季節違いの転入生がやってきた。学校長先生の子供だか親戚だかという噂のその子は、うちのクラスではちょ
っとした人気者になった。滋賀県から来たらしい。何か方言喋ろよ、と転校初日の休み時間にさっそくクラス
の馬鹿男子がその子に絡んだけれど、冷たく一睨みされて終わったらしい。おちょくる方が悪いけれど、これ
から一緒にやっていくクラスメイトに対して初日からそういう態度をとるのもどうかと思う。皆もそう思った
らしい。案の定、転入してから一ヶ月が経った今でも、転入生は未だに教室に一人でいた。別に私に関する事
では無いからそんな事はどうだっていんだけども、唯一つ。この間の席替えでしたくじ引きの結果、その転入
生とあたしが隣の席になってしまったっていうのがなんともアンラッキーな話だった。これから毎日の給食時
間にはこの転入生と顔を付き合わせて食べなきゃいけないんだなーとか考えると、給食の味がしなさそうだっ
た。暗いし、目つきは悪いし。まあ次の席替えまでのほんの少しの我慢だ。そんな感じで良い子のあたしは割
り切ることにした。で丁度その頃、あたしのクラスでは一世を風靡したあのゲームボーイが発売されたばっか
りで、クラスの皆の話題といえば毎日そればっかりだった。誕生日に買ってもらうとか、今週末に親とスーパ
ーに行って買って貰うんだ、とか。情けない事にあたしもそのうちの一人で、そりゃあもう周りが言うのに洗
脳されて持ってなきゃいけないみたいな強迫観念に縛られていた。あれそれのソフトが面白いからお勧めだと
か、それには攻略本も買わなきゃいけないとか。細かく友達に聞いて調べたりなんかしては一人で納得したり
して。ただ、残念な事にあたしの親は厳しかったから、あたしが欲しいと言えばすぐに物を買い与えてくれる
ことはなかった。そうなるともう学校が終わって家に帰ってからは必死に説得を繰り返す毎日だった。何故っ
てだって、このままゲームボーイを持たずにいれば、二月後にはあたしはあの転入生のようにして一人寂しく
学校生活を過ごす羽目になってしまうからだ。話についていけずにのけ者にされて、最悪の場合、ゲームボー
イも買えない貧乏な家だと後ろ指をさされてしまう可能性もある。そこまで酷い仕打ちにはならないかもしれ
ないけれど、今のクラスの状態はそうなってもおかしくない位にゲームボーイ一色だった。だけどあたしがど
れだけ頑張ってみても、とうとう親がゲームボーイを買ってくれる事はなかった。それはもう死刑宣告みたい
なもので、次の日のあたしと言ったらそれはもう見られたものじゃなかった。夜通し泣いたせいで目は真っ赤
に充血して瞼まで腫らして、すっかり生気のない顔になっていた。それを見たクラスメイトは声も出せず、あ
たしが足を踏み入れた途端、教室には沈黙が降りた。隣の席の、あの無口な転入生がいつものつーんと吊り上
がった目をまん丸お月様みたいに丸くして、思わずあたしに理由を尋ねたくらいだもの。「何だ、その顔は」
って。
 

「ゲームボーイ、親に言っても買ってくれなくて・・・」
 

泣きすぎて涸れたあたしの喉から出たのは低くてしゃがれた声で、同じように泣き腫らしている目を誤魔化す
ようにして擦ってみる。口に出してみれば、ゲームボーイを買ってもらえない事くらいで大泣きするなんてみ
っともないと気づかされるけれど。思えば、転校生ときちんと口を利いたのもこの時が初めてだったと思う。
哀れみか、はたまた子供同士にしか解らない同情からか。彼は机の横に掛けていた汚れ一つない黒のランドセ
ルから綺麗なそれを取り出すと、あたしに向かって差し出した。「失くしたら、許さない」と付け加えて。


「・・・え?」
「・・・・」
 

それっきり、彼は口を閉ざしてしまって説明を放棄した。あたしが欲しくて欲しくて仕方がなかったものが今
目の前にある。半ば無理矢理、押し付けられるようにして受け取り、一連のやり取りとその呆気ない結末に彼
とゲームボーイを交互に見やる。夢じゃないと確かめてもう一度彼に目線を戻す。すでに黒板に向いてしまっ
た横顔に、あたしは慌ててお礼を言う。
 

