落とされたその下か ら先は彼女の体を離れて無残に床に散っている。がやったのか、と半兵衛は彼女に向き直る。 「、また君かい?」 「廊下を歩いてたらこの女に着物の裾を踏まれたの。やり返してやったら何を勘違いしたのか泣き始めただけよ」 少しも悪びれる様子が無く、は坦々と半兵衛の問いに答えた。 しかし半兵衛が本当に気になったのは誰がやったのかではなくどうしてやったのかであって、何を持って玉蔓の髪を切った のかということだった。まさか常に刃物を携帯しているわけでもあるまいと半兵衛が彼女に視線をやると、しかし半兵衛の 予想を裏切る形では切っ先の尖った鋭い出刃包丁を手にしていた。 それを見て半兵衛は心底自分の考えが甘かったと後悔したのだが、事が起きてしまった後には何もかもが遅すぎた。あれで 玉蔓を殺さなかっただけましだろうかと思い、今度はその玉蔓に目を向けた。 「には僕からよく言っておく」 未だ着物の袖を涙で濡らす玉蔓にそう言って、半兵衛はを呼んだ。 彼女を信じるわけでは無いが、もし先に手を出したのが本当に玉蔓であったならば、慰める必要はどこにも無い。しかしと もかくをこの場から外さなくてはと半兵衛は思った。 周りの家臣や女中達が今此処で彼女を非道だと非難でもすれば、激昂して手に持った包丁を彼女が振り回さないとも限らな いのだ。そんな半兵衛の心配をよそに、呼ばれたは玉蔓へと一度振り返ると言った。 「良かったね!死ななくて。死ねばもっと良かったけど!」 笑顔で言ったそれに、周囲の者達全てが凍りついた。空気までもが凍りつく中で、彼女だけは平然とした表情で半兵衛の隣 へと歩み寄る。つまりは、周囲に止められなければ玉蔓を殺すつもりでいたのだ。 凍りついたままのその場に背を向けて歩き出した半兵衛は、後を追ってくる彼女にやはりそうだったかという呆れの気持ち で心中一杯になった。 病気。 半兵衛は女中頭が言った彼女が病気であるという言葉を思い出して、しかしこれから起こるであろう事を予想して内心ほく そ笑む。己の病が彼女のように精神をも蝕むものでなくて良かったと思わずにはいられないが、彼女には彼女で病気だから というのを理由に出来る事がたくさんあるのだ。それはつまり、彼女の利用価値を意味していた。 「怒らないの?」 「怒って欲しいのかい?」 半兵衛の後ろを歩くは首を振ってにやりと笑った。 それでこの騒動から一ヶ月ほど後に、心労にほとほと衰弱した玉蔓と文で事の次第を知ったその義父から半兵衛は離縁を提 案されることになるのだが、これを半兵衛は内心嬉々として受理することになるのだった。持て余していた目の上のたんこ ぶを、自分のせいではなく彼女のせいにして体よく追い出すことが出来たのだ。 が起こした騒動で初めて益を手にして万々歳だったのは他でもない、半兵衛だったのである。 「、何か欲しい物はあるかい?」 「あんたの首」 半兵衛は笑った。 最初の頃よりも、半兵衛は随分とを気に入っていた。