花咲く春に会う 前篇













蛍光灯の明かりが嫌に目にちかちかとする。
汗でべたつくシャツを脱いでベッドの脇にやると直に空気に触れて涼しくな
った。電気をつけて時間を確認すると始めてから三十分が経過していた。
処理の後の虚無感が少ないのは決まってオカズがその女の時で、頭の中でな
ら凄く従順に自分を求めてくる姿にすぐに高みに達するせいだった。
女に困ったことの無い自分が他の女を求めずに一人で処理をしているなんて
滑稽にも程がある。しかしヘタにやるより満足感があった。
勝手に使うことへの罪悪感が無いわけではないが本能が彼女を求めるのだか
ら仕方が無い。
いっそこの煩悩すらもと自嘲の笑みと共に投げ捨てたティッシュは既に同じ
もので溢れるゴミ箱に吸い込まれるようにして入っていった。
熱帯のように蒸す部屋で一人溜息をつく、深夜2時のこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

梅雨が明けて夏入りが宣言されるまでの数日間に涼しい日があった。
夏休み前の期末テストにむけて勉強に追われる生徒の数々に目もくれずに伊
達政宗は悠々とあくびを一つかました。
そもそも自分には勉強をする必要がない。授業と教科書を読んだだけで大体
が頭に入ってしまうのだ。やるだけ時間の無駄だった。
このバサラ学園には頭の良い人間が他にも多くいたが、その中にいても引け
をとらず伊達政宗は常にトップクラスにいた。それはまた頭だけでなく体力
の面でも言える事で、2年にして既に剣道部の大将を任される実力だった。
故に伊達政宗を知らない人間はこの学園にいない。
 

しかしそんな男に一人、名前を尋ねてきた女がいた。
 

頬杖をつくその横顔に気付いたのが最初だった。席替えをして後ろの席にな
れたとはいえ、窓側から二列目という中途半端さに苛ついたのだ。
その窓際の席を幸運にも手に入れる事の出来た人間は誰なのかと見やると、
クラスでも地味に入るほうの女子で一瞬名前が思い出せなかった。
 

確か、だったか・・・。
 

別にそれだけで終わる程度の存在だった。
自分の好みでもないし、どちらかというとボーっとして平和ボケしているよ
うな印象の女だった。
 
 
 
 
 
 
 

何気なく周りを見ていると目が合った。
しかし合ったと思ったらすぐに反らされてしまい、それと同時にくるりと反
転した体は窓の方に向けられてしまった。あれ以来一言も口を利いていない。
向こうの気が済むまで放っといてやったほうが良いと思ってそうしているが
あまりに露骨過ぎる態度だった。
隣同士の二つの机の間の通路は狭いのに、その溝はマリアナ海溝よりも深い
らしい。一度近づいた距離はあの頃に逆戻りした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
時たま、バレない様に教科書で顔を隠して小さく微笑むことがあった。
何がおかしいのかと女の目線の先を見てみるがいまいち掴めない。あまりに
それが続いたので酷く気になって教科書を忘れたフリをして近づいてみたが
それでも分からなかった。そして何かの切欠で女が自分に言ったのだ。
 
 
 
「ごめんなさい、名前、何でしたっけ・・・?」
 
 
 
学年が上がって同じクラスになってから四ヶ月は経つ。酷く申し訳なさそう
に名前を尋ねてきた女も自分が失礼なことを聞いていると分かっている顔を
していた。それにしてもよりによって自分を知らない人間が居るとは。
そちらの方が驚きで、逆に自分がその女子に興味を持った。
何をそんなに楽しみにしているのかは分からない。しかし普段自分や他の人
間を見る目が物など無機物を見るのと同じで無関心なのを思うと、それは酷
く可愛い笑みで印象強く自分の頭に焼きついて。
 
いつしかその笑みが自分に向かないだろうかと懸想するようになっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 






 
頬杖をついている。
あの頃と違って彼女はもう教科書に隠れてその微笑みを見せることがなくな
った。そうしたのは紛れもなく自分だが。
何時まで経っても目の前の女の心を支配していたのは別の人間だった。
ようやくその視線の先にあるものの正体を知った時の衝撃といったら人生の
ベストテンに入る程だった。しかしめげずにどうにかしてその視線を自分に
向かせることは出来ないかと考えた末の策だった。
女の頭の回転が無駄に良いのがタイミングの悪さもあいまって最悪の結果に
なってしまったが、二人の仲を裂くことは出来たからまあ良しとしよう。
しかしいつから自分はこんな最低の野郎に成り下がったのか。
 
 
 

「政宗君、・・・教科書見せて」
 
 
 
回顧していた頭に響いた久しぶりに聞く声に耳を疑った。
先程まで頬杖をついて窓に目をやっていた女は体裁が悪そうにこちらを見て
言葉を待っていた。その机の上にあるのはノートだけ。
おそらく期末テストの勉強をしようと家に持ち帰ったものの持ってくるのを
忘れた、そんなところだろう。
あまりじろじろ見るのも可哀想だが、あれからまだ日が浅いうちは意地悪を
しない方が良いだろうと素直に自分の教科書を渡してやった。
 
 
 
「・・・政宗君は?」
 
「俺はいい、アンタが一人で使え」
 
 
 
これまでに伊達政宗が望んで手に入らなかった物はない。
そもそも彼自身そんなに欲は無かったが今回ばかりはどうしても、心から欲
しいと思った女だった。今まで相手にした女とは違うのだ。
いつから本気になったのかは分からないが、とにかく気付いたらそうだった
。しかし本当に欲しいと望む物に限って決して手に入らないように。
彼女もまた決して手に入らない存在だった。
 
 
 
「・・・ありがとう」
 
 
 
だからその微笑が向けられた瞬間、酷く驚いて柄にも無く動揺してしまった
。今まで見てきたその微笑みは別の人間に注がれていた。
自分が壊して見れなくなったその微笑が自分の目の前に、今まさに自分のた
めだけにその瞬間向けられた。
授業中にも関わらず目の前で起きたその奇跡に構わず彼女を抱きしめた。
良い香りが鼻をくすぐって肺を満たす。
クラス中の注目を集めたことに小さな悲鳴を上げて急いで己から離れた女は
怒った顔で文句を言う。しかしその顔はどういうわけか以前と異なってほん
のりと赤く紅潮している。
 

まさか。
 

今しがた自分に向けられた微笑みに含まれる意味にすら彼女自身まだ気付い
ていない可能性を直感で感じとった伊達政宗はひとり心のうちでほくそ笑ん
だ。それは確かな確信と自信に変わる。
 
 
 
 
 
 
 


 
 
手折った花の責任は取りに行くべきだ。
 
そうだろ?
 








花ぬすびとが言う。
 





→後篇