「放課後遊ぼうよ」
口の端を吊り上げてそう言った女の唇から漂う桃の香りに、元親は思わず喉を鳴らした。つ
いでに言うならば彼女が抱きついている元親の右腕には胸が押し当てられている。見た感じ
には印象が無かったが、どうやら彼女は着やせするタイプだったらしい。楚々とした外見か
ら控えめな少女とばかり決め付けていたが、とんだダークホースである。高校生の癖に慣れ
た様子で男を上目遣いに見て甘い声を出す。ただ、彼女の場合はそれが天然で身についたス
キルのように思わせ、嫌味に見えないのがまた。
「興味あるでしょ?」
「・・・馬鹿言え」
「その割には声が震えてるよ」
人を誘うような猫の目でじっと見つめられては、居心地が悪い。元親はもう金輪際この女と
は関わらないと決めたばかりである。それを、ここでこの訳の分からぬ誘いに乗っては意味
がないどころか大変なことになる。今回の一件でよく分かったのだ。大人しそうな見た目を
した女がこの世で一番危険なのだと。これならばまだ化粧で顔面を覆いつくした馬鹿女を相
手にしている方が楽で後腐れもなく丁度いい。そう思った元親は彼女の瞳をみたら取り付か
れる魔力があるに違いないとでもいうように思い切り目を反らした。しかしそんな元親を逃
すまいとして、彼女の元親を掴む腕の力は強まる。さながら、地獄に引きこむ悪魔の様に。
「おい、離れろ」
「政宗くんのときみたいになっちゃうのは嫌だから、借りはきっちり返しておきたいの」
反射的に、伊達政宗と過去に何があったのかと元親は聞き返しそうになったが、それをして
しまえば今度こそ、この女との関係を完全に絶つ機会を永遠に失ってしまうと気づき慌てて
口を閉ざした。この女に関しては、これまでの元親の女性経験が全く活かされないので、こ
の先も永遠にそうなのだろうと思う。学園切っての不良が言うのもなんだが、危ないものに
は近付かない、理解の出来ぬ物には関わらないのが長生きをするコツである。
故に、元親は今一度、彼女と今後一切関わらない決意を新たにして女に腕を話すよう言うた
めに振り返ったが、それよりも早く、彼女が口を開いてしまった。
「だってね?鶴ちゃんを虐めていた女子へのお仕置きも済んだし、風魔君への牽制も済んだ
し、肝心の鶴ちゃんとのよりも戻せたけど」
「おいおい、お仕置き"って、アンタ一体何したんだ・・・」
「政宗くんを疑ったお詫びと、巻き込んじゃった長曽我部くんへのお詫びはまだだから」
「無視か。・・・ッたくよ」
「いいじゃん。それに、ねえ、私知ってるんだよ?」
ふふ、と笑ったその声に心臓を掴まれているような感覚を覚える。身長差がこれだけあって
元親の腕一本でどうとでも出来る程には小さな存在を、何故こんなにも恐れているのだろ
う。その瞬間彼女が浮かべた笑みは、何も知らぬ人間からすればにこっという効果音が付き
そうな程に機嫌の良いものだったが、本性を知ってしまった元親にはニヤリという悪魔の笑
みにしか見えなかった。
「長曽我部くん、私と鶴ちゃんがしてるのを覗き見てたよね」
知らないとでも思った?酷いよね、悪趣味だよね。と続ける彼女の声が頭を駆け巡る。
ああ、だから一刻も早く、逃げておくべきだったのに。悪夢だ。
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「おい」
「ん?どうしたの?」
「っつーかよ。これは詐欺っつーんじゃねえのか」
「え?何が?私と鶴ちゃんが放課後にしてる事の一つだよ?」
それを詐欺ではないかと聞いているのだが。
元親はそんな出かけた言葉を手に持ったサイダーで喉の奥へと流してしまう。隣同士で座っ
て楽しそうにしている彼女と腐れ馴染みの鶴姫の姿を見るのは初めてで、そんな二人の笑顔
を曇らせるような無粋なことは今更言うべきではないと判断したためである。それ以前に、
