愛の腐敗













「・・・オイ、少しは色気のある着替えは出来ねえのか」
 
 
 
あえて無視をしていると政宗の方が口を開いた。
姉弟で一緒に寝た次の日の会話なんて想像も出来なかったので、政宗よりも
早く目が覚めた私はさっさと出勤してしまおうと着替えることにした。
服をかき集めるだけしてそのまま部屋を出ていれば良かった。
途中から背中に刺さる視線に気づいていたものの、ここで着替えをやめたら
不自然すぎる。だけど振り返ってこっちを見ている政宗に目を合わせるなん
てもっと出来なかった。
 
 
 
「生憎だけど、弟に色気を振りまく必要は無いでしょ」
 
「Ha!可愛くねぇ姉だぜ」
 
「それは政宗の方」
 
 
 
憎まれ口を叩くのは関係が変わっても同じらしい。
もうこれ以上話していても精神衛生に害を及ぼすだけだと手早く着替えを済
ませてドアの取ってに手を掛けた。弟だとか姉だとか、思うくらい一緒にい
たことなんてほとんど無かったくせに。
 
 
 
「、今日の帰りは何時だ?」
 
「多分遅い」
 
 
 
背中を向けたままそれだけ言って、政宗の部屋のドアを閉めた。
声を聞くだけで昨夜の行為が鮮明に思い出されて気持ちが暗く沈んでいく。
弟に体を蹂躙されるなんて屈辱以外の何ものでもないのに、私は声をあげて
みっともなくよがってしまった。
血が繋がっていると相性が良いとでもいうのか。あるいは単に政宗が上手い
のか。どちらにせよ昨夜の行いは弟だけを責められたものじゃないと自嘲し
て自分の部屋へと続く廊下を進んだ。
会社にまでこの憂鬱と重い腰をを引きずっていくのか、考えると足取りは重
くなった。最低なのは私もだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「、自分の事をの弟って言ってる人が来てるんだけど」
 
 
 
お昼休みに入る直前、午前の仕事を終えて席を立とうとした私の肩を叩いた
のは同僚の佐助さんだった。
政宗が?と半ば信じられないという目で見れば、その様子に私の弟を知らな
い佐助さんも一緒に行こうか?と心配して言ってくれた。
だけどどうしてか、政宗には私が他の人と一緒にいられるのを見られたくな
い、というか見せちゃまずいような気がしたので、やんわりとその申し出を
断って政宗の待つ階に向かった。
お昼のピーク前なので広いホールにはまばらにしか人がいない。すぐにその
中から目を引く長身の姿を見つけることが出来た。
 
 
 
「政宗。何でいるの」
 
「It's too late. どんだけ俺を待たせる気だ」
 
 
 
振り返った政宗に、政宗を見ていた周りの女性達の視線までもが私に集まっ
た。客観的に見るまでも無い、政宗が美形だからだ。
声を掛けられたのにその場から動く気配の無い政宗と、その周りの視線に焦
れて私が近寄れば、政宗の口元はニヒルな笑みを形作った。
 
 
 
「勝手にきたのはそっちでしょ、答えてよ。何でここに居るの?大学は?」
 
「創立記念で休みだ」
 
「聞いてないんだけど」
 
「言ってねえからな。その前にも部屋出てっただろ」
 
 
 
言い返せなくなって憎たらしいと胸中で吐き捨てれば、身長差のせいで見下
ろしてくる瞳が愉快だと言いたげに笑った。
いつだって余裕のある態度は子供の頃からそうだった。無駄に視線を集める
政宗と、そうじゃない私。思い出が蘇って来て、一緒にいることに気分が悪
くなってくる。要件を済ませて早く帰ってもらおう。
 
 
 
「それで、用は?」
 
「忘れ物だろ、これ」
 
 
 
その言葉と共に差し出されたのは見覚えのある紙袋だった。何故政宗が持っ
ているのかと考えて、忘れ物だと今言われたことを思い出す。忘れ物。
 
 
 
「うそ、置いてあった?」
 
「リビングのテーブルの上にあったぜ」
 
 
 
紙袋を受け取って中を覗き見れば、巾着に包まれた箱があった。今から食べ
るはずだったそれ、今日のお昼のお弁当が入っていた。
社内食堂が混むのが嫌で、私がいつも弁当を持って来ていることを政宗は知
っていたらしい。わざわざこのために届けに来てくれたのかと思うと、今し
がた政宗にとった自分の冷たい態度を少しばかり申し訳なく思った。
 
 
 
「・・・政宗はお昼、もう食べた?」
 
「Not yet. 朝も食ってねえ」
 
「なら、・・・せっかくだし何処か入る?」
 
「それはいいが店に持って入るつもりか、その弁当」
 
「・・・まあ、弁当は夕飯でもいいわけだし」
 
 
 
