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「ちゃん、いつまでパジャマでいるつもりなん?はよ着替えーね。
 今日も見合いあるってばあちゃん言うたやろ」
 
 
 
夏に向かって徐々に日が伸びているせいで時間の感覚が狂っていた、何だか
んだで昨日は家に帰ってきたのが8時をすぎていて、観光で溜まった足の疲
労に風呂から上がるとすぐに布団に沈んだのだった。
なのでまだ寝ていたいと布団の端を握り締めた矢先にお婆ちゃんに無理やり
布団を剥ぎ取られてしまった。
ちょっと、と声をあげたところで突如鳴り響いた家のインターホンに抗議は
かき消された。
 
 
 
「毛利さんじゃないん?」
 
「まさか」
 
 
 
でもそうだったらどうしよう。
昨日の今日でそれはありえないと思うが、まさかの展開が頭をよぎる。
どちらにしろこんな格好で出れるわけが無いのでとりあえずこの場はお婆ち
ゃんに出てもらって、その隙に私は急いで着替えを済ませてしまおうと布団
を飛び出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お茶を出して待たせてるから速く行きなさいと言うお婆ちゃんの言葉に、
来ているのが毛利さんではないと分かった。
しかしそうなると一体誰なのかと不安になってくる。
母の実家であるこの地に友達と呼べるような人はいないし、そもそも住んで
いないのだから人付き合いすらない。
もしかして今日の見合い相手が早く来過ぎてしまったのかと思ったけれど、
それだったらおばあちゃんが相手の顔を知っているから私に言うはずだ。
午前11時、朝ごはんもまだだというのに。
早く済ませて帰ってもらおうとふすまに手を掛けると、完全に開ききらない
うちに中から声が上がった。
 
 
 
「おお、待ってたぜ。ってーのはあんたか!」
 
 
 
デカ。
口で言いそうになったのを飲み込んで大柄な男性にはあと返事を返す。
何で私の名前を知っているのだろうか、こんなガタイの良い男の人は知らな
いと頭に疑問符を浮かべる私の考えを悟ったのか、突然悪りいな、とニカッ
と効果音がつきそうな笑みを浮かべた。
その豪快な笑い方が男の人でも毛利さんとは大違いだと思わず食い入るよう
に見てしまった。眼帯が気になるけど悪い人では無いようなので、とりあえ
ず向かいの座布団に腰を下ろす。
 
 
 
「あ、毛利さんのお友達ですか?」
 
 
 
勘は鋭い方なので多分あってると思ったけれど、目の前の銀髪の人は派手に
顔をしかめてやめてくれと言った。でも面識はあるようなのでそれを友達と
認めるかどうかの違いだと思うのだけれど。
 
 
 
「腐れ縁ってやつだよ。オレァ長曾我部元親っていうんだが、毛利の妻って
 言うからどんなもんか気になってちょっくら立ち寄ってみたんだが」
 
 
 
まだ妻じゃないのに、誰がこの人にそんな言い方をしたのだろうか。
けど毛利さんに加えて友達まで美形だとは想定外だった。美形に関わるとこ
んなスパイラルになると知っていたらお見合いの席でとっとと断っていたの
に。長曾我部さんは愛想が良い分まだ話しやすそうで良いけど。
ただ一つ気になるのは海の男をイメージさせるその派手な格好だ。
 
 
 
「長曾我部さんは漁師でもやってるんですか?」
 
「あーまあ似たようなもんだ。船に乗ってるのは確かだけどな」
 
 
 

もし長曾我部さんが私の見合い相手第一号だったら間違いなくこの人にした
と思うのに。堂々とした風格は兄貴分のように見えなくも無くて、この時代
にこのカリスマ性を持つ人は現代には中々いないと思った。
美形なのがやっぱり難点だけど憧れの海の男だ。今も逞しい胸板を惜しげも
なく堂々と晒している。
そのことに胸中でガッツポーズをする私だけれども、さすがに服は着たほう
がいいんじゃないかと思った。
 
 
 
「毛利の奴、あんたの前じゃ澄ました面してんだろうな」
 
「そうでもないですよ」
 
 
 
想像して楽しそうにしている長曾我部さんには悪いけど、澄ました顔はあれ
が毛利さんの標準なんだと思う。
そのせいで冷たく見られがちだけど、あれでいて毛利さんにもちゃんと表情
があるという事を昨日知ったから、冷たいというイメージは私の中ではほと
んどなくなっていた。
マジかよ。と私の言葉に長曾我部さんが驚いたように言い、ついで私の顔を
値踏みするような目で見た。
 
