「君がいい」 初霜が降りたその日、障子はうっすらと湿っていた。部屋の中央に置いた新しい火鉢を囲う ように座ると、半兵衛が羽織の袖に腕を完全に隠し入れた。二人で寄り添い暖めあう最中、 いつぞや私がそろそろその時が来ると教えた話についてを半兵衛が持ち出した。突然の事に 驚いたのは私だけではないはずだった。この場に後何人かがいたとしてもおそらく反応は変 わりなかっただろうし、皆が口をあけて信じられぬと言っていたはず。 視線を火鉢から私へと向ける半兵衛。私はその無垢な瞳に凍り付いていたが、からがら声を 出す事に成功した。 「だめです。それは」 「どうして?」 「だって私と半兵衛は、母と子も同然だからです」 「僕はそうは思ってないよ」 正座する私の膝の上に置いてある手に、半兵衛の小さい手が乗った。出会った頃はふっくら としていて丸く膨れていた指も、13にもなれば節がはっきりと現れてきて甲の骨の張りも 見て取れるようになった。ひんやりと冷たい指先は、だけど私の手を完全に包む程の長さに は届かない。私はそれに安心する。彼はまだ、子供だ。 「半兵衛は可愛いね」 いつの間に身につけたのか、子供のくせに情を潜めた瞳で私を見てくる。そういう事もしな ければならないと伝えたのは紛れもなく私なのだが、半兵衛にはいつまでも穢れの無い、私 のかわいい息子でいて欲しい。 頬にかかるタンポポの綿毛のように白い半兵衛の髪を、耳元へ払ってあげる。そうすること で顔の輪郭がはっきりと表れ、彼の幼さが強調された。寒さにほんのり赤くなった鼻に頬笑 めば、何に笑われのか分からない半兵衛は話をはぐらかされたのだと思い、眉を不機嫌に顰 めた。子供っぽい仕草、艶の失せた瞳は無垢に戻る。 私は自分の手に重ねられた半兵衛の冷たい手を取ると、息を吐いて両手でこすり合わせた。 「温かいですね」 「全然。ちっともあったかくないよ」 「まあ」 私の事を言っているのですね。と言えば、声変わりの始まったばかりの不器用に低い声が肯 定の音を紡いだ。老成した性格を家臣は可愛くないと評すが、半兵衛の上っ面しか見ていな いのだなと、この瞬間に思う。口の端を引き結んだ半兵衛が可愛らしくて、思わずくすくす と笑ってしまっていた。 「はいつもそうやって、僕の話をはぐらかすね」 「ごめんなさい、拗ねないで」 「すねてないよ」 「じゃあ泣かないで」 「泣いてもない」 泣いてない。半兵衛は繰り返した。 半兵衛はとても繊細で、病弱なのもあって外で狩りや剣を習うよりも室内で過ごす事を好む 子だった。そのせいで嫡男でありながら、家臣や主君には女々しいと嘲られていたが、半兵 衛は平然と澄ました顔で振舞っている。だけどやはり、心のうちでは自分の体が弱い事を弱 点に思い、悩んでいるのだろう。私の前でだけは時折、その弱音を吐くのである。それから 本音も。 「がいい」 くしゃり、女の子と見紛うような彼の顔が涙に歪んだ。