偽













分かっていたつもりだ。
政宗は弟の癖に私よりも器用で何でも出来る。迷っていればその隙に全てさ
らっていってしまうし、やることは中々どうしてえげつないことも平気です
る。政宗は乱暴ものの不良だ。だけど反対に人をひきつける魅力があるのも
事実だった。大雑把だけど細かいことを気にしない性質に惹かれて集まった
人達をまとめていたのは政宗だ。その様子を一度見たことがあったけれど、
筆頭、何て呼ばれて慕われていた。それこそ弟の持つカリスマ性が成せる業
だった。
血が繋がっていると言うのに、あまりにもかけ離れた自分の弟に私は永遠に
相容れないのを小さい頃に予感していた。だけど私も大きくなって、ある程
度してからはその考えが少し変わった。これだけ慕われているのなら少なく
とも私が知らないだけで、人間的に素晴らしいところもあるのだろうと思う
ようになったのだ。
そんな私の甘い考えこそが、とんだ勘違いだったわけだ。
下の階から聞こえる両親の喜びの声に、今私の目に映る物全てが遠ざかって
いく。カーテンを閉め切った部屋に一人、父の笑い声が頭に反響するのが愚
かな私を笑っているようで。そうか、愚かなのは私だっのかと納得する。
涙が一滴、零れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 

最初に政宗に襲われた日。
それは両親が海外へと飛び立った日で、私が会社から帰ってきて政宗の夕飯
を作るためキッチンへ向かった時のことだ。広間に入って政宗と目が合った
瞬間に何となく、その瞳に感じるものはあったけれど、知らないフリをして
エプロンを身につけた。そうして冷蔵庫を開けようとすると、背後から突然
腕をとられたのだ。背中にビットリと張り付く政宗に、私はすぐに勘が当た
ったと腕を振り上げて抵抗を試みたけれど、遅すぎた。
私の顔のすぐ横の壁を政宗は思いっきり殴りつけて、それに竦んだ私を見て
薄く笑った。非道な笑みだった。
その場で衣服を乱され体を弄ばれ、やるせない思いに横暴だと私が泣いて罵
れば、それまでの威勢は何処へやら。挑発的な笑みは途端に消えうせ、眉間
にはしわが刻まれた。唖然としたのはこっちだ。泣くな、なんてらしくもな
いことを言って。愛してる、なんて正気を疑うような言葉を吐く。
さて、一体どういうつもりでそんな言葉を吐いたのかは分からないけれど、
散々私で弄んでおきながら今、彼はこうして私を捨てようとしているのだ。
戯れの結果が、これ。私にも非が無いわけじゃない。分かってる。
だけど、あんまりだ。あんまりすぎるのだ。何より一人現実に戻ってこの遊
びを無かったことにして、幸せになってその後も二人のうのうと生きような
んて都合が良すぎるんじゃないだろうか。何より、相手の女にそれを隠した
ままで、私には口止めでもするつもりでいるのか。
 

ふっ、と。
 

意識せずに自分の口から笑みが洩れる。何故か酷く愉快な気持ちで、私は座
り込んでいた床の足元、先程落ちた涙の後を指の腹でこすった。透明に汚く
伸びて行くそれを見て、笑う。哂う。嗤う 。そうして私の頭に浮かぶのは一
つの結論に結びつく疑問。
 
 
 


何で私がこんな目に合わなきゃいけない?
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
白は無だ。
穢れが無いことを表しもするけれど、それは無のイメージの上に成り立つの
だ。だから例えば純白のヴェール、それに合わせた燕尾服。白無垢に綿帽子
か角隠し。白は、だから無の上に成り立っているはずなのだ。そうでなくて
はならない。黒の上に成り立ちはしない。真理だ。陰性。おそらくそれが今
から私の望みの全てをかけて成そうとする事の予想だ。
それは、彼にとっては全てを無かったことにすることが出来る最高の証拠に
なりえる。結果がよければ良い等という成果主義の弟には、さぞ都合のいい
結果に違いない。毎回、抜かりは無かったと言うわけだ。可愛くない。
私が身を持ってして確認するまでも無いらしい。・・・ーだけど、そうはさ
せない。させるものか。
わざわざ買ったそれを手に握り締めて、爪が食い込むほどに心に強く誓う。
強い意志が、それはどこか執念にも似ているような、そんなものが私を芯か
ら突き動かす。消せるなどと思うな。この場にいない人を頭に思い浮かべて
言い放つ。黒を消せるなどと、思わないで欲しい。まして黒の上に白なんて
滑稽なだけだ。
 
 
 
「I still love you.」
 
 
 
いつかの、どこかで聞いた歌の、歌詞の一部。私の頭に蘇る政宗の歌声。
低い声で口ずさんでいたのは政宗だった。それを今頃思い出したところで私
には許す意思が残っていない。いいんだ、それで。政宗も二度と私のために
歌ってくれることは無いだろうから。
 

だからせめて傷一つ、残させて欲しい。大きな傷を。
 
 
 
 
 
 




 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

いつもの夜。会社が終わって帰途についた私が玄関のドアを開けて中に入っ
ても、迎えてくれる声は人が変わっても以前と変わらず温かいままだった。
家族って良いものだと、働くようになってから思った。変わらぬ笑顔は守る
べきものだ。
 
 
 
「ただいま」
 
「お帰り、。お仕事お疲れ様」
 
 
 

玄関で靴を脱げば目に付くのは、足りない家族の靴もう一組。政宗が行って
しまって帰ってこないまま、今日で3日が経つ。
両親の前では何事も無かったように明るく振舞っている私。空元気というわ
けでは無いけれど、表情は作らなければ無意識に暗くなってしまった。やっ
ぱり感情は顔に出てしまうものらしい。厄介だったけれど、それももうすぐ
終わりだと思えば自然と顔の緊張が取れる気もした。
リビングに入ると先程出迎えの声を掛けてくれた母が父と一緒に食卓を囲ん
で何やら楽しそうに喋りこんでいた。それを横目に見やりながら肩にかけて
いた鞄を下ろしてキッチンへと向かう。コップに並々ジュースを注いだとこ
ろで、そんな私を見て手を止めたお母さんが言った。
 
 
 
「政宗、明日の朝帰ってくるみたいよ」
 
「そう。じゃあお父さんとお母さんには話しておかなきゃね」
 
 
 
ジュースをキッチンのシンクに置いて、二人の座る食卓へと向かう。
首を傾げる父と母はすこぶる機嫌が良かった。海外転勤とはいえ向こうで観
光まで出来たことが余程嬉しかったのだろう。加えて帰国したら手塩にかけ
て育てた息子の人生の門出。
親としては最高の瞬間だろうと思いながら見れば、食卓は二人の思い出の写
真で埋め尽くされていた。私がその横に立てば、お父さんは手に持っていた
写真を惜しむように一回見て、それからようやくこちらに顔を向けた。
二人が話の続きを無言で促すのに、スーツの内ポケットに入れていたそれを
取り出して思い出の写真が埋め尽くすテーブルに投げて置くことで、話は終
わりになった。愛する両親の笑みは、一寸遅れて固まる。
二秒してこちらに向いた二人に合わせて、私は飛びっきりの笑顔を向けて報
告をする。それはきっと、二人にはこれ以上に無い程のもう一つの幸せ。
 
 
 
 
 
「私、政宗の子を妊娠したから」