今日は雨です。大雨です。気分は沈みますが、好きな人に出会えるとあればそれ程学校に行くのも嫌にはなり
ません。かすがとお市ちゃんそれに鶴姫ちゃんと一緒に出した結論です。孫市さんはそうかもなと言って後で
賛同してくれました。そういうわけで恋する乙女同盟鉄条その一、雨の日でも決して休むべからず、が施行さ
れたのでした。しかしまっ黄色の、(それはもう幼稚園児が頭に被っているあれのような)雨合羽を着て自転
車を漕いでえっちらおっちら登校したというのに、私の想い人は今日にに限って珍しく風邪をひいたらしくお
休みでした。せっかく来たのに、と激しく落ち込む私の肩をしかし軽く叩く人がいました。生徒会長の豊臣先
輩です。茶封筒をこちらに差し向け、「済まぬが届けてやってくれぬか」と言います。そういえば私の想い人
である石田三成君は生徒会役員でした。加えて、お互いの家は結構近かったような気がするのです。まさか豊
臣先輩は私の思いを知っていて、応援してくれているのでしょうか。それはどうか分かりませんが、「は、は
い、・・・行きます!」と緊張に汗ばむ手で、私は茶封筒を受け取ったのです。
「悪いな」
「いいえ!全然!」
やはり我が直接持っていこう、などと言われないように必死です。首を振って大丈夫!と自信満々をアピール
しようとしますが、声が無駄に大きくなってしまい挙動不審です。恥ずかしい。それでも優しい豊臣先輩は、
「任せたぞ」とだけ言って教室を出て行きました。私はといえば、今から石田君の家に行くんだという緊張で
いっぱいです。鶴姫ちゃんが近付いてきて、私に耳打ちをします。
「チャンスですよ・・・!」
「うん、うん・・・!」
どうチャンスを生かせばいいのか、経験のない私にはさっぱり分かりませんが、鶴姫ちゃんの応援を背に放課
後の校舎を後にします。鞄に入った預かり物の茶封筒が沁み込んだ雨によって濡れてしまわないか、とても心
配です。なので自転車のカゴではなく、自分の雨合羽の内に入れることにしました。自転車を漕ぐ私の足は雨
に濡れていましたが、靴下が濡れているのをそれ程不快には感じません。多分、これから石田君に会えるのだ
という嬉しさで、それどころではないんでしょう。石田君を知ったのは、進級によってクラスが一緒になった
のが切欠です。偶然、授業中に目が合ったのです。お互いに目を反らして終わりましたが、また別の時にも目
が合ってしまいました。まただね、という意味を込めて私は小さく苦笑いをしましたが、石田くんは視線をそ
らしてしまいました。一度目の事を覚えていなかったようです。少し傷つきました。しかしまた目が合う事が
ありました。前回無視された記憶が頭をよぎりましたが、今度はどうだろうかと試しに手を小さく振ってみま
した。石田くんは、やっぱり無視でした。黒板へと戻された横顔に、私は少し切なくなりました。しかしまた
目が合うことがありました。今度は今までと違い、体育館で集会をしている時でした。はっきりと顔も相手を
向いていましたが、私は少しばかりうんざりしていました。また冷たい反応をされるんだろうなと、思ったか
らです。なので私から、顔を反らしました。傷つきたくないからです。ところが後になって、何故あそこで反
らしてしまったのかと後悔の気持ちが沸いてきました。石田君に無視される方がまだ良かったと、思うので
す。その気持ちが何なのかは長い事分かりませんでした。恋だと気づいたのは、随分と後、三学期の今頃にな
ってようやくです。けれどもあれ以来、石田君とは一度も目が合っていません。どうしたものでしょう。
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気づけば石田君の家の前に来ていました。合羽を脱ぎ、折り畳み傘と一緒に鞄から頼まれていた茶封筒を取り
出します。目の前に聳えるのは二階建ての、今風で無機質な感じのお家です。石田君らしいと思いました。息
を一つして、えいとチャイムを押します。・・・出てきません。物音が聞こえてくる様子もないので、留守な
のかと首を捻ります。風邪と聞いたので石田くんは寝ているはずなのですが。
「何をしている」
すぐ後から聞こえた声に、私の喉から「ひ」と情け無い声が出ました。飛び上がった肩で後を振り返れば、そ
こには右手で傘を差し、左手にコンビニの袋を下げた石田君がいました。制服ではありません。いつも学ラン
の中に来ているシャツと真っ黒の上着を羽織った格好です。後に跳ね返ったひらひらのあの学ランと呼べるか
怪しい上着が見れないのは残念な気もしますが、私服を見ることが出来てラッキーなので良しとします。一応
クラスメイトであり顔見知りでもあるので、私へと向けられるのは怪しい人間を見る目ではありませんでした
が、何をしていたのか伺うような怪訝な眼差しです。胸に抱くようにして持っていた茶封筒を、石田君に見せ
ます。雨なので、差し出す事は出来ませんが。
「あの、これを、届けに来ました・・・」
困りました。今更になって、そういえば石田君とは一度も口を利いた事が無いと気づきました。私の口から出
たのは緊張でか細くなった声。情け無いです。ついでに言うならば間に人を挟まず真正面から石田君の顔を見
たのも初めてです。思いのほか、美形でした。恥ずかしいので、折り畳み傘を前に傾け自分の赤くなった顔を
見られないようにします。少しして、私の視界に石田くんの指先が見えました。雨粒がその白い手を打ち、見
る間に濡らしていきます。急いでその手に茶封筒を乗せました。そういう意味で差し出された手だと、気づけ
なかったのです。
「えっと、ではでは・・・」
用事は、これで終わりです。あっけないです。風邪で倒れている今がチャンスと考えて、途中で立ち寄ったコ
ンビニでポカリとゼリーを見舞いに買ってしまいましたが、渡せるわけがありません。石田君の目を見ていた
ら、そんな気安い仲ではなかったと思い知らされました。一人で舞い上がりすぎていたのです。石田君の左手
にはコンビニ袋が既に垂れ下がっています。
「・・・また明日、です!」
視線を感じます。傘で顔を覆い、地面に目線をやっているのに、石田君がこちらを見ているのが分かります。
精一杯の笑顔で別れの挨拶をして石田君の印象に残りたいと考えていましたが、緊張で顔をあわせるどころで
はありません。顔を上げたら最後、顔面から火が出るでしょう。私は俯いたままで、急いで石田君に背を向け
自転車へと戻りました。情け無いです。鍵を開け、この短時間に濡れてしまったサドルに跨ります。前カゴに
ぐちゃぐちゃに押し込まれた合羽をまた着る事はしません。石田君の前で真っ黄色の合羽を着るなんて、恥ず
かしすぎて出来ません。折り畳み傘をカゴに押入れ、ペダルに足をかけます。でもやっぱり、そこで別れが惜
しくなりました。せっかく勇気を出して石田君の家まで来たのに、労わりの言葉をかけてあげることも出来な
いまま、短すぎる邂逅を終えるのです。最後にもう一度、勇気を振り絞り、振り返りました。風邪を引いてい
るにも拘わらず、家に入ることもなく、まだその場で傘を差し私を見送るべく立ったままでいる石田くんを見
たら、なんだか無性に泣きたくなってくるのでした。
「好き・・・」
目が合ったので、小さく手を振ります。少しして、石田くんは茶封筒を持った手を小さく上げて返してくれま
した。それから恥ずかしそうに、目線を地面へと反らします。その耳は真っ赤で、私はそこでようやく、彼が
いつも視線を外す理由に気づいたのです。
言葉でなくてもいい
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