ことこと。お鍋の火を小さくする。 ご飯が炊き上がったのに合わせて味噌汁を温めなおせば今日のお夕飯の出来 あがりだ。具が沈殿しないよう最後にお玉で一度掻き混ぜて、それを側にあ る受け皿に置いた。 「石田さーん!出来たんですけど、お茶碗と汁椀はどこですか?」 亭主関白な夫のようだ。一人のうのうとリビングで待つ彼に手伝う気はまる で無し、と。 冷静に考えれば昨日今日で、私が彼のために此処までしてあげるのはやりす ぎだと思う。全くだ。好きでなければ飯炊き女なんて絶対にやるものか。 そんなことを考えていると石田さんがキッチンへとやってきた。わざわざ来 なくてもリビングに居たままで声をあげれば済む事なのに、変に律儀な人だ なんて思って彼を見ると、私の頭上にある棚に手を掛けた。 ああ、成る程。 石田さんが手を伸ばした食器が入っているであろう棚は、私が取り出すには 背伸びをしなくてはいけない高さにあった。もし私が無理をして食器を取っ てあまつさえそれをを割った日には。 納得して、素直にありがとうございますと言って石田さんからお椀を受け取 ると、それにさっそくご飯を盛った。と、そこで石田さんから受け取ったお 椀が2つあることに気づいて、はたと手を止めた。 このもう一つのは多分私のなんだろうけど、食べていいのだろうか。どうし ようかと思って石田さんに聞こうと思って振り返れば、彼はもう仕事は終わ ったとばかりにさっさとあっちへ戻ってしまっていたので、とりあえず彼の 分だけをよそうことにした。実は私、ちょこちょこ店の惣菜をつまんでいる のでお腹が空いていなかった。 「はい、どーぞ」 ランチョンマットすらないシンプルを通り越して物悲しい机にご飯とお味噌 汁を置けば、どういうわけか余計に悲しい食卓になった。ああ、石田さんの 分だけしかなくてスペースが余っているからだと気づいて、すぐさま買った お惣菜パックを広げると、目の前に座る石田さんが私を見た。 「貴様は」 そう話を切り出した石田さんにはい、と返事をして続きを待ったけれど、石 田さんは私を見るだけで口を閉ざしていた。箸を持ったままこちらを見る鋭 利な瞳を同じようにこちらも見返して5秒ほどたってようやく、今石田さん が言ったのが私に対する質問だったと気づいた。 主語だけじゃわかんねーよ。と心の中で悪態をついて彼に返す。 「私はお腹減ってないので、石田さんだけ召し上がってください」 「・・・人には食べるよう言っておきながら貴様は食わないと?」 来た嫌味。 ぎろりと睨んでくる石田さんの顔は顔色の蒼白さもあいまって迫力がある。 これをいつか私がよくするんだと今、この場面に相応しくないことを考えて 石田さんに惣菜を取り分けた皿を差し出した。さあ、食せ。 「店で味見がてらちょろちょろ食べるんですよ。なもので」 つまみ食いという単語を出すのは恥ずかしくて、あくまで味見でというニュ アンスを強くして石田さんに言えば、それ以上は言って来なかった。 ただやはりどこか釈然としない表情で箸を進めている。 たかがご飯を炊いて味噌汁を作っただけだけれど、それが作った人を前にし てする表情かと説教してやりたくなる。彼は顔色だけじゃなく性格も少し直 した方が良いんじゃないだろうか、なんて、これじゃ本当に私は石田さんの お母さんだ。あと、せめて頂きますを言って欲しい。 「で、どうですか?石田さん。お味噌汁おいしいですか?」 「ああ」 「・・・ご飯は炊き加減丁度良いですか?」   「ああ」 「その『ああ』って言葉は便利ですか?」 「・・・・・」 嫌味を言えば石田さんは黙った。 だけど唯ああ、しか返さない石田さんが悪いのだ。何だよ、ああって。 頂きますやお疲れ様すら言えないシャイなあんちきしょうだってことは分か っているけども、ああの一点張りは無いんじゃないだろうか。 もしかしなくてもまた機嫌が悪くなったのかと思ったけれど、それだったら 石田さんの心の狭さに驚く。今度は何が原因だ。 って言うまでも無くそれまでにしていた会話が原因だろうから、私が食べな いと言ったことだろう。だけどそれのどこが気に障ったのか、理由がさっぱ り分からない。彼の沸点はちょっとおかしいところにあるらしいと、黙々と 箸を進める石田さんの顔を見れば、やっぱり微かに入った眉間のしわ。 ああ、美形が勿体のうございますよ。 「石田さん、気に入らないんだったら拗ねてないで言ってくださいよ。  カッコいいお顔が台無しですよ」 と、そこで石田さんの箸を持つ手が止まった。 突然どうしたのか、喉にチーズハンバーグが詰まったのかと思って石田さん の顔を不安に思って覗き見れば、表情のないまま固まっていた。 ただ、その顔は凄く赤かった。 「え・・・?」 石田さんの眼前で掌を振ると、それでようやくはっとしたかのように覚醒し て私を見た。だけどそれも一瞬で、次の瞬間には赤くなった顔を思いっきり 私から反らした。 何なのよ、ととりあえず喉に詰まったわけじゃなさそうなので乗り出してい た身を戻してまた石田さんの手元に視線を戻すけれど食事が再開される様子 はなかった。それでもう一度、今度は石田さんの顔に目をやると丁度視線が かち合ってしまい、何がしたいんだよと暗に含めて私が首をかしげてみせる と、目の前の石田さんの顔はさっきより赤くなってしまった。 あの蒼白が。さすがにこれにはあれ?となる。 「あの、」 「貴様がッ!」 私の言葉にかぶさるようにして石田さんが怒鳴った。 うそ、怒っちゃっただろうかと私の中でようやく芽生えた焦りが嫌われたく ないと一心に願った。いやしかしあれだけ石田さんのことを馬鹿にしておい て私もよく言うよね、と自分に冷静に突っ込みを入れつつも、私の手は胸の うちにぎゅっと硬く握りこまれて、次の言葉を待つように身構えていた。 「妙な戯言を突然言うからだ!明日は貴様も食え!!でなければ許さん!」 「・・・・・・・・はい・・・?」 身構えていたわりに吐かれた言葉は何処か見当違いなものだった。 何だそれは、とポカンと開いたままの口をそのままに石田さんを見る私は相 当な間抜け面をしているに違いない。 つまり何か。一緒に食べたいと?考えて理解をした結果、私が石田さんの望 みを叶えてあげるためには店でしているつまみぐいを今後止めなければいけ なくなってしまうんだけれども、うん。それでもいいかななんて、思ってし まった。というか明日もって、明日も私は此処に来てご飯を作らなきゃいけ ないのか、それじゃ本当に飯炊き女だ。 でも必要とされてるのが嬉しくて多分私は明日、また此処に来てしまうんだ ろう。全くだ。だけど嬉しくて石田さんを見れば『旨かった』とぶっきらぼ うに小さく言って箸をおいた。ほんの少し、照れてた。 やだ、なにこれ。 乙女、ふたり。