あくる日の始めの朝













私には弟が一人いる。
その子は名を政宗といって、お父さんやお母さんが見捨てた私なんかと違っ
て顔も良ければ頭も良く、何事も要領よくこなせるので将来を約束されて生
まれてきたような子だった。
そんな子だから小さい頃はよく比較された。親戚や両親までが口を揃えてよ
く言った。「比べるわけじゃないけど、弟は出来るのに不思議ね」
その言葉に何度涙を流したことか。
そういうわけで、弟を横に連れていると必ず比較されるのが嫌で嫌でたまら
なくなった私は政宗と遊ぶことを拒むようになった。一緒にいることすらも
腹が立つようになって、気づけば政宗という弟自体が嫌いになっていた。
弟の方が私をどう思っていたかは分からないけど、それを知るにはもう二人
の間に会話なんてものは無くなってたし、そもそもそんな事すらどうでも良
いと思う程に今更な事だった。
家にいるのに、お互いの存在は空気だったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
春が訪れて鶯の鳴き声が聞こえるようになって。
大学を卒業して染めていた髪を社会人になるからと黒に戻した私と行き違い
に弟は大学生になった。
家では廊下ですれ違っても挨拶を交わす程度だったけれど、それすらも億劫
に感じるようになった私は就職活動と平行して一人暮らしをしようとアパー
トを借りることにした。これ以上弟の姿を目に入れるだけでも嫌だったから
だ。
そんな折に共働きの両親、二人そろっての海外転勤が決まった。これによっ
て私の一人暮らしは空しくも親に却下されることになった。
日本の大学に行く事が決まっている政宗と二人、余った部屋を広々使えばそ
れで余分な家賃を払わずに済むじゃないかと言われた。尤もなのは分かるけ
れど、その弟と一緒が嫌だから一人暮らしをしたいのだという言い分を、両
親は最後まで分かってくれなかった。
両親は私と弟の仲がそこまで荒んでいるとすら思っていない。だから私が言
ってもおそらく、弟の方が親にとって可愛い分、私が宥められて終わりだろ
う。結論は最初から決まっているようなものだったのだ。
握りこぶしを作って悔しさを飲み込めばまた一つ、それは弟への憎しみに変
わった。
そうしてその二週間後に両親が飛び立ったと同時、否応なしに弟との生活が
始まってしまった。
 
 
 


 
 




 
 

「」
 
 
 
弟の声に手にしていたお玉を置いて振り返れば、顔を見る前に口をふさがれ
た。あまりの突然さに体はもとの向きのままだったため首を少し捻ってしま
ったけれど、それで止まる政宗じゃない。
何度も向きを変えて深く合わさるそれに翻弄されるままになる。
苦しくなって息を吸おうと口を開けば、そこから政宗の唾液が流れ込んでき
て余計に喉を詰まらせた。加えて政宗が容赦なく体重をかけてくるせいで、
気づけば料理代のステンレスに押し倒される形で寝かされ、両手を頭の横に
固定されていた。
横目で見ればお玉やその受け皿は下に落ちてしまっている。その先には弱火
にかかった鍋。これ以上本気になられたら危ないと思い政宗の肩を叩けば、
それでようやく気づいたのか、やっと口が離された。
 
 
 
「はっ・・・あ、まさむね・・・・」
 
 
 
激しい口付けから解放されたと息を吸えば肺を震わす空気の冷たさに胸が痛
くなった。政宗が私の唇を一舐めして間に垂れる銀の糸を掬う。
 
 
 
「・・・お帰り、今日は早かったんだね」
 
「Ah,講義が少なかった」
 
 
 
薄く微笑んでやれば政宗は甘えるように首元に頭を埋めてきた。そして腕は
がっちりと首に巻きつくように回される。それは愛しさよりも執着の類を想
起させる力だった。
首元に顔をうずめて甘えるように鼻を擦り付けてくる政宗の髪が擽ったかっ
たので頭を撫でて混ぜてやると、眼帯をしていないほうの目が私を見た。
 
 
 
「ほら、お玉が拾えないから。それにもう夕飯だよ」
 
「」
 
「うん、」
 
 
 
記憶にある弟の声はもっと高かった。一体何時の間に声変わりをしていたん
だろうかと最後に話した時を思い出そうとしても、何も残っていなかった。
それに、当たり前だけどこんな風に私を見てくる事だって一度も無かった。
ゆっくりと名残惜しげに私から離れる政宗がもう一度軽く、啄ばむようにキ
スをして唇が離された。
 
 
 
「、愛してる」
 
 
 
何をとち狂ったかなんて分からない。
一体何時からなんて聞くのも怖い。とにかく私と政宗は今、現実に姉弟では
許されない関係を持ってしまっている。抵抗なんて出来ればとっくにしてい
た。何年も口を利かなかった大嫌いな弟は私と顔を合わさない間に心身共に
たくましく成長を遂げていたのだ。力で拒めるはずが無い。
親が出張でいない今、この家において全権力を握る事になってしまった政宗
に私は従うほか術が無くなった。でなければ。
眼帯をしていない方の瞳を見つめても、どうしてかなんて分かるはずも無い
し何を考えているのかすら読めなかった。
それ程に私と弟の距離はこの長い年月を隔てて遠くなっていたのだ。姉を女
として見るようになっていたことが、その最たる、悪夢の象徴だった。