知らないフリをしておいた方が、多分無難なんだろう。そう思って見なかったことにして蓋を閉じようとした
ら、本人が台所に入ってきてしまった。いっそこうなる様に仕組んでいたのかと思う。が、彼は私が手にして
いるゴミ箱の蓋とゴミ箱本体を目に入れると、その切れ長の鋭い目を驚きに見開いた。謀ってこのタイミング
で台所にやってきたわけでは無いとそれで証明されたが、それよりも私には彼でも人並みに驚く事があったの
だと、そちらの方が驚きだった。大体が眉を顰めて不愉快な表情をするか、言いたいこともはっきり言う彼
だ。付き合って三年は経つが、ここまで目を大きくしたのは初めてじゃないだろうか。へえ、と内で感心して
いると、やがて我に返った三成が「見たのか」と低い声で問うて来た。見たのかとは、私の目の前にある台所
のゴミ箱の中を言っているのだろうけれど、私が手にした蓋を見れば、そんな質問をせずとも分かっただろう
と思う。気が動転していてそこまで頭が回らないんだろうか。だとしたら本当に珍しい。怒られるだろうか。
台所の冷たい床と無地のタイルに響いた簡素な響き。うんと返せば、本日二回目の驚き。彼が気まずそうに、
視線を私から外したのだった。 

「三成」

私が選んであげたネルシャツを身に付けた彼は一人暮らしで、大学の費用もアパートの家賃も全てバイトで稼
いだお金で賄っていると聞いたから、経済的援助が出来ない代わりに、私はなにか手助けは出来ないだろうか
と考えて、食料の増援をすることにした。優しい三成は私がお金を出してまで支援をすることだけは望まない
と言っていたから気を使わせない程度のことをやったつもりでいたんだけれども、どうやら不必要だったらし
い。田舎に住むお婆ちゃんが我が家に送ってくれた大量の柿のお裾分けをあげようと、私が三成の家を尋ねた
のが先週の水曜日だから、あれから丸々一週間は経っている。推測するに、私があげた大量の柿はダンボール
から、中身をゴミ箱に移し変えただけという感じだ。どうやら彼のお気に召すところではなかったらしいけれ
ど、渋柿でも無いのに、どうして。まあ、捨ててしまったものは仕方がないんだけれども。
まな板の上に広がる玉ねぎに目線をやっている三成は居心地が悪そうだ。手には皿が一枚。料理をしない三成
の一人暮らしのアパートに、ボウルなどあるはずがない。切った玉ねぎを入れて置いておくための器を台所ま
で持って来て欲しいと頼んだのは私で、何も三成は調理の邪魔をするために意味もなくこの場へ入ってきたの
では無い。たまたまネギの皮を捨てようとゴミ箱を開けている最中の私と、鉢合わせてしまっただけのこと。
本当ならとっくにもう用は済んで、来週までに提出だという大学のレポートの仕上げに掛かるために居間へ戻
っているはずのところなのに。なんだか、私のせいで可哀想な気がしてくるのだった。ねえと声を掛けると、
ようやく三成の鋭い形をした目は私に向いた。

「気にしてないよ」
 
むしろ、私が怒られると思った。こういっては何だけれど、三成は消しゴム一つ人に貸すことも渋る人間だか
ら、私が勝手にゴミ箱を開けた事を家探しと受け取り、見た貴様が悪いと怒鳴られるのではないかと内心冷や
りとしたのだ。だがまあ、何もないならもうこの話は終わりだ。大学にバイトに忙しい三成に一週間ぶりに会
えたのだから、今日は存分に腕をふるうと決めていた。たくさん食べて、もりもり栄養をつけて貰うのだ。食
器を取りに行こうと三成の横を通り過ぎた私を引き止めた、声。

「待て。これは、」
 
そこまで言って、三成は口籠る。振り返る私と一瞬目があったが、すぐに視線を逸らされた。特徴的な銀の髪
が少し揺れて彼の目を覆い隠す。なんだろう、珍しい。表情が分からないので、仕方なく問答で様子を伺うこ
とにする。
 
「アレルギーだった?」
「違う」
「カビが生えてた?」
「違う」
「好きじゃなかった?」
「・・・」
「・・・そっか。ごめんね、あげる前に聞いておけばよかったね」
「違う」
 
違うの?首を傾げて本当の理由を問うも、私を見ていない三成にはその質問は届かない。細身とはいえ、女の
私よりも遥かにしっかりとした体が猫背になっている姿は、大きな子供の様だった。いつもの刺々しい彼から
は想像もつかない殊勝さに不謹慎にも可愛いと思ったのは内緒。

「違う。の」
「うん、私の?」
「・・・断れる、わけがない」

小さく言った三成は、それっきり沈黙した。親を前にした叱られた子供のような謙虚さでそこに立ち尽くす。
別に、お説教なんてしやしないのに。というか出来ないのに。三成が未だ手にしているお皿を受け取って、私
はまな板へと逆戻りをする。

「ありがとう、三成」 

鰹節の良い匂いがした。そういえば味噌汁に入れる玉ねぎを切っている最中だったと思いだして、放置してい
たお玉を手に取ると、そこで突然背後から抱きしめられた。振り返らずとも三成だと分かる。なに?今日は甘
えん坊だね、とからかうように言って肩に乗せられた頭をお玉を持つ反対の手で撫でれば、抱擁は余計に強ま
った。 
 
「お腹すいたの?」
「・・・・」
 
微動だにしない三成が意固地になった子供そのもののようで、私はその珍しい姿にふふ、と笑いが浮かぶのを
止められない。ああ、相当疲れがたまっているんだな、とそこでようやく気付いたのである。



嫌いにならないで