今日は朝からの雨で大学の講義にもあまり身が入らなかった。やる気が今一 起きないのはやっぱり太陽が出ていないからかもしれない。バイトに向かう 際にもどこか憂鬱で気分が乗らない状態でいた。そんなことだからか、今日 はバイトで珍しくミスをしてしまった。 大体お惣菜は2品以上買っていく人が多かったりするのだけれど、会計に気 を取られて商品を一つ袋に入れ忘れたらしい。家に帰ってその事に気がつい たお客様から電話があった。電話を受け取った店長が急いで届けに行きます と応えたのだけど、届けに行くよう頼まれたのは他でもない。私だった。 自分のミスだから仕方がないとはいえ、今日は雨。こんな降りしきる中を電 車を乗り継いでお客様の家へお詫びの品を持って行くなんて。しかもバイト 上がりの時間ぎりぎりに電話を貰ってしまった。 やっぱり雨の日は駄目だと失敗を反省しつつ受け取ったメモに書かれた住所 へと向かった。 着いたのはまだ新しく建てられた綺麗なオフホワイトの色をしたマンション だった。指定された部屋番号を確認しつつどんな文句を言われるかと少々ハ ラハラしながらインターホンを鳴らすと、無線から聞こえてきたのは低い声 。 「はい」 「あ、デリカテッセンです。先程お電話を頂きまして、商品をお届けに参り  ました」 そこで返事も無くガチャンとインターホンが切られた。 乱暴な切り方に相手はめちゃくちゃ怒っているんじゃないだろうかと恐怖が 湧いてくる。接客業というのはこれが怖い。客が神だなんて嘘だ、客という 立ち居地を勘違いしてクレームをつけ捲くる人は王様に違いない。しかしや はり店は強く言えないのが現実だ。手にした商品の紙袋を握り締めて対面に 備えると、ドアが開いて顔を出したのは何とよく見る彼だった。 「あ、」 間抜けな声を出してしまい、慌てて口を閉じるけれど出てしまったものは戻 らない。急いで失礼しましたと詫びて頭を下げる。 だけど、まさか彼が。突然ドアの先から見えた銀の髪に気づいて胸が高鳴る のを抑える。どうしてインターホンの声に気づけ無かったのかと思うけれど 、そこまで彼と喋ったことが無かったと思い当たる。 「申し訳ありませんでした。これ、お詫びにもう一品入れておりますのでよ  ろしければ・・・・」 結びの言葉を言いかけたところで私の背後が突然光った。続けていた言葉は 次にした轟音に全て掻き消されてしまい、目の前の彼の視線は私を通過して その背後へと向けられた。 「か、雷ですね・・・」 顔が引きつるのを抑えながらそう言えば、銀色の髪の彼は私を見て怪訝な顔 をした。見透かされているらしい。私は雷が大の苦手だった。 「雨除けしていけ」 「え・・・」 お詫びの品も入った紙袋は未だ私の手の内にある。差し出して彼が受け取る 前に雷が鳴ってしまったから、それが出来なかった。 彼の言葉に我が耳を疑えば、何度も言わせるなともう一度彼が口を開く。 「いえ、でも、」 「その状態で店に何事もなく戻れるのか」 震えているぞ、と言われてはじめて自分の状態に気づく。 確かに雷は嫌いだし苦手だけれど、だかといって彼の好意に甘えていいもの なのか。憧れの人とはいえお客様だし、それに相手は男。9時に近い時間に 男の人の家に上がりこむのは何かあっても女の人の方が悪い。ああ、でも。 やっぱ雷は駄目だわともう一度背後で光ったのに確信して腹を決めた。 「すみません。少しの間だけお邪魔してもいいですか?」 「入れ」 坦々と返事をして家の奥に入っていく彼の背を追って足を踏み入れれば心臓 が高鳴る。雷のせいか彼のせいか分からないけれど、天の思し召しに違いな い。