ガンガンガンガンガン!!!!壊れるのではと思うくらいにドアが強く叩かれました。まるでサイコホラーの
映画にでも出てきそうな一場面です。その場合戸を叩いているのは殺人鬼か異常者なわけですが、この場合も
それはあながちまちがいではなく、私に対する執着心を言えば彼は殺人鬼も同然でした。殺しはしませんけれ
ども。ともかく私が知っている中で、このようにして壊れる程に強くドアを叩く人間は弟の宗麟ただ一人しか
いません。
「!どこへ行ったのです?!」
「はいはいはい!そんなにドアを叩かずとも聞こえてますよ、宗麟」
宗麟という私の弟は大友家の嫡男であり、もうそろそろその自覚が出てきても良い歳の頃なのですが、どうに
も小さい頃からのお姉ちゃんっ子といいますか、所謂シスコンが抜け切らない困った子なのでした。
「!」
そして姉の事も堂々呼び捨てです。私は書いていた日記を閉じ、机の引き出しにそれを入れるといつもの様に
鍵を掛けました。それを確認してから弟が待つ部屋のドアを開けに行きます。ノブを捻ろうとすればそれより
も早く、外側からドアが開けられ弟が中へと押し入ってきました。その顔は私に会えて嬉かったというには程
遠く、切羽詰ったかのようです。会えなくて寂しかったためでしょう。その弟の背後の廊下には取り残され居
心地が悪そうにしている立花さんの姿があります。
「、今日は何をしていましたか?」
「日記を書いていました」
「それだけですか?」
「それだけです」
「電話や、」
「手紙も書いていません」
「テレビも、」
「ラジオも聞いていません」
「そうですか。あれらは悪影響しか与えませんからね。それならいいのです」
宗麟は私が自分以外の人間を見るのを嫌います。それがテレビやラジオといった間接的且つ一方的なものであ
っても酷く不愉快な顔をしました。昔からの事なので、もう慣れっこですが。宗麟は私の返事に満足したの
か、一度微笑むと私の胸に顔を埋めて抱きついてきました。弟はとても甘えん坊なのです。抱きしめ返すとほ
んのり、宗麟の髪から外のにおいに混じって金木犀の甘い香りがしました。あれは匂いがとても強いので鼻炎
持ちの私には少々きついのですが、たまに香るのでしたら悪くも無い気がしました。実は私も今から用事があ
るので外へ出かけなければならないのですが、宗麟が嗅いだかもしれない金木犀を見れるとあらば、鼻炎も我
慢できそうな気がします。
「宗麟、姉は今から、少し出かけてきます」
「・・・どこへ行くのです?」
「どっかです」
「そのどっかとはどこです?」
「どっかとはどっかであって、ここでは無いどこかです。心配せずともすぐに戻ってきますよ」
「そのここではないどこかとは一体どこのことを言うのです?どこかがどこなのかをきちんと説明してからで
ないと、どこかへやることは出来ませんよ」
「どこかがどこなのかは言えません。どこかとはその辺を指すどこかです。もうきりがありませんのでこのお
話はやめにしましょう。そして私は出かけます」
「どこへ出かけるのか教える気が無いのであれば、出す気も起きないというものです。宗茂、」
はい。と短く返事が聞こえたかと思えば、廊下に控えていた宗茂さんが私と宗麟のいる部屋のドアを閉めまし
た。がちゃり、ドアに鍵をかける音が聞こえます。この部屋のドアは内からも外からも掛けられるようになっ
ています。しかし今、私は鍵を持ってはいません。私と宗麟は部屋に閉じ込められてしまいました。だという
のに、宗麟は慣れたもので座りましょうかと言って一人部屋の中央に置かれたラブソファに腰をおろしまし
た。パステルカラーの家具に、壁にびっしりと貼られた星とハートの蛍光シール。この広い子供部屋に宗麟と
いう弟の存在はぴったり合って見えます。しかしその弟の口から出る言葉はいつも凄惨なものばかりです。
「、大友家の当主の命令以上に優先しなくてはいけないことなどありますか?」
「いいえ、ありません」
正確には、あってはいけません、ですが。如何に私が姉であろうとも、この家において当主の命令は絶対で
す。大友家はとても古く歴史がある家系なので、前時代的な風習と考えが今でも根強く残っていました。宗麟
は年若くしてその大友家の当主となりましたが、次期当主ではなくまことの当主ですから、やはり私は姉とい
えど逆らえないのでした。
「それでは両親の言う事と僕の命令では、どちらが重要ですか」
「宗麟の命令です」
「分かっているなら、今日は何処へも出かけず、僕の宿題を手伝いなさい」
「はい」
宗麟の言う事は絶対で、なので私の部屋にはテレビもラジオも手紙を書くための道具も電話も置かれてはいま
せんでした。宗麟が全て私から奪ったのです。弟が当主の座に着いてすぐ、私は当時使っていた部屋を出るよ
うにいわれ、代わりに小さい頃に使っていた子供部屋を使うようにと言われました。そこは正しく子供部屋。
テレビから電話に至るまでの小さい子が扱えぬであろう物は一切存在せず、ベッドとソファとテーブルと、そ
れから小さい頃の姉弟の思い出が詰まった玩具が存在するのみの実生活を送るにはあまりに不便な部屋でし
た。することがなくなった私は諦めて、宗麟が机に広げた数学の教科書とノートに向き合うことにしました。
