「最近、楽しそうだね」
定時の退社。嫌味な上司に残業を押し付けられる前に帰宅しようと荷物を纏めていると、隣の席の同僚がなんの気無しに言
ってきた。同僚とはいえ、あまり親しくない人に指摘されるくらいに最近の私は浮かれていたのだろうか。誤魔化しがきか
なさそうなので、「ちょっとね」と含んで答えると、同僚は何か悟ったように笑顔を浮かべ「お疲れ様」とねぎらいの言葉
をくれた。頭を下げ、その場を後にする。
「あの笑みからすると、彼氏が出来たと思われただろうなー」
残念ながら彼氏はいない。いない歴イコール年齢なので期待はずれとなってしまうが、最近の私が浮かれていることは否定
しないでおく。無趣味なために家に帰ってもすることがなく、毎日仕事が終わった後もだらだらと会社に残っていたのが急
に定時退社だ。面識の無い人でもそりゃ気づくってもの。帰りのラッシュアワーの電車で小一時間揺られ、やっとの思いで
一人暮らしのアパートに着くと、一日の疲れはすっかり吹き飛んでしまっていた。早くも緩んでしまう頬をそのままに鍵を
開けて玄関に入ると、私の帰宅に気づいて奥の部屋からのそのそ、可愛い同居人が顔を見せた。
「ただいま佐吉!いい子にしてたー?」
「・・・頼んでいた物はどうなった。持って帰っただろうな」
「もちろん!可愛い佐吉のためだもん。忘れるわけ無いよ」
うふ、と語尾にハートが付きそうな勢いで微笑むと、佐吉が心底気味が悪いと言いたげに眉を寄せた。もともと目つきが悪
いのに、さらに不機嫌にしたらちょっとしたチンピラみたいだ。そんな風に育てた覚えはないけれど、表情が豊かなんだと
思えば納得できた。鞄を置く。靴を脱いで床に上がる。佐吉は廊下と部屋とを繋ぐドアの側に立ったままで、私が来るのを
その場で動かずに待っていた。「お帰り」も「お疲れ様」の一言もないけれど、それがこの少年なりの家主への「お帰り」
のお出迎えだった。そう気づいたのは佐吉を居候として置くようになってから一月が経つ頃の事だ。養ってもらっている身
でありながら、佐吉の生活態度というのは無駄に大きいので、随分と長くそのツンデレに気づく事が出来ないでいた。居候
の癖に生意気だなあ、なんて最初は驚き、呆れもしたけれど、一緒に生活するようになって半年が経つ今では佐吉のそんな
ところも可愛くて仕方がなくなった。これが母性本能というものなのだろうか。小さな頭に手を置いて、銀の髪を数回撫で
る。
「うんうん。佐吉は今日も可愛いねえ」
「・・・次にそれを言えば斬ると言ったはずだ」
「もー、照れなくてもいいってば」
「ほざけ。どこを見れば照れてる等と抜かせる」
「上目遣い?」
「・・・」
佐吉が黙り込んでしまった。私のおへそ辺りまでしかない身長。何を言ってもどんなに睨むような目で私を見てきたところ
で、頭上の遥か上にある私の顔を見るためには見上げなくてはならない。そうすれば必然的に上目遣いになってしまうので
全く怖くないのだと正直に告げると、佐吉はとても苛立たしげに眉尻を引きつらせた後、頭上にある私の手を乱暴に払い除
け、そっぽを向いて奥の部屋へと引っ込んでしまった。とはいっても一人暮らしのOLが住むアパートだ。1DKの部屋に
逃げ場などあるはずもない。食卓に腰を下ろした佐吉に近寄り、鞄から頼まれていた物を取り出す。
「ねえねえほら、機嫌直して。佐吉が欲しがってたものちゃんと買って来たんだよ?」
「・・・寄越せ」
今時の子供とは思えぬ、鋭くつり上がった目が私に向けられる。しかし佐吉の目の前に約束の頼まれ物を置くと、その瞳に
はすぐ満足の色が浮かんだ。眉間の皺が取れている。食に全く興味のない佐吉が奇跡的に嵌まっている食べ物が唯一ある。
それが雪見大福だった。二つ入りではなく、六つ入りの箱で買ってきてあげるあたりが、佐吉への愛情の表れだ。
「あー、何だかんだ言っても佐吉もまだ子供だね。かわいいー、顔に出てるよ」
「黙れ」
「ほれほれ」
「・・・その手をどけろ」
「うらうら」
「・・・ッ」
雪見大福を包むビニール袋を開けようと模索している佐吉の頬を隣からツンツンとつついてちょっかいを掛ける。最初は首
を左右に捻って抵抗する程度の物だったのが、アイスの袋が開かないことで苛々を増してきたのか歯軋りが聞こえてくるよ
うになった。マジックカットが施されているにも拘らず、袋の四隅は全て小さく裂けた程度に終わってしまっている。