この間切欠が欲しいと願ったのを雷神様が叶えてくれたのかもしれない 。一人暮らしの彼の部屋は彼のイメージそのままに本当にシンプルで簡素だ った。生活が成り立っているのか不思議なほどに物が無い。 「待っていろ」 「あ、お構いなく」 駄目だ。緊張する。言い残して冷蔵庫へと向かった背にお決まりの言葉を言 えば、待っている間の私は手持ち無沙汰となってしまった。本当に気にしな くていいのにと思いつつ、好きな人の部屋をちらちらと見てしまう。 カーテンが黒いことには多少疑問だったけれど、まああの人らしいかなんて 納得する。五月蝿い心臓におちつけーと言い聞かせているとコップを手に持 った彼が戻ってきた。ソファの前にある小さなテーブルに置かれたそれは コーヒーだった。 「ありがとうございます」 向かいに座った彼にハラハラして何か喋らなければという使命感に襲われる 。気を使う自分の性格が少し恨めしい。 「いつもこれくらいの時間にお夕飯を?」 「いや。今日はいつもより少し遅い」 どうして、と返しそうになって自分のせいかと思い当たる。 この人、今のは嫌味を言ったんだろうかと思って彼を見ていると、自分が手 にしていた肝心の袋をまだ渡していないことを思い出した。慌ててそれをテ ーブルにあげる。 「すみません!これ、まだ持ってました!どうぞ」 「いい、貴様が食え」 いやいやそれじゃ何のために買ったんですか、と素で返しそうになるやら、 今この人私のこと貴様って言ったよとか、食えって私が?とか一度にあれこ れ考えてしまって収拾がつかなくて口がポカンと開いてしまった。 とりあえず。 「あの、と申します・・・・」 貴様は無いよ、と思い自己紹介をすれば彼の口からは石田三成だと返ってき た。石田三成。ようやく名前を知ることが出来たと少し嬉しくなる。 「石田さん、お夕飯食べて無いんですよね?食べなきゃ駄目ですよ」 死にますよ、と言えなくてせめてもの思いが伝わればと強めに言えば彼は酷 く迷惑そうに眉をひそめた。どうやら余計なお世話らしい。分かってるけど 彼の場合は食べなきゃ本気でまずいと思うから言わせて貰う。 「一食抜いたところで死ぬわけではない。平気だ」 「いいえ。平気とかじゃなくて体に悪いです」 「私は昔からこうだ。貴様に口出しされる言われは無い」 男の人って何でこうなんだろうか。聞き分けの無い石田さんに段々腹が立っ てきて、夕飯を食べる云々よりもそっちに苛々してきた。 「食べてください」 「食欲が無い。貴様が食え」 「いいです。お金を払ったのは石田さんです。石田さんが食べてください」 「五月蝿い黙れ」 「意味が分かりません。早く食べてください」 「追い出されたいか、貴様」 初対面では無いけども初めて口を聞く人と口論になるなんて、それこそ初め てだ。もう好きにしろよと相手が石田さんでなければ言うところだけれど、 彼の顔色は最近常にもまして悪化の一途を辿っている。 死期が近いとしか言いようの無い顔色の癖に要らんと言って頑なな態度の彼 を前にしてとうとうバイトを始めて5ヶ月。私の我慢が限界に来た。 「ああああー!!!!!!!!!!!!!もう!!食べてくださいよ!!!  石田さんが食べるまで私帰りませんなから!!!今日ご飯抜いたら石田さ  ん本当に死んじゃいますよ!!!心配で言ってるんですから早く食べてく  ださい!!!!!!」 机を両の手でバンと勢いよく叩いて中腰に立ち上がった私を見て、石田さん は目を飛び出さんばかりに丸く剥いた。それを見て、あ、やりすぎた。と彼 と私の立場を思い出したけれど、何かもう、今更どうでもよくなってた。 彼と私と夕飯論争