もう片づけ始めているクラスがあるのを横目に見ながら、私は半兵衛に手を
引かれて目的のクラスへ向かう。クラスにつくと幸いまだ片付けはしていな
かったみたいで、執事姿の男子生徒達が何人もの女の子達に囲まれて記念写
真をねだられていた。なるほど、片づけはしていないというより出来ないの
か。両腕をしっかりと抱きしめられて笑顔で写真に応じる男の子の顔には疲
れが見て取れた。女の子はこういう時にとても逞しくなる生き物だ。
よれよれの執事さんに同情した。
「何というかさすがだね。半兵衛もあんな感じで囲まれたの?」
「ああ、想像以上に疲れたよ。君を探すために抜け出していなかったら僕も
今頃ああなっていたと思うよ」
「お、お疲れ様です・・・!」
半兵衛がそのままこっちだよと言って私を教室の隅、窓際のテーブルに案内
した。椅子を引いて座るのを促す半兵衛はそこで執事モードに入ったようで
メニューを慣れたしぐさで広げた。
「改めまして、お嬢様。何をお飲みになりますか」
凛とした声でそう言う半兵衛は、私のすぐ横に凛々しく立って、さっきまで
と纏う雰囲気の違いに私が緊張してきた。ていうか凄く様になっていて格好
良い。
「何か敬語で半兵衛が喋ると緊張するね・・・!えっと、ちょっと待ってね」
後夜祭は打ち上げも含んでいるので夕飯が出る。肉やら何やら固形物はその
時に食べられるからここで無理して食べる必要はないと思い、とりあえずと
無難にりんごジュースだけを頼むことにする。
「じゃあ、りんごジュースをお願い」
「かしこまりました。少々お待ち下さい、お嬢様」
右手を左胸に当てて一礼をすると半兵衛は奥に下がった。その時に浮かべて
いた笑みに含みがあるような気がしたけれど見なかったことにする。ふう、
と肩を下ろす。カーテンが席の仕切り代わりに引かれているので個室状態に
近く、他の人が何をやっているのか分からないのが良い造りだと思った。
やることが無いので頬杖をついてみる。
そういえばさっき普通に注文してしまったけれど、バサラ祭は一応終わった
ことになっている。半兵衛は客を連れてきて大丈夫なんだろうか。
偉い人に責められたり私みたいなことになったりしないだろうか。あ、豊臣
君っていう世紀末覇者が半兵衛の友達にいるからその可能性は無いか。
私にもかすがちゃんとお市ちゃんがいるけれど、それ以外のクラスの人とは
本当に話さないからこういう時に社交性って必要だなと考えさせられた。
しばらくしてカツコツと革靴が近づいてくる音がしたので頬杖をやめて姿勢
を正した。
「あ!え、・・・あれ?」
「・・・・・・」
石田君だった。
しかも執事姿。なぜ。何で。当然半兵衛が持ってくると思ってたんだけど何
が起きたよ。誰か説明して。大体石田君は執事じゃないって半兵衛言ってな
かったっけ。いや、まあ私の知るところじゃないから別にどっちだっていい
んだけど。ってそれより石田君想像以上に執事姿似合ってるんですけど。
えー、ちょっとこれはかなりの棚ぼたじゃないか!?(ぼた餅どころかむし
ろ棚から本マグロなんだけど)
近づいてくる石田君に内心でうわーうわー叫びながら、ジュースを置く石田
君の一挙一動に目を奪われる。やっぱり私の予想した通り、石田君は執事が
めちゃくちゃ似合う!
「失礼します・・・」
その声に愛想はミジンコほども無かったものの、まあそれが彼らしいと思っ
た。何より今は執事という格好のおかげで言うことなすこと全てが可愛くな
るという魔法が石田君にはかかっているので余裕で無罪だ。
むしろあの石田君が敬語を使っていることに胸キュンした。普段怖い人が執
事をするだけでこんなにときめくのね!ギャップ萌って凄い威力。
石田三成、侮りがたし・・・!
