ぴぴぴ、となる目覚まし時計を止めてまだ眠たい体を無理やりベッドから起
こした。竹中君の乗る電車は私が以前乗っていた時間より一つ早いものだか
ら、それに合わせるとなると起きる時間も当然早くなる。
だけど早起きをすれば竹中君と一緒の電車に乗れるわけだから、そう考える
とこんなのは苦労のうちにも入らなかった。さあ、今日も一日がんばろうと
ベッドから足を出したところでふと、壁掛け時計が目に入った。7時半。
あれ、電池切れてたっけ、と思い先ほど止めた目覚まし時計をもう一度見る
と、やっぱり7時半。
「う、うそ。」
何で、という言葉をつぶやくより先に学校へ行く仕度をするために体が動き
だした。すごいな、私。どれだけ竹中君のために必死なんだろう。
自分に感心しながらも手早く洗面を済ませて、それが終わったら朝食をとっ
た。お母さんが忙しい子ねえ、なんて言うのが聞こえたけれど、今は腹を立
てている場合じゃないと歯を磨く。それから鞄を持って蹴るようにして革靴
を履いて家を出た。
あああああ、竹中君・・・!!
走って走って。
はっきり言って今の私は見れる顔をしていないと思う。普段からスポーツも
しないし運動部でもないから、家を出て走り始めてすぐに息が上がった。
それでも歩くわけには行かなかった。だって、私の一日の始まりは彼の姿を
見て始まるのだ。今走ってるのはすべて彼と一緒の電車に乗るため。でなけ
れば今から歩いたところで以前と同じひとつ遅い電車に乗っても余裕で学校
に着く。でもそれでは全く意味がない。だってその電車には竹中君は乗って
いないのだから。
家から駅までは結構ある。だけど後ちょっとで駅だからここで止まりたくな
かった。呼吸が、肺が苦しいともう無理だと私に訴える。
竹中君は、私を知らない。
ふとそんなことが頭に浮かんだ。
私が頑張って走って、それが間に合おうが間に合わなかろうが、彼はそんな
私の努力を知るわけじゃない。
それどころか私の存在にすら気づいてないのだ、今私がここで歩いてしまっ
て間に合わなくても、明日間に合って彼と一緒の電車に乗れても、彼にとっ
ては知らないことで終わるのだ。だから、ここで歩いてしまってもまた次の
日に彼が見れるのだから、そんなに必死になることじゃない。
そんな考えが頭の中に浮かぶ。
ああ、いやだ。考えたくない。ここで歩いてしまったら私の竹中君への思い
がその程度だったかのように思えてしまうのだ。
どうして苦しいときはこんなことばっかり考えてしまうのだろう。だってそ
れは一番痛いところなのだ。私はこんなに必死になってまで竹中君と一緒の
電車に乗るのを毎日楽しみにしているのに、彼は、私の存在すら知らないの
だ。
足が、止まった。
その後はもう最悪だった。
足も肺も限界だったので仕方なく歩くことにした。つまり、ひとつ遅い電車
に乗るということだった。とぼとぼと駅までを歩く間、涙が出そうだった。
自分が情けなくて仕方がなかった。だって何もかもが言い訳だ。歩くための
、自分への言い訳。それも好きな人のせいにしたもの。
走って乱れた髪を手で乱暴に撫で付けながら時計を確認すれば、今から乗る
のは以前と同じ竹中君がいない時間の電車だった。
だからもう、歩いた自分へのちょうどいい罰だと思うことにした。
そもそも遅く起きた自分が悪いのだ。それなのに一緒の電車に乗れない理由
を無理やり作って自分を納得させようと甘やかした。そもそも、そんなこと
を考えること自体が汚いのに。改札口を通ってホームに出る。もうすぐ来る
電車の中に、彼はいない。いない。それに胸が痛くなるのを感じたが自業自
得だと無理やりその気持ちを押し込めた。竹中君がいないならいつもみたい
に乗る車両にこだわる必要はないと、人が少なさそうな場所に行こうと周り
を見回したとき、
「おはよう」
うそ。
「た、けなかくん・・」
どうして、気づかなかったんだろうか。
私のすぐ横に、どうして。
「君とはよく一緒の電車になるんだけど」
「・・・知ってるよ、だって、」
見てたもの。毎日。
どうしてこんな時間に?竹中君いつもひとつ早い電車なのに。そんなことよ
り今私の目の前にいるのは本当にあの竹中君なの、竹中君、よく一緒の電車
になるって言ったけど、私のこと知ってたの。聞きたいことがあふれてくる
のに頭の処理が追いつかなくて、ただもう目の前にずっと憧れてた本物の竹
中君がいるのが、すごくうれしくて、信じられなくて。
「今日は本を読んでたら家を出るのが少し遅くなってしまったんだ」
君も?