 
 
「こりゃあひょっとすると毛利のやつ本気かもな。なにせ自分から、」
 
「余計なことを言うでない、長曾我部」
 
 
 
何時の間に部屋に入ってきたのか。
ふすまの開く音がしなかったと驚く私と、ゲッと顔を引きつらせる長曾我部
さんの顔を交互に見やって毛利さんが部屋へと足を踏み入れた。
まさか本当に毛利さんが来ると思わなかった。
長曾我部さんに突っかかる毛利さんの横顔をじっと見ていると自分の心臓が
速まって行った。
見慣れたとはいえやっぱり美形が苦手だから緊張しているのか、それとも別
の何かが原因でこうなってるのか判断できなくて、お茶入れてきますと言っ
て一人逃げるように部屋を出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
女の喧嘩は醜いと言うけど男の喧嘩はどうなのかと考えた時に、あまり差が
無い様な気がした。違うとしたらやっぱり男の方が力がある分派手だという
ことくらいだろうか。男性の喧嘩は女性が手を付けられないし。
 

嵐の前のなんとやら。
 

お盆を持ったまま何とかふすまを開けるとそこには胸倉を掴んで睨み合う二
人の姿。毛利さんも顔に出さないだけで意外と激情家なんだと思い、そっと
二人の前にお茶を置いて静かに観察することにした。
喧嘩をしに来たのなら他所でやって欲しい、こっちにだって午後は見合いの
予定があるのだから何時までも付き合ってはいられないと思うのだが、せっ
かく毛利さんが来ているんだからお喋りがしたい、とも思ってしまう。
そんな私の視線に気づいたのは長曾我部さんの方だった。
 
 
 
「オイ聞いてくれ!毛利のヤツ、」
 
「黙れ長曾我部!即刻この場を去れ!」
 
 
 
毛利さんが言わせまいと長曾我部さんの言葉に被せるので聞き取れない。
もう何だか好きにやってくれという感じだ。そもそも何が理由でこんな事に
なってるんだろうか。
しかし今一番の問題を抱えているのは二人ではなく私の方だった。
11時を過ぎて何も口にしていない。ピークを過ぎると空腹が収まると言う
が、力が抜けてくることを忘れてはいけない。
お昼を抜いたせいでバイトの最中に腹の虫が鳴ったことが昔あった。その時
は優しい先輩が脳への糖は切らせてはいけないと言ってお菓子をくれたのだ
った。
いや、今はもうそんなことどうでもいい。とにかく何か食べたい。
けどこんな状態の客二人を残して一人席を立つのも如何なものか。くらくら
とする頭で考える。
 
 

 
ぐう。
 
 

 
その音に睨み合っている二人の目が丸くなった。
何とも間抜けな音だと私も情けなく思うけれど、二人して鳩が豆鉄砲を食ら
ったような顔で見なくともいいじゃないかと思った。
けれどそんな事を言う元気はもう残っていない。
 
 
 
「・・・すみません。そろそろ限界です」
 
 
 
心底限界に近いため、恥ずかしいと言って顔を赤らめるような乙女な反応も
とりつくろうことも出来ない私を、それでも次の瞬間豪快に笑った人が一人
いた。
 
 
 
「最高だぜアンタ!!」
 
 
 
心底楽しそうに笑う長曾我部さんの目の端にはうっすらと涙が浮かんでいた
。確かに素晴らしいタイミングで鳴ったとは思うけれど、そんなにウケるの
かと逆に問いたくなるほどに笑っていた。
それならこっちはどうだろうかとちらりと毛利さんのほうを見ると、丁度目
が合ってしまった。
 

あ、何か恥ずかしいかもしれない。
 

長曾我部さんにはお腹が鳴ったのを聞かれても恥ずかしいと思わなかったの
に、何故か毛利さんだと意識してしまうせいか頬に熱が集まっていく。
引かれてしまっただろうかと思って毛利さんを見ると、そんな私の真っ赤な
顔を哀れに思ったのかなんなのか分からないけれど、仕方のない、とでも言
うような小さな呆れた笑みを見せてくれた。
それにまた頬が上気して行くのが今度こそ恥ずかしくて、せめて見られまい
として頬を両手で包んで必死で隠した。
 
 
 
 
 
 


 
「おうおう、お熱いこって」
 
 
 
そう言って開け放たれた庭の方へと出て行く長曾我部さんは帰ることにした
らしい。どうやらこの喧嘩は私と毛利さんの勝ちらしかった。








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