「そうしていると、まるで赤子のようだ」

他意は無いはずだ。半兵衛様が微笑ましいと言いたげに薄く笑んでいたから。そして私もそのように思ってい
た。他人の手を借りて着替えるなど、何十年ぶりのことだろう。赤ん坊の頃の記憶などあるはずもない。淀み
なく手を動かす女中達の仕事振りに感心しつつ、高校生にもなって着替えに手伝いを要する事ことへの申し訳
なさ半分。「早く自分で着替えられるようになります・・・」俯き加減で口にした決心は、女中達の笑いを誘
った。まるで母親と娘だ。「問題なさそうだね、先に行って待っているよ」遣り取りを見て安心したらしい半
兵衛様は組んでいた腕を解かれると、梁に寄りかかっていた体を起し部屋を出て行ってしまう。わたしも手早
く着替えを済ませると朝食を取る為に部屋を出た。
 
「お待たせ、三成」
「こっちだ」
 
襖を開けて早々、中にいた三成に手首をとられて部屋の奥へと進んでいく。着いた先には朝食のご膳と畳があ
った。意外な事に、城内には畳が少ない。贅沢品なのだと知ったのはわたしがこちらの世界に来てから暫く経
っての事で、冬の寒さに足の指が壊死してしまいそうだからと畳を強請ったところ、軍師様によって初めて事
実を知らされた。畳が一般家庭にまで普及するのは、少なくとも江戸時代以降らしい。そんなまだ希少価値の
高い畳がある部屋を私の為に用意してくれる三成に嬉しさがこみ上げる。
 
「ありがとう三成。あったかいよ」
「・・・」
 
視線を外されたものの、満更でもなさそうなのでよしとする。用意された座布団の上に腰を落ち着けて、三成
と向かい合う。本当は男の人が箸をつけてから女が食べるだとか色々決まりがあるらしいのだけれど、平成か
ら来たわたしにそれを強要するのは可哀想だという半兵衛様の一言で黙認されていた。但し、事情を知ってい
る人間の前でのみだけれど。
 
「あ」
「どうした」
 
目聡い。私が声にする前に小鉢を前にして止まった箸を見て気がついたようだ。同じように箸を止めた三成の
目線が真剣そのもので、言うのが気恥ずかしくなってくる。
 
「なっ、なんでもない」
「言え」
「さ、些細な事だから大丈夫!無くてもなんとかなるし、たぶん・・・」
「何かを聞いている。答えろ」
 
あまり否定を続けていると三成が機嫌を損ねるので、仕方ないと諦めて口にする。三成が拗ねると後が面倒く
さい。

「スプーン・・・じゃなくて匙っていうのかな?を貰えないかな、なんて」
「・・・?」
「わたし、・・・豆をね、箸で掴むのが苦手なの・・・」
 
言っちゃった。17年間生きてきて箸も満足に扱えないのかなんて呆れられたに違いない。自分の箸の持ち方
や扱い方が悪いとは思わないけれど、苦手なことは誰しもある。と心の内で言い訳をする。とはいえやはり問
題があまりに幼稚すぎて、口にしていて恥ずかしくなる。じっとこちらを見つめたままで何も言わない三成に
「何か反応して!」と心の中で叫んだ。イケメン過ぎて顔の熱が上がってくるのが分かる。気がついたら、三
成が私の前に箸を差し出していた。よく見るとその間には豆が抓まれている。
 
「?え、なにこれ?」
「食え」
「え!?や、いいよ・・・!」
「早くしろ」
「さ、匙があれば一人でも食べられるから!ね!?」
「近くに従者はいない」

匙など無い、そう締めくくって三成は箸をぐいぐい押し付けてきた。つまり持ってきて欲しいと頼める人はい
ないという意味なのだろう。それは分かったけれども、三成に食べさせてもらう必要はどこにもないはずだ。
大体、箸を使って食べさせてあげるという行為はわたしのいた時代では恋人同士がやることなんだけれども、
戦国時代においてはその辺どうなっているんだろうか。もし誰かが食べられないと言えば、誰かが箸で食べさ
せてあげるのが戦国時代においては普通なんだろうか。なにそれ恥ずかしすぎる。目で訴えるも、三成はこち
らの葛藤を知らないふりと決め込んだようで意地でも箸を引かない。止めとばかりに部屋に響く低い声。
 
