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あなた、何で死ぬの?
その気味の悪い女を見るのはこれで二度目だった。竹中半兵衛は目に悪いものを見てしまったと思い即座に元来た道を戻ろ うとしたが、後から聞こえてきた言葉に足を止めざるを得なくなった。その女を一度目に見かけたときの事を言うならば、 酷く不気味だったという印象を受けたくらいなものだ。しかしそれは彼女を説明するに十分な一言だった。そもそもは、友 である豊臣秀吉との天下統一の夢のため尽力して執務に取り組んでいた竹中半兵衛が息抜きがてらに部屋の障子を開けた時 のことである。眼前に広がる庭の穏やかな景色に暫し目を休ませていると、視界の片隅に白くはためく物が目に入った。 紋白蝶かと思い目を向けると、それはこの城に仕えているであろう女中と思しき女がしゃがみ込んでいる後姿だった。それ にしても何があって庭の隅で丸くなっているのかと怪しく思い、こっそりその姿を眺めていたのだが、半兵衛は暫くすると その女が何かを手に持っていることに気がついた。それで目を凝らしてよく見ると、真昼の陽の光りに照らし出されたそれ が異様なまでによく研がれた出刃包丁であることが分かった。いよいよ持って怪しいと半兵衛は面に出さず内でのみ警戒の 心を持ったのだが、女はそこで徐に立ち上がり振り返ったかと思うと、半兵衛を見たのだった。気づかれていたのか。 とはいえ、豊臣の天才軍師がこの程度の事で揺らぐ事は無かった。加えて半兵衛はこの城においては豊臣秀吉に次ぐ権力の 持ち主であったから、一人の女中に後ろめたさを感じる事など少しもありはしなかった。だから堂々と、「そこで何をして いる」と問うたのだ。するとどうだ。彼女は薄ら笑みを浮かべてニタニタと笑い、言った。 「何でもありません」 普通。この城に仕える女中も通り縋る家臣たちも皆、半兵衛に話しかけられると少しの畏怖を持って頭を下げ答えるのだ。 彼らは一様に、秀吉と半兵衛を崇めている。しかしこの女中はどうだ。まるで死んだ女のようだと半兵衛はその出で立ちに 思う。白い着物に白い顔。加えて、その嫌らしい笑み。 「仕事に戻り給え」 恐れる必要は無い。たかが女中だ。そう思い半兵衛は手で跳ね除ける仕草をすると女はその通りに、一礼して視界の端から 姿を消した。しかし残された半兵衛の目に映るのは何も無くなったはずの穏やかな庭ではなく、今しがたの気味の悪い笑み だった。まるでそこに死体を埋めているのを隠しているような、そんな笑みだった。気味の悪い女中もいたものだと、半兵 衛はそうして障子を閉めたのである。それが、今から一月ほど前の事だったか。 「ねえ死ぬのは痛い?怖い?」 半兵衛にはもう口を利きたくないと思う人間がたくさんいたが、見たくもないという程の人間にはまだ会った事が無かっ た。だから振り向いた先にいた女中が思いのほか至近距離にいたとき、思わず不快な気持ちよりも失せて欲しいと言う気持 ちが勝った事に彼自身驚いたのだった。そして相変わらずのにやにやとした笑みを浮かべた女中。 「・・・その礼儀を弁えない口を閉じたまえ。それ以上言うのであれば君のその口を二度と利けないようにしてあげよう」 半兵衛が声を荒げる事は滅多に無かった。しかし女中と瞳があった際に見た不気味な光りに何かを感じた半兵衛は知らず、 声を荒くして女中に言ったのだった。しかしそれを聞いた女は数泊の後、笑った。くつくつと笑いに笑ったかと思うと、半 兵衛に顔をぐっと近づけて言った。 「殺せばいいじゃん、殺せばいいじゃん!!でもお前が死ぬことに変わりはないんだよ!!」 その言葉を繰り返した。異常だと思い、半兵衛は一歩後ずさる。こんな気の触れた様な女中がこの城に仕えていた事自体が 信じられなかったが、半兵衛にはしかし気が触れただけでは済まされない恐ろしさをその女中に覚えた。大きな声で喚く女 中の声に気がついた家臣たちが何処からとも無く半兵衛の元に駆けつけ、急ぎ女の口を塞いだ。ようやく来たかと腰に差し ていた柄から手を離した半兵衛は家臣の一人に言伝してその場を後にする。 「殺さず、捕らえておいてくれ」 死んだ女のようだ。 気違い以外の何ものでもない。あんな女は生かしておくべきではないと半兵衛は思ったが、しかし殺すよう命を下す事はま だ出来なかった。何故、誰にも明かしていない己の病を知っているのかを聞く必要が出来てしまったからだ。しかしそれを 聞くにあたりあの女との間に会話が成り立つのか疑問だが。執務に戻るべく足を進めた半兵衛だったが、背後からまだ聞こ える女の奇声に胸糞悪い拾い物をさせられたと内心ごちるのだった。