そんな事を言えば彼女の横を陣取り肩に手を回す独眼竜に粛清されそうだったが。
結局、あれだけ無駄に誘惑するような事をして期待させておきながら、蓋を開けて放課後が
来てみれば、連れて行かれたのは学校近くのカラオケボックスである。お詫びというのはつ
まり奢るという意味で、元親が期待しているような余興など影も形も無かったのである。だ
がまあ、何をされるか不安で仕方がなかっただけに、これで良かったという安心があるのも
事実で。しかし女二人の仲が良すぎるせいで、野郎二人が余るというのは如何なものか。歌
を歌わぬ鬼が暇を持て余す傍ら、惚れた女が見向きもしないのに業を煮やしたのか、伊達政
宗がに強引に迫った。
「hey, !せっかくだ。デュエットしようぜ」
「んー・・・いいよ!じゃあ津軽海峡冬景色ね!」
「渋いな、おい」
「文句いわなーい!」
ラブソングどころかポップスでもないあたりに、彼女が独眼竜といい雰囲気にならない様に
計算している節がある。どこまで抜け目が無いのかと元親は半笑いで席を立つ二人を見送る
が、とりあえず彼女と歌うことが出来るとあって、独眼竜は嬉しそうである。誘った本人が
満足ならば、何も言うまい。やがて始まったとても高校生が歌うものでは無い曲調に、暗い
室内は一気に渋い雰囲気へと様変わりする。
「「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました〜、あ〜あ〜・・・」」
ついでに言うならば、二人の津軽海峡は上手かった。拳がきいている上に、何より二人の声
の高さが丁度いい。この二人は、お互いデュエットをするにぴったりのパートナーだろう。
だからそこで、元親はやはり、勿体無いと思うのだった。
「・・・おい、鶴の字」
「はい?」
「ちょいと聞くが、・・・・一体あの女のどこに惚れた?」
「え?さんですか?」
「オウ」
腐れ縁の小娘の左腕に巻かれた、痛ましい包帯。
から聞いたが、どうやら階段から突き落とされた際に骨折してしまったらしい。
いずれ知れてしまうことであるとはいえ、彼女が休んだのはこの腕の怪我を隠すためだった
のだと元親が聞いたとき、女とは酷い事をすると思ったものだった。幸いにして彼女の恋人
がいち早くその虐めに気づいたようで、鶴姫に手を出した女どもに手痛い゛お仕置き"とや
らをしたようだが、まさかその後鶴姫本人と仲直りまで成し遂げてしまうとは。涙まで見せ
て腹いせに独眼竜を潰すなどとのたまっておきながら、なんとまあ都合のいいことか。
だが、と。そこで楽しそうに独眼竜と歌う彼女を見やる。鶴姫も同じようにして、その栗色
の瞳をスポットライトの一番当たる場所に立つ彼女へとやった。
「一途ですよね」
ぽつりと、彼女の恋人が歌う歌に掻き消されてしまうほどの小さな呟きで返答がされた。
お世辞にもいいとは言えない性格だが、確かに。恋敵への復讐をしてしまうことを考えると
鶴姫への一途さで彼女の右に出るものはいないだろう。それを本人が長所と言うなら、元親
は何も言えない。恋は盲目とはよく言ったものだ。
「さんさん!次は私と一緒にプリキュア歌いましょう☆」
「うん!!歌う!」
また曲のセンスが。
おいおいと内心突っ込みを入れる元親だったが、恋人の誘いを受けて嬉しそうにはにかんだ
彼女の笑み。初めて目にしたその少女の心からの笑みに、元親は不覚にもどきりと胸を高鳴
らせる。その様子を見ていた政宗に胸倉を捕まれるまで、あと二秒。
何だかんだで、少女二人とそれに続く男一人、傍観を決め込むもう一人はこれからも長い付
き合いになりそうだ。
「鶴ちゃんかわいい」
「さん超かわいい☆」
「そうだな、honeyは最高にcuteだ」
わたし、恋をしているの
見苦しくたって構わないわ。
白鳥の湖のほとりで 完
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