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とても優しい子です。
報告に上がった家来が部屋を後にした後、話しがあると直接半兵衛に謁見を申し出たのは、城の女中達の世話までもを一手 に引き受ける女中頭その人であった。半兵衛は彼女が城に仕える兵達からも母のようにして慕われている事を聞き及んでい たから、実直で信頼に足る人物であろうと判断して何か用かと尋ねた。それで話の許可が取れた女中頭が口を開いて言った 事というのがそれであった。その言葉を耳に入れた半兵衛は何のことかと問いはしなかった。先日の女中の件であることは 明白であったし、そもそも口に出す事すら憚られる内容であったからだ。本来ならば不敬罪で死んでいる。しかしその件の 女中というのは折りしも今、城の奥深くに幽閉されていた。半兵衛は忙しさにその女中の下を訪れる時間が未だ無かったの だが、今している仕事が一段楽したらすぐにでも話を聞きに行かなければと思っていた。その矢先での、女中頭からの発言 であった。余所行きの笑みを貼り付けて半兵衛が続きを促すと、女中頭は額づいて赦しを請った。 「どうか、お命だけは」 延命させる価値があの女中にあるようには思えなかった。そも、女中頭に嘘を言われたのかとすら半兵衛は思ったが、それ にしては彼女があまりに必死に床に頭をこすり付けて頼み込むものだから、虚言かそうでないかすら分からなくなってしま った。それで結局、半兵衛は早めに執務を片付けてしまうと己の目で女中を見定めるべく直々に牢に向かうことにした。 「変わってはいますが、本に正直で真面目な子で御座います」 牢へと向かう道中に先程の女中頭の言葉が頭を巡っていた。全く持って信じ固い発言だと思ったが、しかし女中頭はまた、 件の女中があれであるという事をちゃんと分かっていると発言に含んでいた。あの異常性を分かった上でもそう言うのであ れば、彼女には実は人間的なきちんとした一面があるのかもしれないと思わなくも無かったが、やはり先日の彼女の奇行を 思えばそう簡単に懐疑の心は晴れなかった。そんな事を考えているうちに牢の入り口まで来ていた。監守と見張り番が半兵 衛に気づいて慌てた様子でいるのを手で制して、彼は颯爽と「失礼するよ」と断り、暗い監獄の中へと足を進めた。 「というのは君だね」 格子の向こうに広がる薄暗い闇の中で、女と思しき影が蠢いた。何人たりとも今は此処に入らせないようにと言ってあるが 隣の檻にいる人間が聞いていないとも限らない。半兵衛は多少声を低くして彼女に近くまで来るよう言った。すると程なく してその言葉通りに白い肌をした少女が歩み寄ってきたが、三度目の邂逅に際して、彼女は笑っていなかった。意外に思い つつ、しかし話を聞く好機だと半兵衛は口を開いた。 「単刀直入に聞くよ。君は何故僕が病に冒されていることを知っていた?」 「知っているから」 即答。「これは何?」「林檎」そんなやり取りに似ている。表情一つ変えずに喋る女中の姿はやはり常軌を逸しているよう に思えたが、半兵衛は内心それを気に掛けているどころではなかった。部屋で咳をしているところを通りがかりに見られた のだろうかと予想していたのだが、今の口ぶりからするとそうではないらしい。しかし思えば半兵衛は相当気を使ってばれ ない様にしていたから、うっかり見られていたという可能性は低いのだ。であれば何故知っているのか。情報が洩れている となれば一大事だと半兵衛が焦りを覚えた時、格子を掴んでいたその女中が半兵衛の顔を覗き込むような角度から見据えて 口を開いた。 「お前は血を吐いて死ぬんだよ。このうすら馬鹿」 予言。しかしいかれた女の戯言だと切り捨てるにはそれはあまりに的確過ぎて。事実、近頃の半兵衛は咳をする度に血を吐 いている。しかしながら全くもってふざけた話だと、半兵衛は内心自嘲した。これの一体どこが優しい子だというのか。女 中頭に小一時間問い詰めてやりたい気分になったが一時の憤りに任せて剣を抜くのはさすがにまずい。これを庇った女中頭 の処罰もそれ相応に考えておこうと半兵衛は頭の隅に置き、今はただ己の心を落ち着かせた。しかしそんな半兵衛の苛立ち を敏感に感じ取った女はそこでようやく、あの時と同じ厭らしい笑みを浮かべて半兵衛を見たのだった。それを、半兵衛は 己の腰に差した獲物に手を掛けることで説く。 「・・・君は口が過ぎる。死にたくないのであれば人の秘密を逆手にとって利用する事に頭を回した方が賢明だよ。僕なら そうする」   2人を隔てる牢の格子越しに見つめあう。最後の忠告だとばかりに半兵衛が女中をねめつけた時、それまで薄笑いを浮かべ ていた女中がくつくつと、今度は声を上げて笑い出した。二度も見ているとはいえ、奇異な光景には軍師ですらも呆気に取 られた。あるいは軍師だからこそ、余計に考えのいかない行動をする女が奇異に思えるのかもしれない。何かに憑かれてい るかのようにひとしきり笑った後、女中は言った。 「奇遇よね、私ももうすぐ死ぬのよ!!だからあんたの事を皆に触れ回ってばらしていく方が生き甲斐があって楽しいって わけ!あんた、死ぬのが怖いんでしょ!!怖いのよね!!?」 喚き、格子を壊さんばかりに手を暴れさせる女の姿は完全に気が触れている。いっそ清々しいほどの本音をぶちまける女中 の姿に半兵衛はこういう類の人間が一番危ないということを直感で感じ取った。それで切り捨ててしまおうかと思い遂に手 を刀に置いたのだが、しかしそれにしては一抹の己の気を引く言葉があったので、最後に口を利くことにしたのだった。 「そうか。君も、じきに死ぬのか」 「そうよ。死ぬわ。だけどあなたみたいに死に追われてはいない」 たっぷりの嫌み。そのやり取りで、半兵衛の気は変わった。刀に置いていた手を再び下ろし目の前の女中を見る。対峙する 2人の表情は全く同じだったが、心の内は全く違っていた。半兵衛は死に追われている。しかし友のために、自身の夢の為 にもまだ死ねなかった。いずれ死ぬ時が来るのは分かっているがそれまでは何としてでも死に抗い続けなければならないと 思っていた。しかし目の前の女中は違うらしい。死に追われていないと言ったその口ぶりは、何故だかまるで早く死にたい という風に半兵衛には聞こえた。ということはつまり、もしそうであったならば此処で女中を殺してしまうという事はみす みす彼女の願いをかなえてしまう事になるのだ。と理解して後、一考した半兵衛は不適に笑って言った。 「いいだろう。後日、改めて君に妥当な処分を下すとしよう」 そう言って、怪訝な顔をした女中を置いて半兵衛は牢を後にした。部屋に戻るまでの間、半兵衛の口元には機嫌の良さを表 すかのように薄く笑みが作られていたのだが、道中それに気づくものは誰一人としていなかった。もし見ていたとしても、 まさか城主がその様な考え事をしていたなどとは夢にも思わないだろう。だから次の日、件の女中が竹中半兵衛の側室とし て迎え入れられたという知らせは城中を混乱に陥れた。