そーりん超可愛い、が様の口癖である。
もう何度聞いたかも分からない。ともかく一日に一度は耳にする言葉であっ
た。その度に宗麟様は形容の仕方も知らない馬鹿なのですね、と返される
が、様は差して気にした風でもなく、次の日もそう言うのである。
しかし今日の朝はまだ一度もその言葉を耳にしていなかった。
「なんですか、これは・・・・!!」
そう言うと、我が主は手にしていた文を握りつぶされた。
ここ最近執務続きでザビー教の時間を取れなかった事で蓄積されていた不満
が爆発したのだろう。原因はそれだけでは無いが、くしゃくしゃに丸めた紙
を怒りに任せて投げ捨てられると、我が君はそのままの調子で「宗茂!」と
手前の名をお呼びになられた。
「必ず奪われたものを取り返してくるのです!それまで戻ってきてはいけま
せんよ!」
「はっ。我が君宗麟さま。必ずや」
我が君が望まれるのであれば手前はその望みをかなえる為に尽力する。
それが、例えどんなに下らぬ事であったとしても主に仕えると決めた手前の
武士としての忠義であった。
宗麟様の部屋を出るとすぐに準備をするべく手前は部屋に戻る。
今回、我が君が手前に申しつけなさった事は数ある命令の中でも最も厄介な
ものであった。大体こういう事こそ我が君ご自身が自分の力で解決しなくて
はいけない事だと思うのだが・・・。っと不敬だ。不敬。
これは聞かなかったことにして頂きたい。ともかく手前はやらなくてはいけ
ないのだと雷切を手にして、決意を新たに部屋を出た。
(しかし様も大概困ったお方だ・・・)
「様ー!どこに居られますか、様ー!!(あー帰りたい)」
様は宗麟様の事を慕っておられる。
その慕い方というのが恋文をしたためる程度であれば良いのだが、未来から
来たというのが関係しているのか、こう言うのもなんだがかなり過激であっ
た。
執務中の宗麟様の背に抱きついて離れないわ、ザビー教の時間にも教義を学
ぶ我が君の顔を飽きることなく横から眺めていたりと。
挙句の果てには「可愛いねえ、そーりん。食べちゃいたい」と擦れ擦れの発
言までなさる。恐れという物を知らぬのだろうか、様は。
おかげで四六時中べったりと張り付かれてしまった宗麟様は執務に支障を来
たし、仕事が滞ってしまった。
そしてその皺寄せというのは必ず来るもので、溜まりに溜まった仕事をとう
とう処理しなくてはいけなくなった宗麟様は追われる様にして部屋に篭り机
に向かう事となった。それで駄々を捏ねられたのは様である。
宗麟様の側にいられないのが相当堪えたらしい。今日の朝、何故か手前の部
屋の前に文が置かれていたのである。
宗茂さんへ、これそーりんに渡して下さい。
そーりんへ!君の愛するザビー様がくださった帽子は私が寝ている間に頂戴
いたしました。返して欲しければここまで来なさい!より。
という様な内容の文を残して様は消息を絶ってしまわれた。
要はこれを口実に遊んで欲しいのだろうが、勿論執務に追われる我が君には
帽子を探している暇など無い。
代わりに手前が取り返して来いと使わされたのだが、ザビー様から頂いたと
いうその帽子を我が君は大層気に入っておられたので、取り返せなかったと
あらば手前には手痛いお叱りが待っていることだろう。しかし構って欲しい
という様の心の内を思うと、胸中複雑になった。
(宗麟さまが直々に行かれるべきなのだ・・・)が、我が君の命は絶対であ
る。
「様も帽子ではなくて他にやり方があったと思うのですが・・・」
「じゃあそーりんに合わせて下さいよ、宗茂さん」
「!・・・様!こちらにおいででしたか」
不機嫌な声に振り返ると様は庭の寒椿の元にしゃがんでおられた。
頭には我が君の黒い帽子が乗っておいでで、衣服は着物だというのに宗麟様
の帽子はよくお似合いでいた。
鼻を啜る音がして、手前は様が泣いていたのだと気づく。
こんな遠い城の隅まで来て泣いていたのだろうか。それならばなんといじら
しいのか。しかし手前の使命は帽子を取り返すことである。同情してはいけ
ない。
「我が君は溜まった執務を片付けておいでです。終わるまでは何人も、」
「それは知ってます。昨日遊びに行ったら締め出されたんですから。
ただそーりんが足りないんですよ・・・!!!」
様はそう仰ると椿の枝の先を折られた。
毎日可愛いと言って我が主を愛でておられるのだ。会えなくて本当に辛そう
であるが、会えたところでいつものように纏わりついて仕事の妨害をするの
だ。我が君の心労が伺えるようで、手前は思わず部屋で手習いでもしたら如
何ですか、と様に返していた。
「やりましたよ。でも一刻もしないうちに飽きました。大体こっちの字は
ぐにゃぐにゃしていて分かり辛いったらありません」
「では華を」
「私が出来るとお思いですか?」
「・・・失礼しました」
片手で帽子のつばを掴み泣き顔を見られまいとして隠す姿は何処にでもいそ
うな女子の姿である。