玩具で溢れたこの部屋は、しかしそれ故に虚しいだけです。することがありません。
「宗麟の方が頭は良いです。私では手伝うだけ無駄だと思います」
「手伝いを頼みはしましたが、問題を解けとは言っていません。がするのは別の事です」
「別の事ですか」
「分かりませんか」
最近声変わりが終わったせいで一段低くなった声が私を脅迫します。察しろと、吊り目がちな目が私を責めま
す。私は宗麟が何を求めているのか知っていました。しかし変声期を終えた弟にしてもいいことなのか分から
ず、惑っていたのです。ですが宗麟の瞳が急かすので、私は仕方なくその丸い頭頂部に手を伸ばし、金の髪を
つむじから前髪に向かって撫でました。
「これでいいのですか」
「それで結構です」
幼少の頃に、母に甘える宗麟をそれまで厳しく怒っていた父が退座してからか。甘えを我慢していた分が今に
なって出てきています。私が言うのもおかしな話ですが、宗麟は私を好きです。変な意味ではなく、ただ純粋
に私を愛しています。心から愛しています。小さい頃から仕えている宗茂さんよりも私の名前を呼んだ回数の
方が圧倒的に多いと思います。それくらいには真っすぐに、私は愛されていると自覚がありました。勿論、宗
麟が私に向けてくれる思いの分だけ私も弟を大事には思っています。
「気がすんだら、宗麟。お手洗いに行かせてくださいね」
実は我慢していたんです。恥ずかしさに顔を少し俯けて言えば、それでようやく宗麟は分かったようでした。
私が目的地を言わなかった理由は、女の子が堂々と言う事の出来ない理由だったからです。「それならそう
と、早く言いなさい!」宗麟は顔を少し赤くして怒り、私を睨みました。私が言いたい事を言えぬ性格である
と知っているがゆえに、こうして我慢をしていることを知ると怒るのです。
「すみません。でも言い辛いこの気持ちを、わかってくださいね」
「・・・っ。宗茂、開けなさい」
宗麟の頬が、今度は別の理由で赤くなりました。女の子の日と思わせたでしょうか。それならそれでも良いの
ですが、単なるトイレです。宗麟も一応男なので彼の名誉のためにそういうことにしておいてあげますが、想
像力が豊かすぎるのも問題だと思いました。宗茂さんが開けてくださった部屋のドアから、一歩外へと出ま
す。
「すぐに戻ります。いい子にしているのですよ」
「当然です。子供扱いしないでください」
「はい、ごめんなさい」
ソファとテーブルの間に正座をして、宗麟はこちらを見ます。その瞳には私の早い帰りを望むと書いてありま
した。昔から、好きな人や物には真っすぐな思いを持ち続け、疑う心を持たない子でした。少し上から物を言
うところが欠点ではありますが、相応に愚かで可愛い弟です。
「宗麟、宗麟は可愛いですね。とても素直で、大好きです」
すでに教科書へと目を向けてしまっていた宗麟の横顔に言うと、ドアを支えてくれていた宗茂さんがわずかば
かりほほ笑みました。姉弟仲が良いのは良いことです、と宗茂さんはよく私に仰ります。「私がいない間に、
宗麟が暴れないように見張っていてくださいね」そう言伝をして、私はトイレへと続く廊下を進みました。僕
もです、実は私の言葉が聞こえていて、恥ずかしげにぽつり宗麟が返していた事を、私は永遠に知るよしもな
いのでした。
スノードームにきらきらと、粉雪を模したプラスチックがシャワーとなって降り注ぐ。それは子供の頃に余り
の綺麗さにとりつかれ、駄々を捏ねてまで私が買って貰った宝物でした。数あるおもちゃも大抵のものは成長
とともに必要がなくなり、興味も失せたので放置されるかおもちゃ箱にしまわれるかされてしまいましたが、
それだけはいつまでも愛着がありました。私がトイレに行っている間、部屋で数学の宿題を解いていた宗麟は
ハート柄のチェストの上に置かれたそのスノードームがなくなっていることに気が付きませんでした。クロー
ゼットの中ですらも空っぽであった事に気がつくのはいつのことでしょうか。 三十分後、宗茂さんが子供部屋
の戸を叩くまでの間、あの子は一人、疑いもせずに私の帰りを待っていたのです。
「宗麟様。様が、家中どこを探しても見つかりません」
( 愛する人が出来ました。結婚します。私は幸せになるので、宗麟も幸せになってください )
机の引出しにしまった私の本音を読んで知ったあの子はどうなってしまうでしょうか。あれだけ私に依存して
いた子です。心配でなりません。しかし私はまた、私の人生をあの子に捧げて潰すようなつもりもありません
でした。ですから子供部屋に捨てられていったあの子のその後など、もう私の知るところでは無かったので
す。
「??何故、何故僕を置いていくのです?僕は寂しいです。、聞こえますか?」
壁に穴をあけ、カーテンを引き千切るまでして暴れた後、泣きに泣いた宗麟が神様はいないと無情を嘆いた後
に小さくそう呟いたそうです。しかしその後、とある宗教に嵌まってしまったのだということを、どこで知っ
たのか、私の住所あてに送られてきた宗茂さんからの手紙で知りました。どうやらあの子はまだ、寂しいまま
の様です。
テディベア
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