桜色の唇が薄く伸ばされて少し意地の悪そうな笑みを作った。
その微笑がすごく綺麗で、だけどそれが今私に向けられているんだと思った
ら途端に胸が高鳴ってきた。落ち着かなきゃ。
「私は、単なる寝坊なの。目覚ましをセットする時間を間違えてたみたいで
起きたら7時半だった」
うまく返せただろうか。緊張で上ずった声なんか出したら恥ずかしさで死ね
ると思い、精一杯彼に返事をする。
「ふふ、それはご愁傷様だね」
胸が握りつぶされそう。
竹中君、竹中君の姿を見ただけで幸せになるのに、そんなに微笑まれたら私
は死んでしまえるよ。意地悪なことを言われてるのに、まだ頭のどこかでこ
の光景を信じられないと思う私がいて、そのままどこか夢心地で喋ってるせ
いか、ふわふわして、なんだか泣きそうな程で、でも。
「でも、いいことあったよ」
あ、口に出てたかな、と思って竹中君を見ると少し目を丸くして、それから
「うん。僕も。」ってさっきの意地悪な感じじゃない、すっごくきれいな柔
らかい表情をした。やっぱり口に出してた、と思ったけれど、竹中君を遠く
から見てた頃には見れなかった表情が見れたから、そんなのもうどうでもよ
くなった。朝日に透ける白い髪も、ミステリアスに見える肌の白さも、綺麗
な桜色の唇も、最初見たときに思った王子様そのもののようで、それは全部
、目の前にいる竹中君のものだった。
細いと思ってたのに、やっぱり男の人なんだ、結構体がしっかりしてること
とか、初めて近くで見る竹中君に見蕩れていると、その視線に気づいたのか
、竹中君が私を見た。
「さっきの、」
竹中君が何か話そうとしたとき、駅のアナウンスがホームに響いた。
彼の声がさらわれてしまう、なんてタイミングの悪い、と思って焦ると竹中
君の顔が近づいてきて、突然のことに顔から火が出そうになった私をくすり
と笑って耳もとで言った。
「うそだよ、君と話したかったから待ってた」
だめだったかい?なんて言って首をかしげる竹中君がすごくかっこ良くて、
あまりの緊張でパニックになった私は声がとっさに出なくて首をぶんぶんと
振った。うわ、私、今、竹中君とこんなに近くで喋ってる・・・・!!
あの、いつも遠くから見てるだけだった、あの竹中君が、今私の目の前にい
る。竹中君が近づいたときにした彼の香りに今更そのことをしっかりと実感
して、朝、あんなにごちゃごちゃ考えてたのに竹中君に会えただけでもうこ
んなに喜んでる私は一体どこまで竹中君中心に生活が回っているんだろうか
と思った。でもだって、今私の目の前でふふ、なんて優しく笑ってる竹中君
が、思ってたよりもずっと優しいその声が。
駅のホームに入ってきた電車に、竹中君と私、当然のように二人で乗るのが
本当のことなんだって思って、横にいる彼をもう一度見たら、しっかりと目
が合った。
運命とか、あってほしい。
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