いつもだったら政宗をご飯に誘うなんて事は絶対にないし、そもそもそんな
事すら思いつかないけれど、一応親からは政宗をよろしく頼まれている。
朝ご飯すらまだならここまで持ってきてくれた御褒美に奢ってあげるくらい
してもいいだろう。
会話に困るやら今朝のことやらで政宗と一緒にいるのは出来れば避けたかっ
たけれど、私達に向けられている社員の視線から逃げることの方が今の私に
は大切に思えた。そうだ。届けに来てくれたのが申し訳なかっただけだ。
機嫌の良く政宗が口笛を吹くのを、ばれない様に上目で覗き見て、自分に言
い聞かせる。
今、私の目の前に立つのは姉を抱くような最低の男で、大嫌いな弟だと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 

可愛いだとか可愛くないだとかじゃない。
血の繋がりというのはそういうのを超越した絆だ。
決められないでいることの多い私。ずっと迷っていると必ず政宗がもって行
ってしまうのだ。両方とも。おいしいところを全て、容赦なくさらっていく
政宗を、それでも私は完全に嫌うことが出来なかったのも事実だった。
だけどそれはまだ、私が本当に小さかった頃のこと。
 
 
 
「Hey, 何をそんなに迷ってやがる」
 
「ん?ちょっと。シーフードかキノコかで・・・」
 
「I see. なら両方頼んで俺が半分食ってやる」
 
「え、」
 
 
 
一瞬、政宗が言った言葉にそうかと納得しそうになったのを、それでは奢る
甲斐がないと、政宗に自分の好きなものを頼むように言おうとすればそれよ
りも速く政宗は店員にシーフードとキノコを注文してしまった。
呆気に取られた私を残して厨房へ戻って行く店員の後姿に、中途半端に伸ば
されたままの私の手は、虚しく宙に浮いた。
 
 
 
「政宗はパスタ、嫌い?」
 
「No, と同じものが食えりゃいいだけだ」
 
 
 
微妙に答えになっていない言葉を返されて、それに対する返しも分からなく
て深く追求するのをそこで止めた。
政宗は子供の頃から私に合わせるなんてことを一度だってしなかった。そん
な弟が私のために自分の食べたいものを我慢するなんて有り得ない。昨日の
あの行為や私に囁く言葉が嘘じゃないなら、あるいはこれもその表れの一つ
だとでもいうのか。
二人の間を支配する静寂を少しは紛らわせるだろうかと、お冷に口をつけて
みれば、逆に政宗の方が口を開いた。
 
 
 
「ナポリタンの方が好きじゃなかったか?」
 
「え?」
 
「ガキの頃にしょっちゅう言ってただろ、ナポリタンが食いたいって」
 
 
 
ギョッとして政宗を見る。確かに私はパスタといえばナポリタンと言うくら
いに好きだった。今だって洋服にトマトソースが跳ねるのを気にしなくて良
いなら迷うことなくナポリタンを注文していた。
だけど、まさか今日に至るまで政宗がその事を覚えているとは思わなかった
。そんな昔の、政宗のことが嫌いになって遊ばなくなるまでのわずかの間、
一緒に遊んだ時に私が言ったことをまだ覚えていたのかと。
 
 
 
「・・・そんなこともあったね。今もまだ、好きだよ」
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

「やる。あと食え」
 
「もういいの?」
 
「Too oily. 胃が凭れちまう」
 
「政宗って意外と繊細なんだね」
 
 
 
スライドされてきたお皿を受け取って口にすると、確かに政宗の言うとおり
そのぺペロンチーノは油が濃かった。口の中がオリーブオイルの味で一杯に
なる。政宗を見るとソファの背もたれに完全に寄りかかって食を終えた様子
でいた。もう食べる気は無いといわんばかりだ。
 
 
 
「これ、残しちゃって良いかな」
 
「おー、残せ残せ」
 
 
 
テーブルの隅に据えられた紙ナプキンを一枚抜き取って口に当てれば、唇の
形に油跡がついた。これは相当なカロリーじゃないだろうかと少し恐ろしく
なる。
 
 
 
「小さい頃にさ、一緒にママゴトやったよね。覚えてる?」
 
「Ahー、そういえばやったな」
 
「うん」
 
 
 
おそらくナポリタンを覚えていたくらいだから、ママゴトをやったことも覚
えているだろうと言ってみれば案の定だった。
小さい頃。
それこそ就学前の私と政宗は保育園にも幼稚園にも行かされてなかったから
お互いが遊び相手だった。その時に私はよく、姉の立場を利用して政宗にま
まごとの相手を強要した。二人は決まって夫婦の役で、それは仲睦まじいと
いう設定だった。私が政宗を嫌うまでの間、その遊びは長く続いた。
女として見ているからか、政宗が優しく接してくるのがそう思わせるのか、
そのどちらもが考えられるけど、とにかく今の私達があの頃に重なって見え
る。
 
 
 
「何か、あの時の続きを今やってるみたいだね」
 
 
 
たとえ今、二人の関係が洒落にならない仲だとしても、昔の記憶では確かに
あんな風に遊んだ頃が私達にもあったのだ。
大嫌いだけど、弟という繋がりは切りたくても切り離せない。こんなに仲が
こじれてしまっても、今また政宗がこんな風に優しく接してきてくれるのを
愛しいと思って受け入れようとしている私がいる。
そもそもここまで嫌いになった理由のすべてが政宗にあったわけでもない。
形が全く違うというのにも関わらず、私はとにかく政宗のくれる思いが嬉し
かった。