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日傘が欲しいなあと太陽に手をかざしてみる。
あれからさらに日は高くなって、毛利さんが車を止めたのは古い町並みの残
る小路に来た頃だった。静かな清流の音が耳に響いて、ゆっくりと毛利さん
に並んで歩きだした。
「毛利さんは、どこに住んでらっしゃるんですか?」
別に何だって良かった。話の話題なんか。ただ緑の青々としたのがひたすら
美しくて気持ちが安らぐのを誰かと共有したかった。
「県外だが、」
「え!?そんな遠くから今日はわざわざ来てくださったんですか?」
「・・・そんなわけが無かろう。そなたは人の話を最後まで聞くよう教わら
なかったのか」
「ご、ごめんなさい」
「別邸が此方にあるのだ」
別邸。
そうじゃないかとは思っていたけれど、やっぱりかなりのお金持ちだったん
だ。古めかしい口調からも相当な家柄だと推測できる。
今更だけど住む世界が違う気がしてきて、自分が毛利さんの隣を歩くのは不
相応だと恥ずかしく思った。
「そうですか・・・」
そんなことを考えていると急に落ち込んでいって、そっけない返事をしてい
た。だからといってここで上手い返しをして話を盛り上げようというバイタ
リティも無い。それに私が話すことを毛利さんは面白いと思わないかもしれ
ない。
色々考えていたら黙るしかなくなって、だから話はそこで途切れてしまい再
び歩みを進めるしかなくなった。
今更だけど、何で毛利さんが私の見合い相手だったのかが分からない。
高嶺の花というか。
毛利さんに私は相応しくない。仕事が出来て収入も良い、顔も良し家柄も良
しとくればその妻もそれなりでなければ当人達では無く両親が結婚の許しを
出さないだろう。
って、こんなことを考えているということは、私は少しでも毛利さんを結婚
相手として意識しているということなのだろうか。そうだとしたら身の程知
らずも良いところだ。
舗装されたアスファルトが日の光を反射するのがまぶしくて目を細めると
私の少し前を歩く背中が遠くなった。
もし今、私が反対方向に走り出したとして毛利さんは追いかけてきてくれる
だろうか。
馬鹿なことばかりを思いつく私の頭に、だからはっきりと断っておくべきだ
ったんだと罵るしかなかった。
「あ、カモ」
どれだけ歩いたか、気づくと壁沿いに川が流れていた。この地に着いたとき
に聞こえた水の音源はここだったのかもしれない。
浅いのだろう、川に落ちて積もった葉が丁度良い土手のようになっていて、
その上でカモが4羽休んでいた。今日は天気が良いこともあって眠いらしく
日向でまどろんでいる。
「毛利さん、カモかわいいですよ」
「・・・どうでもよいわ」
私が一羽を指差すと毛利さんは心底どうでもいいというような声で言った。
そんな寂しいことを言わないで欲しいと隣に立つ毛利さんを見やると、しか
し口ではそう言ったものの目はうたた寝するカモに向いていた。
何だ、しっかり見ているじゃないかと天邪鬼な毛利さんのために足を止めて
今しばらくカモを観察することにした私はなんて聡いのだろうと調子に乗っ
て毛利さんに一歩、二人の間をつめてみた。
きっと気づいているはずだった。
「カモ、おいしいですよね」
そう言った瞬間、ふっと。
耳をくすぐる音が聞こえて空気が和らぐのを感じた。それが隣に立つ毛利さ
んからだと気づいてそれでもある身長差の分見上げると、目が合った。
笑った?
肝心のところを見逃してしまったけれど確かに今のはそうだったと確信する
。私を映している瞳を囲む枠がほんのわずかばかりその尖りを緩やかな曲線
に変えたのを気のせいではないと思った。
「そなたの突飛な発言には驚かされる」
褒め言葉なのか嫌味なのか分からないけれど、そのどちらでも良かった。
穏やかで聞き心地の良い声に混じる水の音と暑い程の日差しに映える緑に私
の時間が止まった。
カモに視線を戻してしまった毛利さんは『言われてみればよく肥えたカモで
あるな』なんて言ってカモをそんな目で観賞し始めていた。その横顔は心な
しか楽しそうに見える。
可愛いのはカモだけじゃないなあと、少年のような面影をその横顔に見つけ
た。
街灯が少ない。
加えて最近は田舎であっても夜の一人歩きは油断なら無いと此処に来たとき
に祖母に言われていた。
車のガラス窓の外は真っ暗で、運転する毛利さんは前が見えているのだろう
かと心配になるがハンドル操作に迷いが無いのを見ると大丈夫そうだった。
明日にはまた別のお見合いある。
一体何人とやるのか正確な数をお婆ちゃんに聞いていなかったのでいつ終わ
るかは分からないけれど、多分毛利さんのようなインパクトのある人にはも
う出会わないんじゃないかと思った。良い意味でも悪い意味でも。
たとえ何回デートを重ねても合わない人とは合わないと思う。
だけど今日一日毛利さんと一緒に過ごしてみて、凄く自然な状態でいられた
と思った。緊張したのは最初だけで、一緒にいて飾らなくていいというか。
今だって車内に私達の会話は無いけれど、だからといってラジオか音楽をか
けて紛らわすことを考えなかった。
車が右折して見覚えのある通りに入ったところで家までもうすぐなのだと分
かった。
「今日一日、ありがとうございました」
まだ止まってほしくなくて、私が会話をすることで運転に支障が出たら良い
と罰当たりなことを考えた。勿論この程度で毛利さんのスピードを落とせる
わけも無く、そのままあっという間に家の前まで来てしまった。
「誘ったのは我ゆえ、これくらいは当然であろう」
「いいえ、色々助かりました」
その後にまた誘ってくださいと言いそうになったのをちょっと違うと思って
言い留める。
あれだけ晴れていたのに月も星も見えない空をどこか虚しく思いながらさよ
うならとお辞儀をして玄関の取っ手に手を掛ける私を確認して毛利さんも車
へと戻って行った。それから暫くしてから車の遠ざかる音が聞こえた。
靴を脱いで家に上がった時にふと、行きの時と全く逆の気持ちで帰ってきた
ことに気がついてもしかしなくても、と直感する。
毛利さんのことが好きになった?
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