「石田君」
トレイを脇に抱えて去ろうとする石田君の背に声をかけて引き止める。
石田君は嫌そうに、それでもちゃんと振り返ってくれた。不機嫌を隠しもせ
ずに用件を言えと目が言う。石田君と目が合ったことに満足して私は口を開
いた。この気持ちは伝えなくてはいけない。
「痺れるよ、それ」
そう言うと石田君は目を見開いて驚き、それから居心地悪そうに下唇を噛ん
で私から目を逸らした。可愛いぞ、石田三成。
私がなおも見つめ続けると、耐え切れなくなったのかそのまま無言できびす
を返して出て行った。石田君がこんなにいじり甲斐のある人だったなんて。
心の中でほくそ笑む。私はどうも最近半兵衛に影響されてきている気がする
んだけれども、まあ別にそれでもいいやと思い直してストローに口を付けた
。何の変哲も無いりんごジュースだけどやけにおいしく感じた。
「お気に召したかい?」
「あ、半兵衛」
石田君が出て行ったあとからひょっこりと半兵衛が出て来た。どうやら石田
君に注文したものを運ばせたのは半兵衛の仕業らしい。りんごジュースを頼
んだときのあの半兵衛の笑いはこの事を考えていたからだったんだと理解す
る。
「凄いプレゼントをありがとうね、半兵衛」
「礼には及ばないよ」
執事はもう終わってしまったのかとその喋り方に少し残念な気持ちになる。
敬語の半兵衛も新鮮で良かったんだけど。まあ午前中頑張ってたみたいだし
私の救出もあってもう疲れてるだろうから、仕方ないのかな・・・。
それでも格好は執事のままの半兵衛が向かいに腰を下ろした。
「ただ。三成君を口説いたのは頂けないな」
にっこりと。二人で顔を見合わせて笑っていたのもつかの間、半兵衛はそう
言ってすぐに表情を真剣なものに変えて言った。
「いや、口説くって・・・。ただ褒めただけだよ?」
りんごジュースはまだ二回しか口を付けていない。ストローで氷をざくざく
とかき回すのを半兵衛が一瞥するとそれで、と続けた。
「僕には無いのかい?」
「褒め言葉?もちろん半兵衛も似合ってるよ。当然!」
「そうじゃないよ」
じゃあ何のこと?頭からはてなを飛ばす私に、半兵衛が頬杖をついてそのま
ま上目遣いに私に分からないのかと目で聞いて来た。その一連の仕草にどき
りとしつつも答えなかったら碌なことにならないと直感する。まずい。
目の前の半兵衛からは静かなエスのオーラが漂い始めている。
「痺れる、って彼には言ってたじゃないか」
「あ、あれはノリで言ったんであって、こう真面目に真正面からは、ていう
か言わなくたって半兵衛が一番なのは分かってるでしょ」
「」
「む、無理だよ」
「」
テーブルの真向かいから半兵衛の真剣な瞳が私に無言の圧力をかけてくる。
こんなドシリアスの雰囲気の中、見詰め合うようにして痺れるなんて言える
わけが無い。どこのフランス人だ。しかもストローで遊んでいた私の手には
いつの間にか半兵衛の手が重ねられていた。甘い状況なのは嬉しいけれども
ここは学校であって決して高層ビル最上階の高級レストランじゃない。甘い
言葉をはいたところで全校生徒の話のネタにされるのがオチの場所だ。
なんにしろ、私が恥ずかしすぎるのだ・・・・!
「・・・また押し倒されたいのかな」
ぼそり。半兵衛のその呟きに反射的に私の覚悟が決まった。
それは勘弁。その気持ちで私のスイッチが切り替わったらしい。それでもや
っぱりはずかしかったから少し顔を下げて自分の膝を見つめたままで意を決
して口を開いた。
「半兵衛・・・痺れるよ」
「うん」
想像以上に恥ずかしい。顔に熱が集まっていくのが分かるのが恥ずかしくて
半兵衛に握られていない方の手で頬を抑えて隠す。半兵衛の返事が小さかっ
たなと思って顔を上げずに目だけ向かいに向けると少し困ったような表情の
半兵衛と目が合った。色の白い頬が少し染まっている気がするのだけれど、
気のせいだろうか。
「今日一日君のために頑張った甲斐があったよ、ありがとう」
その半兵衛の優しい笑みに、私がありがとうと言いたくなった。
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