が、様は此処では無い世界から来たお方である。
右も左も分からぬ世界は不安だっただろう、そんな中で唯一居場所を与えて
くれた宗麟様は様の信頼出来る数少ない人間であった。
というのに、その主から突き放されてしまってはどれ程に心細いか。手前は
様の境遇を思うと、やはり同情を禁じえなかった。
「・・でしたら特別に、少しだけ宗麟様と話しをする時間をとりましょう」
「え・・・?いいんですか!?」
「もうすぐ仕事も終わりですし・・・。手前もその帽子を届けに上がらなく
てはいけませんので。ついでということで」
仕事が片付くまで部屋には誰も入れないようにと宗麟さまから言いつけられ
ていたが、終わり頃であれば大丈夫だろう。我が君の言う事は絶対だが、こ
のまま様を放っておく事も出来ない。
手前がそう言うと、手にしていた椿の小枝を放り投げ勢い良く立ち上がった
様が「今からさっそく宗麟のところに行ってきます!!」と言った。
瞼を乱暴に拭ってから元気に駆け出して行くその後姿を見送る。
立ち上がった際に地に落ちた帽子を拾い上げ、手前も宗麟様のもとへと向う
べく体を反転させた。
奥もああだったらなあと、ほんの少し我が君を羨ましく思うのである。
「そーりん、会いたかったよー!最近私の相手全然してくれないじゃん。
遊ぼうよー、さんは寂しい!」
「僕はここの主で、貴方のような暇な人間と違ってする事がたくさんあるの
です!それをがいつも邪魔するからこうなったのです!!」
障子を開けた先にいつもの光景が広がっていた。宗茂!持ってくる様に言っ
たのは帽子だけのはずです!と憤る主に手前は頭を下げて謝罪を述べる。
様は久しぶりに宗麟様のお顔を見れて大層ご満悦そうである。
宗麟様を押し倒し、うつ伏せておられるのをいい事にその背に乗り上げ頭を
撫で繰り回しておられる。猫可愛がりとはこういうことを言うのだろう。
内心微笑ましく思いながら主を見やる。が、先程の言葉は撤回する。
奥はこうでなくていい。手前が宗麟様の立場だったらと考えると嫌になっ
た。
「ねえ、そーりん」
「何です」
「終わったら鬼ごっこしてくれる?」
「・・・・・・・しません」
激務の疲労も来ているのだろう。心底うざったいと言いたげな顔をされた後
宗麟様は力尽きたかのように面を畳みに伏してしまわれた。が、そんな事は
お構い無しと、背に乗る様は宗麟様の御髪を引っ張りになられた。
(手前がやったらどうなる事か。様は本当に恐ろしい事をなさる)
「そーりん、どしたー?」
「・・・」
「そーたん?」
「・・・」
「とも。ともりん。ともたん」
これは酷い。と思いながらも初めて聞く我が君への愉快な呼称の数々に思わ
ず笑いが出そうになった。は、手前はなんと不敬な!!己を律せんと腹に力
を入れると、最後の一つと様が留めの一撃を放った。
「りんりん」
さすがに宗麟様もりんりんは限界だったのだろう。私が噴出すのと宗麟様が
勢い良く顔を上げられたのはほぼ同時であった。起き上がった我が君は眉を
吊り上げ様を見たが、その隙を逃す様ではなかった。
「はい、隙あり。ちゅー」
額へ接吻。
怒ろうとしていた宗麟様のお顔は突然のその出来事に驚き固まってしまい、
様はこれを好機とばかりに可愛いねーと言って主に頬擦りなさった。
我が君に此処まで出来たものは未だかつていない。
宗麟様に仇名す悪でなければ手前は手を出さないと決めていたが、これは場
合によってはその必要があるかもしれない。
そんな事を思いながら主に声を掛けようとしたが、それよりも早く宗麟様が
様のお手を取られた。
「・・・・・」
「うん、何?」
許しません、という言葉と共に宗麟様が上半身を持ち上げられた。
背に乗っていた様は当然ながら後に倒される。
しかしゆらりと起き上がった宗麟様を見た様はにっこりと笑われた。
「鬼ごっこね?そーりん!遊んでくれるなんて嬉しい!ありがとう、愛して
る!!愛してるー!!!!」
けたけたと笑いながら様は部屋を走って出ていかれた。
しかしその笑みからはこれから宗麟様に怒られるのだという恐怖は無く、唯
単純に我が君と遊べるのが嬉しそうなだけであった。
間もなくしてその後姿を追うべく宗麟様が立ち上がり、障子へと手をお掛け
になった。
「宗麟さま、執務がまだ残っております」
「心配せずともすぐに戻りますよ、宗茂。帽子を寄越しなさい」
「は」
捕まえたらどうしてやりましょうかね、と呟きになられて我が君は帽子を受
け取られた。
それを被り出て行く我が主の頭には、もはや残された執務をどうするかなど
関係無いのだろう。しかしその姿はとてもとても、楽しそうなのである。
結構なことであった。
鬼ごっこは二人きりがいい。
(手前も奥が帰ってくれば・・・。いやでもあれ程で無くても・・・)
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