「はやくしろ」
 
 

--
 
 
「馬だー」

秀吉様と半兵衛様が許可してくれても、三成が許してくれなければ出来ない事の方がここでは圧倒的に多かっ
た。例えば、最近気がついたことに今朝の着替えがある。わたしがこの世界に来てから制服を脱いで代わりに
来ている着物。これらの色合いや柄、帯に至るまでの趣味は全て三成のものだ。子供だって出来るのに、わた
しには決してその着付けの仕方を学ばせない。髪の結い上げまでも女中に命じる。高価な髪飾り、わたしはお
姫様じゃないのだという訴えも見事に流されていた。他にも、外出どころか与えられた部屋から勝手に出るの
も快く思っていないようで、三成が遊びに来た時にわたしが部屋にいない事があると本気で怒る。「妹のよう
に思われているのでしょう」女中さんがそう言って笑うので、冗談半分で「兄上」と呼んでみたことがある。
結果、思いっきり頭を叩かれた。それはもういい音がした。それに、やはり居候にしては待遇が良すぎる気が
したから妹分という目では見ていないことが分かった。またある日、普段はつんとして女王様みたいな半兵衛
様と縁側でお茶を共にする機会があった。きらきらとした冬の日差しに白い羽織がよく映えて、「美しい人っ
て半兵衛様のことをいうんでしょうね」なんて言ったら、珍しく困惑したような微笑で「三成君に言っておや
り」と言われた。それでなんとなく、分かった気がした。
 
「三成、馬に乗れるの?」
「当然だ」
「そうだよね、馬に乗って戦に行くわけだしね。いいなあー」
「珍しいか」
「うん!牧場か競馬場にでも行かないと馬なんて見れないし。ていうか可愛いなあ!!」

わたしが興奮したように言うと、三成は厩に繋がれた一頭の綱を解いた。素人目に見ても解るくらいに大人し
そうな馬だった。わたし向けだろう、きっと。
 
「三成、乗せてくれるの!?」
 
期待と興奮で入り混じった目で三成を見上げると、返事の代わりにわたしの体が勢いよく宙に浮いた。気づい
た時には三成の手によって馬に乗せられていて、馬が小さく身動ぎをしていた。次いで三成も鐙に足を掛ける
と、一気に馬に跨ってしまう。慣れたものだった。三成が手綱を握ると、答えるようにヒヒン!と鳴いた馬に
わたしの興奮が煽られる。思っていたよりも高い眺めにびっくりした。
 
「み、三成!これって、どこを掴めばいいの!?」
 
頼れる三成は私の背後だ。手綱を掴む程度では心許ないので思いっきり上半身を回し三成の胸にしがみ付くと
頭上から鼻で笑う声が聞こえた。どうやら機嫌がいいみたいだった。
 
「じっとしていろ」
「え・・・!」
 
このままですか!?胸中で突っ込みを入れたとき、どこからか「おーい」なんて聞き知った声が耳を掠めた。
三成が舌打ちをする。それでも相手は家康だからと思い、わたしが手を振ろうとした時。唐突に三成が猛スピ
ードで馬を走らせた。
 
「きゃあ!み、三成・・・!家康が」
「黙れ」
「でも」

そこで口を利いていられなくなった。喋れば舌を噛むだろうというくらいに、馬の走るスピードが上がってい
た。いくらなんでも飛ばしすぎだ。落馬の恐怖と、それでもその可能性を否定するようにしっかりと私の腰に
回された三成の腕。それから振り落とされまいとして必死にしがみ付くわたしとで、傍から見れば硬く抱き合
っている男女の図だった。三成の胸からは彼の匂いがして、私の肺を満たしていく。帰りたくなかった。

「駆け落ちみたいだね」
「そういうことにしておいてやる」
 
 


 

世界を25周する方法  1009