17歳だった。わたしは無敵でこの世に恐れるものなんて一つもなかった。数学のテストと体育を除けば、日
々はわたしに味方をしていた。通学途中にあるバス停の前にはプラスチックで出来た黄緑色の椅子がある。人
がいない時にはそこに座って、バスを待っていつまでも好きな歌手の歌を口ずさむのが日課だった。わたしの
お世辞にも上手くは無い歌の聴衆は車道を挟んで向いにある杉の林で、それらは歌い終えたわたしに必ず風で
擦らせた葉の音で賞賛の拍手とアンコールをくれた。だから冬を除けば、わたしは帰り道では必ず歌姫になっ
た。進路希望調査の紙を鞄の奥底に揉みくちゃにして押し込んだ日の帰り道、わたしは来年の春が来なければ
いいと願った。それは12月の事で、杉の林は丸裸にされて骸骨みたいにつっ立ているだけで何の返事も返し
てはくれなかったから、わたしは裏切られたような気持ちで、とうとう目に溜めていたのを堪える事が出来ず
に落としてしまったのだ。夢から覚めたような気持ちで、わたしはそこでようやく気づいたのである。
(ああ、わたしは無敵なんかではなかった!)
 
「そこの、女」
 
傷心の乙女に涙を拭う暇なんてあるはずもなかった。何故って悲しいのだから。(それはもう、世界の悲しみ
の全ては私の瞳の奥にあるように。)だけれども仕方なく振り返ったいつもの帰り道にあったのは、大層立派
な馬とそれに跨る和装をした騎士であった。「あは」非現実的な光景に思わず笑いが零れる。頬を流れる光り
の筋と投げやりな笑みを浮かべたわたしが馬上から見下ろす騎士と目を合わせると、彼は美形だった。
 
「来い」

知らない人には付いて行くなとあれ程注意を受けていたにも関わらず、わたしは差し伸べられた騎士の手を迷
わず取った。同じ年頃の女の子であれば、あるいはわたしの気持ちを分かってくれたかもしれない。何故って
わたしはまだ王子様を夢見てその夢を捨てきれずにいるほんの17歳の女の子で、大人になることを絶望と捉
えて救いを欲していたティーンエイジャーだったから。それでもいつかきっと王子様が迎えに来ると信じてい
たわたしは、若さゆえにまだ悲しくなるほど愚かだったのである。
 

 


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「三成?」

どうしたのと呼びかける言葉に返事は無いまま、かれこれ五分が経つ。わたしの右手を取ってその甲に視線を
落としている三成の骨張った大きな手は冷たい。手が冷たい人は心が温かいのよ。洗剤や冬場の家事によって
荒れて体温を失ってしまった手を自慢していた母を思い出す。繊細な顔立ちや体に似合わず、三成の指には剣
だこや筆まめが目立つ。その通りなのだろうと思う。三成が低く呟いた。
 
「傷一つない」
「そうだね」
「透けるように白い」
「・・・透けるほどでは無いと思うけれど、まあ白い方だね」
「柔らかい」
「三成に比べたら、そうかもね」

なんて事は無い、普通の手だと思う。わたしを初めて目にした人々が『姫』と間違えて呼んだくらいだから、
この時代において農作業をしないとなると武家か公家の人間になるのだろう。これが未来の一般人の手なのだ
と主張しても信じて貰えないのも仕方が無い気がする。日焼け止めなんてものの存在も、きっと想像がつかな
いだろう。食器洗浄機や洗濯機も。真珠に似ていると口にした三成に、堪らず苦笑いが零れる。

「いくらなんでも大げさだよ。三成はわたしを買い被りすぎ」
「私は世辞は言わない」
「知ってる。でも恥ずかしいから、そろそろ離して?」

三成の口から口説き文句が出てくるとは思わなかった。本人はそこまで言ったつもりはないんだろう、それだ
けに気づいていないのが可笑しくてクスクス笑っていると、怪訝な顔をされた。「何が可笑しい」「ん、何で
もないよ」不服そうにしながらも、それでようやく手が解放された。かと思うと、今度は無言でじっと顔を見
つめられる。
 
「手といい顔といい、三成はわたしを見すぎだよ。なにかあるの?」
 
返事は無い。ついでにこれといった表情の変化もない。黙ったままわたしを見る三成の瞳は何かを見る目に似
ている気がする。なんだっただろうか。

「三成って本当にわたしのことが好きだよね」
「・・・」
「冗談だってば。何か言ってよ」
 
軽蔑するような目もしない。つまらないの一言だ。戦国にきて色々な人と顔を合わせたし話もしたけれど、三
成のノリの悪さは冗談が余り通じない半兵衛様や秀吉様の更に上を行くと思う。悪い人でないのは分かるんだ
けれど、現代では女子高生をしているだけに、お喋りとノリで生きている身としては三成のようなタイプは相
手にしづらい。此処にきて三ヶ月がたった今でも、三成だけは何を考えているのか分からない。第一そう、何
かに似ていると思ったその瞳は、美術館にある絵画を鑑賞する目に似ているのだ。見られている側の気持ちな
ど全く関係ない(何故って絵画は人じゃない)、自分が好きだと思ったものにだけ傾けるあの熱視線だ。しか
し私は断じて絵画では無い。人間である。「その通りだといえば、どうする」思考に耽りすぎて三成が何かを
言った事に気がつけなかった。慌てて顔を上げる。

「え、なに。もう一回言って?」

私がそう言うと、三成は眉を顰めた。聞き返して欲しくない話題だったのだろうか。何だか悪いことをしたよ
うな気になり申し訳なくなる。せっかく三成が話を振ってくれたのに。気まずくて下唇を噛むと、舌打ちと同
時に頭の上に三成の手が乗った。

「二度と言わん」

三成によって雑ぜられたわたしの髪は、くしゃくしゃだった。
 

 

お嬢さん