「アイス、溶けちゃうよ」
「分かっているッ!」
「早くしないと」
「気が散る!黙っていろ」
私もたまに袋を開けるのに失敗したりはするが、ここまで失敗する事は無い。ぶきっちょな佐吉の為に鋏を持ってきてあげ
ようかと思った矢先、頬のツンツンとアイスがいつまでたっても食べられないのにとうとう限界が来たのか、佐吉が小さな
手を食卓に叩きつけるとアイスを放り出し私に向かって吼えた。
「許さない!!私は貴様を、絶対に許さないッ!!!」
あ、と思った時にはまだ袋に入ったままの雪見大福がプラスチックの容器ごと私めがけて飛んできた。勿論短気な佐吉がや
った事だ。子供の力なので当たったところで打撲になるという事はないが、プラスチックで怪我というのはあり得る。私が
身をかわすと、雪見大福は背後のクローゼットに音を立ててぶつかった。私が避けたのが気に食わないらしい、佐吉は舌打
ちを残して家を飛び出した。
「うわ、何?反抗期ってやつ?」
オラ、なんだかわくわくすっぞ。と帰宅時のテンションが落ち着かぬまま、私は佐吉を探すべく夜の街へと飛び出した。い
つもと違う突然の佐吉の家出に、私も私なりに動転していたらしい。雪見大福を拾って冷凍庫に入れることも、家の鍵をか
けてくることもすっかり忘れてしまっていた。
「さーきーちー!」
アイス一つで家出なんて恰好悪いよーと叫んでは見るが、帰ってくるのは道路を走る数少ない車のエンジン音だけ。携帯の
電波時計を見れば時刻は8時。結構な時間になっていた。あれから住んでいるアパートの周辺を探索してみたが、如何せん
暗すぎて佐吉の姿を見つけるどころか、こちらが身の経験を感じてしまう程暗くなっていた。一先ず懐中電灯を取りにアパ
ートに戻ろうか。大きな道路が周囲にないので大丈夫だとは思うが、その間に万が一佐吉が車に跳ねられでもしていたらど
うしようと考えると、帰るにも帰れず。あるいは誘拐にでもあっていたり。佐吉、可愛いし。なんて考えているうちに不安
だけが増大していく。
「やっぱり、お母さんが恋しいのかな」
海外転勤の間、佐吉の面倒を見て欲しいと言ってきた親戚ともいえないほどに遠い親戚に頼まれて佐吉を引き取りに行った
時、随分と大人びた雰囲気をした子供が奥から出て来て驚いたものだ。佐吉は前妻との子だとかで、義母に嫌われているみ
たいで複雑な中で育っていた。そりゃあ大人びるわけだ。一緒に暮らし始めた当初なんて更に驚きだった。家事を一通り、
(料理以外は)こなせて、大人になったら学費は働いて返すとかきっちり言われてしまうし。カッコよすぎてお姉さん、立
場がなくなってしまった。私をお母さんだと思っていいからね!と言えば、鼻で笑われるし。ってなんか脱線してしまっ
た。とりあえず警察に捜索願を出しに行こうと決めた時だった。背後よりワンクラクション。
「!こんな所で何してるんだ?」
「え?あれ、社長!」
私を追い抜いて横に止まった車。窓が開いてそこから顔を覗かせたのは、自分が勤める会社の上司である徳川社長だった。
ほぼ同年代のために一見すると新入社員に間違われやすいが、彼は間違いなく自分の勤める会社の社長さん。社長の家もこ
の近辺にあるとは以前に聞いていた気がするけれど、どうしたのだろう。
「ひょっとして今帰りですか?」
「ああ。それより、家康で良いって言ってるだろう」
「OLが社長を呼び捨てはまずいと思いますよ」
「ワシは気にせんぞ」
「・・・分かりました。ところで家康さん」
「どうした?」
「この辺で子供見ませんでした?小さい子供」
子供、という単語を聞いて家康さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。それから何故か恐る恐るといった風に「お前
子供・・・いたのか?」と聞いてくる。何故焦った風にしているのかは分からないが、急いでいる私は簡潔に述べた。
「うちの家で預かってる親戚の子なんですけれど、さっき、家を飛び出しちゃって。探しているんです!」
「なんだと!?」
「この辺は探したんですけれど、もういないみたいで・・・」
「そうか。・・・よし分かった。車で少し遠くまで探してみよう。乗ってくれ」
「はい、すみません・・・!」
ドアの鍵を開けてくれた家康さんの隣、助手席に乗り込もうとした時だった。突然車体が揺れた。「うお!なんだ!?」と