「あ、ありがとう、借りるね?」
 

ちらり、一瞥されて終わる。素っ気無いそれが、あたしには了承の意に取れた。いつ返そう?なるべく早くに
返さなくちゃ。そう決めた時には既にあたしの心を覆うどんよりとした雲はなくなっていて、晴れ晴れとして
いた。転入生のおかげだった。その日以来、このことが切欠になってあたしと石田はぽつぽつ会話をするよう
になった。大抵の場合話かけるのは私からだったけれど、言葉が少ないながらにも必ず相槌や返事があったか
ら、ゲームがどこまで進んだかを一々報告したりしていた。そんな感じで二学期が過ぎて、だけど相変わらず
石田はクラスでは一人だった。友達からは『よく石田と喋れるね』なんて感心されたけれど、あたしは絶対に
本当のことを言う気はなかった。席が隣だから仕方なく喋ってるだけ、と嘘をついた。石田と誰かが仲良くな
るのが嫌だったから。面倒臭がりの担任の先生のおかげで三学期も席替えをしない事が決まると、あたしは心
の中で密かに喜んだ。あたしだけが石田の友達で、石田にとってもあたしだけが友達。その事がくすぐったく
て、だけど嬉しくて仕方がなかった。だからあたしは石田のことを三成と下の名前で呼ぶことを決めた。嫌が
るかなと冷や冷やしたけれど、いつの間にか三成も、あたしのことを下の名前で呼んでくれるようになった。
嬉しかった。あたしきっと、三成のことが好きなんだ。
 

「ねえ。三成はさ、好きな人っている?」
 

どうしてあんな事聞いちゃったんだろう。
間があった。あたしの問いを受けた三成の瞳が珍しく泳いだのを見逃さない。といってもほんの僅かだけれど
あたしにはそれが解ってしまった。逡巡した後、こくんと頭が縦に動いて確かなものに変わる。聞いた事を後
悔する。だけど話をふったのはあたしで、返事はしなければならない。「へー、そうなんだ?誰?同じ学年に
いる?同じクラスの人?」沈黙が降りるのが怖くて捲くし立てるように話をした。三成はなんでもない風に、
言った。「貴様こそどうなんだ」「えー?あたしなんて全然。だってまだ小学生だよ?恋愛感情とか、よく分
かんないよ」笑う。あたしが笑うと、話はそこで途切れた。時は放課後。すっかり橙色に染まった教室内には
ゲームの攻略を理由に居残る二人の生徒。あたしたちのこと。最近の、あたしの楽しみだった。だけどあたし
は今、呆然としてしまっている。あたしは三成が好きなのに、三成はあたしのこと、好きじゃない。
 
 
 
「・・・ゲームボーイ、いつ返せばいい?」
「いい。やる」
 
 
 
三成はきっぱり言った。断れなかった。どうして断れなかったのだろう。なんでこれをあたしにあげようと思
ったんだろうか。それこそ三成が好きな子にあげればいいのに。いらない。こんな優しさはいらない、欲しく
なかった。涙が滲む。「どうした?」うるさい。お前のせいだボケ。何か言おうとしている三成を振り切って
あたしは家に向かって全速力で走る。家に着いたら部屋に入って、ゲームボーイをランドセルから取り出して
思いっきり振り上げた。衝動のままに床に叩き付けたら壊れて無くなってくれるだろうか。だけどそこで、ど
うしても三成の顔が浮かんできてしまう。
 

『何だ、その顔』
 

言ってよ三成、今のあたしに必要なのはあの日の三成の優しさなのに。ゲームボーイの液晶画面を大粒の涙が
叩く。叩きつけられたのは、あたしの方だ。ゲームボーイを抱えていたらそのうち無性に虚しくなってきてし
まって、あたしはそれで一日中、ばかみたいに泣いていた。膝を抱えて、床に蹲って、いつまでも。いつまで
も。
 
 

いつかどうしても悲しいときに