石に花咲く
「あ、先生」
朝のホームルームが終わると担任の先生に呼び止められた。
私も聞きたい事があったので丁度良いと思って何ですか、と呼び止められた
理由を尋ねると先生が答えと共に手渡して来たのは茶封筒だった。
つるちゃんに渡して欲しいという。それが結果的に私が聞きたかった質問に
対する間接的な答えにもなってしまい、大人しくその頼まれ物を引き受ける
ことにした。
つるちゃんとの朝の挨拶が無いせいで力が入らない。
化学の実験だから移動しなければいけないと分かっているのに、行く気が起
きなくてロッカーの前で人知れず溜息をついた。そんなとき。
「Good mornig、」
「あ、おはよう政宗く・・・」
陽気な声に振り返って挨拶をすると最後まで言う前に腕を引っ張られた。
そのまま腕を捕られて化学室とは反対方向に歩きだす政宗君の背中に何事か
と尋ねると追われてるんだよ、と物騒な言葉を返された。
何で私まで巻き込まれなくちゃいけないのかと後を振り返って見ると、追っ
かけらしき女の子達が政宗くーん!と呼んでいた。モテるというのは本当だ
ったんだ、追っかけまでいるなんて。
「相手してあげなくて良いの?」
「あー、ったく。モテる男は辛いぜ」
わざとらしく言う政宗君にツっこんだ方が言い?と聞くと『No thanks』と
笑い飛ばされた。余裕があるイケメンって凄いね。
掴んだ手を解いてくれないので大人しく引きずられて行くと着いた先は屋上
だった。慣れたしぐさでポケットから鍵を取り出した政宗君に驚く。屋上は
生徒の立ち入りを硬く禁じている場所だ。そんなところの鍵をどうして政宗
君が持っているのだろう。やっぱり裏で悪いことをしてたり教師を脅してた
りするのだろうか。
「早く戻ろう、一時間目始まっちゃうよ。先生に怒られる」
屋上に足を踏み入れた政宗君は尚も私の方を振り返らずに進んで行った。
一瞬眼前に広がった青い空に私も見惚れたけども、すぐに政宗君を連れ戻そ
うとその背中を追った。
「つるちゃんね、今日お休みなんだよ」
「What?珍しいこともあるもんだな。それでさっき暗くなってたのか」
「うん。そう」
本当に本当に珍しいことだった。
一緒のクラスになってから一度も休まないで真面目に学校に来ていたつるち
ゃんがあろうことかお休み。今流行ってる風邪らしい。
どうしても提出して欲しい書類があるからと仲が良いお前をお選んだと先生
に言われれば断れるわけも無く、帰りに家まで届けることにした。
そういうわけで今日一日、学校につるちゃんはいない。
「もういいや」
今しがた鳴ってしまったチャイムの音に急に諦めがついてそう言った。
つるちゃんがいないと学校に来た時に分かってから勉強意欲も一切湧かなか
ったし、もうどうにでもなってしまえ。
寝転ぶ政宗君の隣に腰を下ろすと、眼帯をしていない方の目が私に向けられ
た。
「それ、痛い?」
「・・・気になるか?」
席替えで隣の席になった時にその眼帯を見て政宗君に恐怖を覚えた。
あの頃は政宗君のことをよく知らなかったからそう思ったけど、今は違う。
弱い目で見てくる政宗君からいつもの威勢が感じられなくて、だからこそと
意を決して政宗君に見せてとお願いした。
その言葉に従ってゆっくりと外された眼帯の下に広がっていたのは空洞だっ
た。何も無い。
「・・・醜いだろ」
じっと見つめる私の目線に耐えられなくなったのか、政宗君のもう片方の瞳
が私から反らされた。
こんな弱腰に言うくらいだ、この傷が今まで政宗君にとってどれだけ重たか
っただろうかと想像したら自分と重なった。
「醜くないよ」
そう言って政宗君の頬に手を当ててぺちぺちと叩くと反らされていた片目の
焦点が私に戻った。ふふと笑って空洞の周りをなぞると、政宗君の瞳が驚き
に見開かれて私の手を振り払った。多分触ってもらったことが無いんだとそ
の反応で分かった。
驚いたような表情で固まっている政宗君に言ってあげる。
「政宗君が私のことを軽蔑しなかったように、」
私も政宗君を受け入れるよ。
そう言って笑うと、途端政宗君が泣きそうな顔をした。朝のあの余裕はどこ
へやら、俯いてしまって政宗君らしくもない。でもそれをそっとしておいて
あげる。周りに受け入れられない辛さは私もよく知っていたから。
私は隠すことができるけど政宗君の目は隠せないし、だから余計に辛かった
と思う。
「政宗君、明日一緒に怒られようね。休まないでね、逃げないでね」
「OK、安心しろ。運命共同体ってヤツだ」
運命共同体なんて言葉を作った人は誰だろう。上手いね。
今まで一度もサボったことの無い品行方正な生徒の一人だったのに、気づい
たら結局全部の授業をサボって屋上で過ごしていた。絶対怒られる。
でも授業を受けていてもきっと上の空だったと思うからこれで良かったのか
もしれない。救いは怒られるのが私だけじゃないってことだろうか。
政宗君が明日、きちんと登校してくればの話だけど。ちらほらと校舎を後に
する学生が目に付き始めた。
「あ、私つるちゃん家に行かなきゃいけないんだった」
「What?何の話だ?」
立ち上がってスカートのプリーツを直す。届け物を担任に頼まれていること
を話すと、同じように立ち上がった政宗君は私を見て眉間にしわを寄せた。
「家、真逆だろうが」
政宗君は一年の頃につるちゃんと同じ学年だったらしくて、家の場所を知っ
ていると私に教えてくれた。だから私もつるちゃんの家には行ける。
だからって自分の家と真逆の方角に住んでいる人のところにまでわざわざ担
任が頼んだからって届けに行くのはお人よし過ぎると言いたげだった。
気持ちは分かるし、私もそう思うけど。
「ねえ、政宗君にも好きな人いるでしょ?」
言ってたよね、と言うと歯切れが悪そうに渋々イエスと答えた。
政宗君は授業を受けていないくせに頭が良いって聞いていたから、その言葉
の後に続く「優しくしたくならない?」という質問はしないことにした。
私が何を言いたのか、目の前の政宗君はもう理解している顔をしていたので
一足先に屋上を後にしようと体を反転させた。
「、」
後ろを振り返ると、言葉が続かなかったのか、あー・・・、何でもねえ。と
政宗君が言い改めた。なんでもないと口で言う割には何かを伝えたそうな目
をしていると思った。訴えるように。例えば、
行くな、とか。
きっと。政宗君が眼帯を外して素顔を見せられる相手の女の子は素敵な子に
違いない。素顔の政宗君は優しい。さっき実際に見た私がそう言うんだから
間違いない。さっきのことでまだ心穏やかじゃない状態の政宗君を放って行
くのは心が痛むけど、政宗君が言わないなら私から聞くことは出来ないし、
それをするのは私じゃない。
憶測だから本当のところは分からないけど、言いたいことに気づかないフリ
をして手を振った。
「また明日ね」
今からつるちゃんに会いにいけるから嬉しいはずなのに。
私が普通の女の子だったら、なんてありもしないもしもを考えてしまって振
り返れなくなった。思考を打ち消すためにひたすら重い足を前に進めても、
なんで共学を選んでしまったんだろうと後悔が渦を巻いていた。
→花嵐