驚く家康さん。同じく何が起きたのか分からず慌てる私だったけれど、次の瞬間何者かに腕を強く引っ張られ、反動で後方
へと尻もちをついてしまった。
「大丈夫か!」
「貴様ッ・・・!今すぐを離せ!!」
知っている声が聞こえて顔を向けると、佐吉だった。佐吉が車を蹴っていた。車を降りた(というより佐吉によって降ろさ
れた)私はともかく、まだ車内にいる家康さんは、「おいおい!」といってたまらず車を飛び出して来る。先程私に怒鳴っ
た時の比ではないくらいに怒りに燃える佐吉を見てポカンとする私だったけれど、すぐに我に返って佐吉に破壊活動を止め
るように言う。社長さんの車を何のためらいもなく蹴り続ける佐吉を見て、嫌な汗が全身に噴き出す。
「やめて佐吉!!私この通り大丈夫だから!私の入院費より車の弁償の方が高くつくからやめてお願い!!」
家康さんごめんなさいぃぃぃ!!!と総務の小早川さんみたいに私が頭を下げて謝ると(土下座を見ても毛利課長は小早川
さんを足蹴にしていたけれど)家康さんは彼にするみたいに「佐吉が見つかってよかったな、」と爽やかに笑った。
・・・神だ。白い歯を見せて笑う家康さんが男前すぎて思わず惚れそうになっていると、何が面白くないのか。一旦止んだ
はずの破壊活動を佐吉がまた始めた。子供とはいえ、そろそろ車が凹む。
「何してるの佐吉!」
「・・・貴様が悪い」
「なんで私!?」
威勢がいいなーと快活に笑う家康さん。弁償はとても無理だけど、お詫びとお礼も兼ねてそんな家康さんを夕飯に招待する
ことにした。佐吉は家康さんが気に入らないのかガルガルと噛みつかんばかりに睨んでいたけれど、「佐吉は元気だな」と
全く相手にしない家康さんのおかげで食卓が険悪な雰囲気になることはなかった。案外この二人は上手くやれるんじゃない
だろうか。二人にオムライスを出して食べて貰っている間、溶けきってぐずぐずになった雪見大福の処理をする私は思う。
ちなみに家康さんにケチャップを渡して佐吉のオムライスに何か書いて下さいよと言ってみたところ、彼はニカッと笑って
「斬滅」と難しい漢字を書いてあげていた。まだそれが読めない佐吉は不機嫌そうにしていたけれど、かわりに家康さんの
オムライスにたぬきと書けて満足そうにしていたのでおあい子だろう。
「ねえ佐吉。気になる?」
「何がだ」
「家康さん」
「何故それを聞く」
「だって家康さん、男前で素敵でしょ?」
「・・・馬鹿を言え」
とはいえ、密かに仮面ライダーや戦隊ものが好きな佐吉にはきっと、家康さんがヒーローに見えて仕方ないはずだ。「佐吉
もを守る姿、かっこよかったぞ!」と家康さんに褒められると、「たぬきが」と返しオムライスを口に入れる佐吉。
俯いてスプーン咥えるのは顔を見られたくないという照れ隠しだ。家康さんとこっそり顔を見合わせて笑う。
「家康さんと結婚するのが先か、佐吉が負けないくらい良い男になって私を迎えに来るのが先か、どっちだろうねー」
「はは!それじゃあワシと佐吉はライバルだな!」
「ねー、雪見大福で家出した佐吉くん!」
「・・・・ッ!!」
三成の顔に赤が走る。眉はこれでもかというくらいに不機嫌そうに寄せられているけれど、怒っていないのは一目瞭然。
なんだ、雪見大福がなくても佐吉を幸せにしてあげることは十分出来るんだなあと嬉しくなったのである。
「久しぶりだな佐吉!雪見大福持って来たぞ!」
「いいいえええええやああすうううッ!!!」
ちなみにその後、これを切欠として家康さんと頻繁に近所づきあいをすることになり(週末になると必ず来る)、3人でち
ょっとした家族ごっこをして過ごしているのだけれど、今回の事の次第を話して後(雪見大福で家出をしたこと)、どうい
う訳か家康さんが手土産に必ず雪見大福を持ってくるようになった。それが果たして純粋な好意でなのか悪意があってなの
かは今のところ分からないけれど、遊び疲れた後に家康さんのお腹の上で寝ている佐吉を見ると、幸せそうなのでどうでも
良いかなと思うのでした。多分、たぬきと書かれたことに対する報復だろうな、うん。
「最近、活き活きしてますね」
「いえいえそんな。子供が二人もいて大変なんですよー」
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ひらがな 0113
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